6-23 《死者は悼(いた)んでほしいなどとは、さらさら思っていない》
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死者は悼んでほしいなどとは、さらさら思っていないよ。
彼らが自らのより高度な選択によってどこへ行ったのかわかっていれば、彼らの出発を悼んだりはすまい。
泣くのはよろしい。亡くなったひとへの愛に敬意を表することだから。だが、身体を離れた喜ばしい魂を待っている偉大な現実とすばらしい経験を知っていれば、その悲しみも長くは続かないはずだ。
《神との対話3-P125》
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魂は決して「死」を悲しんだりしない。その場合の死は、輝かしい瞬間、すばらしい経験だ。魂は自然なかたち、本来のかたちに戻る。
その変化を魂が悲しむことはありえない。
《神との対話3-P178》(一部省略)
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魂は、宿った人間の人生で、なすべき課題を完了すると、その個体から離れ、霊的世界に行きます。それが「死」なのです。
神性を体験したいと願って、人間に宿ったのですから、人生を歩んでいるときも、魂は神性を体験するという大仕事を、喜び楽しんで行っているのです。
そしてそれを完了して霊的世界に行くときは、新たな旅立ちをするように、その個体を喜んで離れるというのです。
したがって、死を悼む必要はないし、悼んでほしいとも魂は思わないというのです。
ただし、死を悼むことは、故人に敬意を表することであり、決して無意味なことではないともいっています。
〈つづく〉
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