真面目系サイコパスの乾坤一擲
そのお店はかなり静かな雰囲気で、通された席は個室。これから男女間のもつれについて話し合うには、バッチリと言えるだろう。
「私はゆずジンジャーかなぁ」
新条さんはどういう状況か理解しているのか、楽し気にメニューに目を通している。
「ゆうくんは?」
「えっと、ウーロン茶で」
新条さんは増田くんが何を飲むのか、ということは確認せず、店員を呼んでしまう。あからさまな拒絶的行為であり、増田くんが不快な思いをしているのではないか、と冷や冷やしながら表情を窺った。彼は薄い笑みを浮かべ、新条さんが店員さんに注文する様子を眺めていた。
「あと、ウーロン茶をもう一つ」と増田くんはタイミングよく自分の飲み物を注文する。
僕がそわそわしてしまうのを必死に我慢している間、新条さんは増田くんと仕事に関することを、二つか三つ話した。その様子を見ている限り、二人の相性は悪くないように思えたので、僕は自分がここにいる意味を忘れそうになった。飲み物が運ばれて、一区切りついたような雰囲気があると、増田くんが本題に入った。
「突然、呼びつけるような形になってしまい、申し訳ございませんでした」
頭を下げる。
「いえいえ、とんでもないです」
僕も頭を下げた。
「本当だよー、早目に終わらせてよねぇ」と新条さんはまるで他人事だ。
「では、早速」
増田くんは真っ直ぐと僕を見た。
「僕は新条さんが好きです。彼女のことを考えて気が狂いそうになる夜を何度も過ごしました。そんな苦しみに耐えながらも、僕の気持ちは変わることはありません。ここまでは、ご理解いただけるでしょうか?」
「は、はい」
僕は返事しながら、少しだけ仰け反りそうになった。何だか、増田くんの雰囲気が変わり、とんでもなく威圧的なオーラで、縮こまってしまいそうだった。
「私からしたら迷惑だけどねぇ」と新条さんが言葉を挟む。
「そんなこと言わないでくださいよ」
さっきまで威圧的だったのに、増田くんが一瞬で穏やかになった…気がした。だが、視線を僕の方に戻した時は、やはり刃物を突き付けるかのようだ。
「あつかましいことだと承知していますが、新条さんが本当に幸せになれるのか、どうしようもなく心配で、どうしても広瀬さんのお人柄を知りたく、この場を設けていただきました」
僕はどう答えるべきか分からず、小さく頭を下げて「はい」と呟いた。
「では、質問させてください」
何やら始まってしまった。
「今まで何人の女性とお付き合いしてきたのでしょうか?」
「二人です」と僕は素直に答える。
一人目は大学時代、先輩が卒業して連絡を取れなくなってから付き合った女性だ。二人目はつい最近、交際が始まった先輩なのだが…。新条さんと付き合うような男にしては、経験が不足していると勘繰られるだろうか、と不安になって僕は思わず隣にいる彼女の方を見てしまった。すると、新条さんはなぜか嬉しそうな笑顔を浮かべるばかりで、僕の答えが正解だったのかどうか、特に反応してくれなかった。
恐る恐る増田くんの表情を伺うが、レーザービームのような眼差しを向けてくるだけなので、やはり判断できなかった。
「では、次の質問です。趣味は何ですか?」
「趣味、ですか? えっと…」
何だか見定められている、と思うと緊張した。しかも、新条さんに似合う男として答えなければならない、と思うと何が正解なのか分からず、余計に焦ってしまう。サーフィン? キャンプ? 何が適切なんだろう。でも、深い部分まで聞かれてしまったら、答えられないじゃないか。
「そんな怖がらないで、普通に答えればいいのにー」
何とものんびりした声が隣から。
「普通に、ですか?」と僕は確認するように新条さんに言った。
「そうそう。普通にゆうくんのことを話せば良いんだよ。いつも通りに。だって、それが私の好きなゆうくんでしょー?」
