第13話 リグレット、アルバイトをする(その1)
無事、グラズノフ領で打ってもらうことになった初めての自分の剣。
だがリグレットには、代金を支払えるだけ懐に余裕がない。
そこで父の許可を貰い、領内の市井でアルバイトをする事になった。
お目付役と警護を兼ねてレパードとジーノも一緒に市井に向かった。
南北に長い島国、リスト皇国。緑豊かで、水も豊富。四季に恵まれた自然の神々の住まう国と言われている。
その中心の平地にあるヒステリア王国の王都。
中央には国王のシンボルである城が白銀色に燦然と輝くように建っている。
城の中心部にある執務室では、側近のシルグから渡された影からの便りを読んで王太子が思わず声を上げた。
輝くような金髪。深いブルーの瞳。将来の王に相応しいものを秘めている。
「リグレットがアルバイトだと?! 仮にも公爵令嬢でオレの婚約者だぞ? いくら領地内だとは言えど、何で市井で働いて金を稼ぐ必要があるんだ!」
驚きに震えているアルバとは反対に、銀髪のシルグは冷静だった。
「どうやら最近リグレット嬢の兄上の婚約者であるサファイア嬢の領地グラズノフ領に赴いて、そこでご自身が使う剣を打ってもらうように頼んだようです。その料金を払うためにアルバイトをするとか」
「は? 剣の代金を払うためにアルバイト? いくら風よけの仮でも王太子の婚約者だぞ。その程度の金ならオレが払ってやるというのに」
アルバは両腕を組み、ぷんすかと怒る。何だかんだと言いながらも、アルバもリグレットの事を自分の婚約者として認め、扱おうとしているのだ。
「殿下。腕の1本も折られたいんですか?」
シルグが呆れたように言った。
婚約し、初めて会った日、煽られて剣を抜いたアルバだったが、万年筆一本でリグレットに抑えられてしまった。
あれ以来、剣の鍛練はしているが、シルグの目から見てリグレットに勝てるの日はまだまだ遠いと判断している。
「リグレット嬢は貴族令嬢というより剣士です。その剣の代金をいくら婚約者でも他人に払ってもらうなど屈辱以外の何物でもないでしょう。ここは駄々をこねずに黙って見守って差し上げてください。それも漢という者です」
シルグの忠告に一応納得はしてみせたが、王太子という立場から見れば公爵令嬢が市井で働くなど考えられないし、ましてや自分の婚約者となれば尚更だ。
アルバはこうみても我が儘というより、頑固な所がある。リグレットがアルバイトをするのが気に入らないのは、なんとしても気に入らない。
シルグはその姿を見て、ふう……、と溜息をついた。
「レパードも一緒なようですから手紙には詳しいことが書かれてくると思いますが、殿下がそれだけ気になさると言うのでしたら、時期を見て私が自らリグレット嬢の様子を見て来ましょう」
「何故、お前だけが行く」
アルバがじろりとシルグを睨む。自分も直接、様子を見に行くという勢いだ。
「殿下! ご自分の立場をお考えになって下さい。いくら何でも、この前は領地の田舎部分の見学でしたから顔バレもしませんでしたが、今回リグレット嬢が働いてるのは、ワーグナー領の中イチの大きな観光地です。殿下の顔を知っている貴族が来ているかもしれないんですよ? リグレット嬢と殿下の婚約は未だ公にされていないんです。殿下は大人しくしろで勉強なさっていてください」
シルグに一括され、アルバも大人しく言うことを聞かざるを得なかった。
シルグ当てに来る手紙の中に、たまにリグレットから王太子に向けての手紙が混ざっているが、内容の殆どは次期王としての勉強に励んでいるか? 国内の情勢をよく把握しているか? 等というお小言のようなものばかりで、王太子を気遣う様子はない。
まあ、それだけ王太子の事を買っているというのだろうが、アルバとしてはいささか不満である。
王都で、そんな会話が繰り広げられているとは知らず、ワーグナー領ではリグレットとレパードが目的の街にある店に向かって馬を走らせていた。
途中、馬を休ませるために街道から少し入った所に腰を下ろし持参した水と果物を頬張っている。
リグレットはキリリと黒髪を頭の上で若草色の絹の紐で纏めている。長い髪は風に揺れ、紫水晶の瞳は凜々しさを備えていた。
「なあリグレット、旦那様が許可なさったのにも驚いたが、お前は何で剣の代金を払うのにバイトなんてするんだ? 公爵令嬢の持ち物なんだから、公爵家の費用で出せるんじゃないのか?」
