6-19 《安楽死を自殺と同じと見なすことはできない》
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安楽死を自殺と同じと見なすことはできない。
あらゆる医学的な証拠からみて、どう考えても終わりが間近い人生に終止符を打つことは、まったくべつの種類の判断だよ
《神へ帰るP125》(一部略)
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『神との対話』は、「安楽死」について述べています。
6-18《わたしは罰したりしない。愛するのだ》で書きましたように、『神との対話』には、「自殺」は否定的に書かれています。
「自殺者は罰せられることはないが、物質的世界の、のがれようとした状況に再び戻ってきて、また一からやり直すことになる《神へ帰るP118》」といっているのです。
ニールはそれに続く文脈で、「人生に終止符を打つための手助けを頼むひとについては、どうですか?」と、「安楽死」についても質問しています。
「安楽死を自殺と同じと見なすことはできない。あらゆる医学的な証拠からみて、どう考えても終わりが間近い人生に終止符を打つことは、まったくべつの種類の判断だよ《神へ帰るP125》」と神は答えています。
死にゆく過程に起きる苦しみと尊厳の喪失から、本人を解放するために死を早めることは、自殺とは全く別ものだというのです。
このように『神との対話』には、「安楽死」は肯定的に書かれているのです。
「安楽死」は一般的に、積極的安楽死と消極的安楽死に分けられています。
前者は薬など何らかの手段をこうじて死期を早めるものをいい、後者は無理な延命処置はしないというものを意味しています。
『神との対話』が言及している「安楽死」は、この両者を含めているものと考えられます。
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