「そ、そうだね」
一瞬、新条さんに対し敬語になっていたことに気付き、やや焦るが、普通にやればいいのだ、と自分を落ち着かせようとした。そうだ、僕は先輩にだって認められた男ではないか。いつも通り、ありのままを彼に見せれば良い。僕は深呼吸してから、増田くんの方を見た。彼は無表情な顔で、その視線を受け止める。
「趣味はですね、絵を描くことですかね。最近は描いてませんが」
最後に絵を描いたのは、高校の時のこと。僕は美術部だったのだ。それをどう受け取ったかは分からないが、増田くんから次の質問が飛んできた。
「煙草やお酒は?」
「煙草は吸いません。お酒も殆ど飲めません」
さらに、いくつか質問が続いた。彼は、こんな質問で他人の本質が見抜けると思っているのだろうか。誰だって、他人には理解してもらえないような人格を隠し持っているのに。とは言え、嘘を吐かず、できるだけ誠実な気持ちで答えた。
雑談に発展することもなく、質問が続き、全部で二十は答えた気がする。質問が途切れてしまうと、増田くんは百年の疲労を実感したかのように、一息吐いた。
「分かりました。ありがとうございます」
そう言って、何を考え込んでいるのか、黙ってしまう。どうしたものかと、僕と新条さんは顔を見合わせた。彼はウーロン茶を飲み干すと、また何か発言するのかと思われたが、俯いてしまった。そして、小さなすすり泣く音が…。数秒の後、彼は震えた声で言うのだった。
「新条さんの、言う通りでした。広瀬さんは、僕から見ても、良い人だと、思います」
「そうでしょー? 分かってくれた?」
「はい……。でも」
彼は何かを伝えようとしているが、嗚咽が止まらず、声にならないようだった。僕と新条さんは、そんな彼の姿に少し驚いて、ただ様子を見守ることしかできなかった。それでも、彼は少しずつ言葉を並べる。
「僕でも良かったじゃないですか。僕だって、新条さんに気に入ってもらえるように、何とかやっているつもりです。真面目に、良い人間であろうとしたんですよ。それなのに、どうして、僕じゃなかったんですか…」
思いのたけを口にしたせいか、心の中に溜まっていたものが、溢れ出してしまったらしい。
新条さんは呆れたように溜め息を吐いたが、僕には彼の気持ちが少し分かるような気がした。彼は本当に新条さんのことが好きだったのだ。自分が壊れてしまうほど。それが報われるために、できる限りにことをしたのだろうし、何かを犠牲にしたのかもしれない。
だけど、それが報われることはなかった。きっと、彼には資格がなかったのだ。新条さんを救うための資格が。そして、その資格が何なのか、どこにあるのか、僕たちは知らない。できることと言えば、押し付けることがないよう、愛情を示すだけ。後は、その愛情に救われる瞬間があった、と意識してくれるまで、待つことだけなのかもしれない。
僕は泣きじゃくる増田くんを、できるだけ刺激しないよう、静かに言った。
「貴方の気持ちは分かります。でも、もう少しで良いので、彼女の話を聞いて、彼女がどんな気持ちなのか、理解してあげてください。そうすれば、貴方は自分の気持ちを伝えることだけが正解ではないと分かったはずです。そうすれば、別の方法で彼女を支えられたかもしれません」
それがどんな形なのか、僕は理解していないけれど、そんな風に思った。殆どは祈りみたいなものだった。そうなってくれれば良い。誰も傷つくことがなければ良い、と。
それだけではない。僕自身もたまたま運が良くて今の状況があるけれど、きっと彼のように打ちひしがれ、ただ泣くことしかできない、という未来もあったかもしれない。
いや、下手をしたら明日にでも、そうなってしまうかもしれないのだ。泣きじゃくる増田くんを見て、そんな日が訪れないよう、そんな日が訪れたときは自分を律して、正しい行動できるように、と祈るのだった。