くせっ毛のある茶色の髪、コーヒー色の瞳。リグレットの婚約者であるアルバと、側近のレイヴンから護衛として同行している。
レパードの疑問は全く間違っていない。普通の貴族の子息令嬢なら、身の回りの品は親である貴族の懐から出すのが当たり前だ。それをリグレットは自分の金で払おうというのだ。
「何をたわけた事を言っておる。公爵家に支払われる金はどこから出ているか解っておるか? 王家、つまり全国民から集められた税金だ。彼らが働いて納めた血税を、そう簡単に私用で使える訳がなかろう?」
「だけどリグレットの場合、公爵令嬢であるお前が持つ剣だぜ? それなら問題無いと思うんだが」
「阿呆。同じ剣でも、領地を守る私兵の持つ剣なら公費で出せるが、私が持つのはあくまでも私自身の剣で私費に当たる。それを公費で出せる訳があるか。公と私の費用をきっちり分けることが出来ず、公爵家の者が務まると思うか?」
果物を齧りながらリグレットがじろりとレパードを睨んだ。
「公費と私費ねえ……」
「お主の場合は、一応継承権は放棄したが籍は未だ王家にある。だからお主の剣の代金は王家に請求出来るが私の場合は違う。だから父上から渡される小遣いの中から出す。それで足りぬのだから、父上に願い出てこうしてアルバイトをすることにしたのだ」
「うん、理屈は解る。解るんだけどさ……。リグレットは一応、殿下の婚約者だよな? 殿下に出してもらうって事だって出来たろう?」
「ぜっっっっっっっったいに、あ奴に出してもらいとうはない!」
「そ、そんなに力込めなくても……」
リグレットの否定する勢いに、レパードは思わず体を引いた。
「あやつとは、風よけ対策というあくまでも契約上の仮の婚約者だ。そのような奴に借りなど作りとうはない! それに私の剣だ。私が金を払うのは道理であろう」
「リグレットって、殿下の事嫌いなのか?」
「いや、嫌いではない。だが婚約者という意味で、それ以上の感情は無いな」
「うわ、殿下ったら可哀想……」
「そんな事、あやつも知っておるだろうに」
リグレットを介していえば、アルバはレパードにとって恋敵であるのだが、これほどはっきりとリグレットに切り捨てられるのを見ると、殿下が哀れに思われてくる。
休憩を終えると再び2人は馬を走らせ、日が暮れると街道から少し森に入った所で野営をすることにした。
薪を集め火を起こし、湯を沸かして茶を飲みながら、持って来た干し肉と黒パン、果物を齧る。
「リグレットさんや……」
あまりに慣れた様子で手際よく野営の支度をするリグレットを見て、レパードが溜息を付きながら口を開いた。
「普通さ、年頃の貴族のお嬢様が同じ年頃の男性と2人きりでこうして夜を一緒に過ごすなんてあり得ないと思いませんかね?」
普段から散々リグレットに振り回されているレパードだが、流石に今回の野営というのには呆れるしか他がない。
「野営など、領地の私兵共やレイヴンとなら何度も経験しておるぞ?」
「いや、そうじゃなくてですね……。常識的にあり得なくないですか? 一応、オレだって男なんですけどね?」
困ったように言うレパードに、リグレットが思わず吹き出し笑い出した。
「そんな事くらい分かっておる。だが、お主が私に何かしようとしたとして勝てると思うか?」
2人とも護身用として木刀を持参している。
いくらレパードが男とはいえど、リグレットがその気になれば一振りで伸されるだろう。
「安心しろ。その前にオレがお前の喉笛を食いちぎってやる」
リグレットの横で体を伸ばしていたジーノも言った。
「これでもオレはリグレットを守る魔獣だからな」
ニヤッと口を開けたジーノの口の中が、炎に照らさされ普段より一層恐ろしく光る。
「はい、解りました。ですがね、公爵令嬢たる方が何故に宿泊施設を使わないで野営するんですか? って事ですよ」
「金を稼ぎに行くのだぞ? 野営出来るのに無駄金を使う必要はあるまい?」
「はい、そうですね……」
レパードはリグレットの答えを聞き、思わず大きく溜息をついた。そうだった、金と権力は無駄に使うな。使うなら期を見て使えと言っていたのを思い出した。が、その前にリグレットを普通の貴族の令嬢と比較するのが間違いなのだと、しみじみと思う。
