6-10 《聖なる審問》
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絵が展覧会のように壁にかかっていて、あなたはこの「画廊」を ゆっくりと歩きながら、絵を一枚一枚、眺める。
絵を深く見つめているうちに、あなたはその絵のなかで起こったすべてを経験する。あなたに起こったことだけでなく、その絵のなかの全員に起こったことだ。
《神へ帰るP374》(一部略)
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「聖なる審問」に「進みます」と答えれば、即座に霊的な領域に移動し、そこで「光」と合体したときに経験したものとして「自分自身を知り」はじめる。
《神へ帰るP444》(一部略)
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死の第3段階では、神と一体化して、終えたばかりの人生を、自分だけでなくそれに関わった全ての人々の視点で、その人生を振り返ります。
これは臨死体験者がよく語っているところです。
『神へ帰る』のP376には、英国人女性がニールに語った臨死体験談が載っています。
妊娠 7カ月の彼女は、水疱瘡にかかり瀕死の状態に陥ったのです。救命処置がほどこされる間に、彼女は人生を振り返る臨死体験をしたのです。
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ぱらぱらアニメが始まったのです。
始まったとたん、登場人物に気づきました。それはわたしの人生の映画でした。
わたしはそのぱらぱらアニメのひとつひとつのシーンを感じとって、魂の底から衝撃を受けました。
そのシーンは一瞬で過ぎ去るにもかかわらず、そのひとつひとつがもつ力のすべてを、まるでもういちどそれを体験しているように、しかも自分だけでなく関係者全員の魂が受けた影響を自分のなかで体験しなおしているように感じたのです。
《神へ帰るP376》(一部略)
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人生を振り返ることによって、再創造したい新たな自分像を決める、つまり新たに体験したい「神性」を選択するというのです。
そして、神の「審問」を受けます。
「あなたはとどまりたいか?進みたいか?」と質問されるのです。
「死」の時点で、霊的世界に進むか、今来た元の物質的世界に戻るかの選択は、人間の自由だといっています。
課題がまだ完了していないと考える人間は、その時点では物質的世界に戻ることができるのです。
物質的世界に戻る魂は、実は大変多く見られ、臨死状態や危機一髪の状態は、こういう場合だというのです。
著者ニールも、これまでの人生で3度、死んでから物質的世界に戻っていると神は指摘し、ニールは驚いています。
「死」のプロセスが完了するのは、この「聖なる審問」の時に、人間が霊的世界に進むという選択をして、霊的世界に入った時なのです。
この時、「死」が完結した(臨死状態ではなく、ほんとうに死んだ)ことになるのです。
これとは反対に、霊的世界の人間が物質的世界に戻る時にも(輪廻転生)、この「聖なる審問」を受けるというのです。
〈つづく〉
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