6-18 《わたしは罰したりしない。愛するのだ》
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あなたがたは発ガン物質を吸入して自分のシステムを毒し、化学物質で処理された食物を口にしてシステムを毒し、呼吸する大気を汚染しつづけてシステムを毒している。
長い時間がかかるから、この自殺は罰されない。もっと即効性のある毒だったら、倫理と法に反すると言われる。
いいかね。迅速に自分を殺すことが、ゆっくりと自分を殺すよりも倫理に反するわけではないのだよ。
(自殺者を)わたしは罰したりしない。愛するのだ。
《神との対話3-P183》(一部略)
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そのひとたちも神に愛されていて、決して見放されることはない。
《神へ帰るP113》
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『神との対話』には、「自殺」について語られています。
キリスト教などの一般的宗教では、「自殺」は禁止されています。
特にキリスト教では自殺は重罪であるとして、かつては、自殺者は教会の墓地に埋葬することも許されなかったといわれています。
『神との対話』では、「自殺者は罰せられることはない」といっています。
早く寿命を縮めること(自殺)はダメで、タバコの健康被害のようにゆっくり縮めるなら大丈夫だというのは、おかしな理屈だと神は指摘しているのです。
しかし、「自殺者を神が罰することはない」といっても、自殺自体に問題がないということではありません。
『神との対話』では、下記のように、「何かからのがれるために人生を終わらせても、何からものがれられはしない」ともいっているのです。
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自殺は、人生を完了させるためではなく、そこからのがれるために死を選択すること。
悲しいことに、自分の人生に終止符を打つひとたちは、これでものことが変わると想像しているが、じつはそうではないのだよ。
何かからのがれるために人生を終わらせても、何からものがれられはしない。
だから肉体的な生命/人生を離れても何からものがれられず、また肉体的な生命/人生に、つまり、のがれようとした状況に戻ってくるだけだ――ただし、戻ってきたらまた一からやり直すことになる。
《神へ帰るP118》(一部略)
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たとえ自殺を考えるほどの厳しい状況だとしても、それは本人が果たすべき課題を完了するために用意された状況だというのです。
その課題を完了せずにのがれたとしても、課題そのものはなくならないのです。
再び物質的世界の、のがれようとした状況に戻ってきて、また一からやり直すことになるというのです。
さらに、 「8人生(5)地獄」で書きましたが、地獄は、霊的世界における特定の場所を示すのではなく、魂の最低レベルを反映する霊的世界で、人間自らが創造するものなのです。すなわち、霊的世界に地獄という所はありませんが、地獄のような経験をすることはあるのです。
死ぬ時、個体のエッセンス(個別性)はそのまま持っていきます。自殺するほどの悲惨な心理状態を反映する世界は、いわば地獄のような世界といっても過言ではないのです。
〈つづく〉
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