「ところでレパード。お主は今回、初めて王族ではなく一般人として市井に出て働く訳だが、大丈夫か?」
「え? 大丈夫かって言うと?」
レパードはイマイチ理解出来ず、困った顔をする。
「お主が王宮でどのような教育を受け、どのような生活をしてきたか知らぬが、市井で働くと言うことは、庶民に対して頭を下げる事になるのだぞ? それを解っておるか?」
普通、貴族は庶民に頭を下げることなど決してしない。ありがとう、と礼を言うことは合ったとしても頭上から声を掛ける程度だ。
だが今回は市井の店で働くのだから、当然自分達の身分も貴族ではなく1人の店員だ。客としてきた相手が貴族であろうとなかろうと頭を下げなければならない。それが出来るかと言うことだ。
「それにお主は、継承権を放棄しておるとは言えど、それでも王子だ。その王子が庶民に対して頭を下げられるのかという事だ」
「……」
レパードは思わず黙った。
王子。確かに自分は身分は王子であるけれども、王子としては5番目で、母の出自も決して良い訳でもなく、第1、第2王子達と身分差だけでも比べものにならない。だが、父である国王からは王族の血を引いている事を忘れてはならないと言われていた。
「継承権は無いが、お主の名はレパード・ヒステリア。紛れもない王族だ。殿下が王の椅子に座っても、ヒステリアという名と王族の身分はそのままだ」
国王の弟、親族などは、当然継承権は無いがヒステリアの名を持ったまま王族として国王に仕えている。
「お主がヒステリアという名を捨てることが出来るのは、どこぞの貴族の婿に入った時だけだ。それでも、王族から婿に入った男として世間は評価するし、お主をそのような目で見る。例えどこに行ったとしても、王族の血を引いているというしがらみから逃れることは出来ぬぞ」
王家に産まれた者なら、王族のまま王の臣下として使えているほうがよっぽど良い。下手に貴族の婿になど入ろうものなら、その血を持って政戦に巻き込まれる可能性も高い。
だから、過去に王族を抜け臣に下った者は皆、公爵家の婿になっている。公爵家に入れば政治に口出しが出来ないと同時に、その身を守れることにもなるからだ。
「その全てを理解した上で、庶民に対して頭を下げることが出来るのか? という事だ」
「オレは将来、騎士になるつもりなんだが……」
「騎士になったらなったで、お主が王族出身である事に変わらぬし、仲間の騎士はお主を王子として見る。長く務めればお主より腕も経験もある下級貴族より先に上に推挙される可能性もある。勿論それはお主が王族だからだ」
「めん…………っどくせぇ!!」
いきなりレパードは髪をクシャクシャとかき回しながら声を上げた。
「王子、王子、王子。どこに行っても王子か?! そんな重たい身分なんが何時でも捨ててやらぁ! 自分より優れた奴がいたら、どんな相手でも頭下げる。そんなの当たり前だろうが!」
そんな姿を見て、リグレットは思わず声を上げて笑った。正直で素直な男だ。好感を抱かずにはいられない。
「レパード、お主は良い男だ。安心したぞ」
「へあ?」
リグレットの言葉にレパードは気の抜けた声でしか返事が出来なかった。
「ならば、明日からお互いに偽名を使わねばならぬな。私はリズ。お主はレオと名乗るといい」
「リズとレオね。了解!」
「明日の夕方には店に着く。住み込みだからな、衣食住の面倒はないぞ」
木刀を抱え、木に寄りかかるようにして眠るリグレットと、火の側で耳を動かしながら丸くなるオオカミ程も大きくなった猫型の魔獣ジーノ。
見上げると満天の星空が輝き、天の河と呼ばれる星の群星が黒い頭上の地を流れている。
レパードのコーヒー色の瞳がそれを写し、冷たい夜風が頬に当たる。
王子として王宮で育ってきたレパードにとって、こうして夜の森で一夜を明かすのは初めての経験だ。
フクロウや、時折聞こえる獣の声が森の奥から聞こえてくる。
無意識のうちに体が震えた。
(本当、野営に慣れてるんだな……)
慣れた2人の姿を見ながら眠れぬ時間を過ごしていたが、それでも何とか瞳を閉じ眠ろうと努めた。
気がつくといつの間にか朝になっている。目の前で眠っていたはずのリグレットの姿が無いことに気づき慌てて立ち上がった。
「リグレット? どこだ?」
木刀を握りしめ森の奥に向かって歩いていると、どこからか水音が聞こえてきた。
(あっちか?)
音のする方向に向かって歩いて行くと、キラキラと朝の光を照らす河が流れている。
「リグレット、そこか?」
そう言って一歩足を踏み出そうとした途端、レパードは慌てて草の影にしゃがみ込んでしまった。
視界の先には、全裸で水浴びをしているリグレットの姿がある。
(な……、何してるんだ、あのお嬢さんは?!)
白い肌に女性らしい丸みのない、どちらかというと逆三角形に近い引き締まったしなやかな筋肉を持った体。水に濡れる黒い髪。
背中しか見えなくて良かったとすら思うが、その場を離れようにも目が離せない。
(あの体は反則だよ……)
女とも男ともつかない中性的な魅力を放つリグレットの裸体に、レパードは目を外す事が出来ない。
「何をしている破廉恥者。一人前にもう覗きか?」
「ひっ……!!」
耳元でジーノに声を掛けられ、レパードは思わず声を上げそうになったが、必死に両手で口を押さえて絶えた。
「ふ、不可抗力です、ジーノ様……」
レパードは慌ててジーノの前で両手を合わせる。
「とにかく来い。見つかったら、ボコボコにされるぞ」
ジーノに襟首を咥えられ、引きずられるようにレパードはその場から逃げた。
「目が覚めたら姿が見えなかったので探しに行ったら……」
「見た、という訳か」
レパードはジーノの目の前で正座をさせられていた。魔獣ジーノの瞳がギラリと光る。
こうなると、いくらレパードでもジーノには敵わない。
「誓ってわざとじゃありません! そんな命がけな事、怖くてやれませんよ」
「ふん……」
ジーノが長い舌でべろりと口元を舐めた。
「お前に覗きが出来る程の甲斐性が無いこと位解ってる。まあ見つからなくて良かったな」
そう言いながら、ジーノは体を舐め始めた。流石のジーノも、あのままリグレットに見つかっていたらと思うと少々緊張したようだ。
「あのジーノ様……。つかぬ事をお聞きしますが、リグレットの左の脇辺りに結構大きな傷痕があったんですけど、あれは……?」
「何だ。不可抗力だとか言いながらしっかり見てるな」
「いえ、あの。あれは目立ったんで……」
「なに。子供の頃、魔獣を狩るんで追いかけて足を滑らせて老木にぶつかった時に出来た傷だ。命に関わる程でも無かったから領主殿もお母様も、それ程心配していなかったな。スピルの奴だけが大騒ぎしてたが」
「ああ……」
スピルはシスコンだ。というより、リグレットがお転婆過ぎて心配で溜まらないのだろう。学園に入学するため領地を去る時も、散々リグレットに、もう少し令嬢らしくしろやら、怪我だけはするな、とやらと説教と心配をしていたのを思い出す。
「でも、貴族の令嬢が体にあんな傷痕を造ったのは後々困るんじゃ」
「何をお前が心配している? あいつが、あの程度の傷痕を気にするものか。あの距離から見えないだけで、近くから見れば、あっちこっちと細かい傷痕だらけだぞ。どうせ殿下との婚約は形だけだし、破棄された後はお前が狙ってるんだろ?」
「じじじじじジーノ様、いつからそれを?!」
いつの間にジーノに気づかれてたというのだ? レパードは思い切り焦った。
「お前とリグレットのやりとりずっと側で見てるんだぞ。気づかない訳があるか。なに、お前とオレの仲だ。黙っててやるよ」
そう言ってジーノはニヤリと笑った。
「よろしくお願いします、ジーノ様」
レパードは拝むようにしてジーノに頭を下げた。
その時だった。
「何をしておる2人とも。レパードも奥に河があるゆえ、体を洗って来い。店に入るのに埃まみれという訳にはいかぬであろう」
かわ……。その言葉に一瞬レパードは先ほど見たリグレットの裸体を思い出したが、急いで荷物の中からタオルを取り出し河に向かった。
(さすがに忘れるのは無理です、ジーノ様。あんな綺麗なリグレットの姿、忘れろというのが無理でございます~!)
夢中になって走りながらもレパードの脳裏にリグレットの白い背中が浮かび上がる。何度頭を振っても消えないその姿に、レパードは思わずジーノに向かって心の中で謝った。
To be continue
すみません。体調を崩して寝込んでおりましたため、今回の連載は短くてごめんなさい。
このまま、リグレットのアルバイト編は続きますので楽しみにお待ちくださいませ。
リグレットの人垂らしが炸裂いたします!