6-9 《死は段階というか局面を追って経験される》
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死は段階というか、局面を追って経験される。
第一段階の死の瞬間、あなたはただちに生命が続くことを経験する。
自分は「死んだ」が、生命は終わっていないことがわかる。自分は身体ではないということに充分、それにたぶん初めて気づくのが、この瞬間だ。
その後にたちまち死の第二段階に移る。
第二段階では死後に起こると信じていたことを経験する。これは瞬間的に起こる。
そして前進する。死の第三段階へね。
《神へ帰るP169》(一部略)
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『神との対話』は、死のプロセスは3段階あるといっています。
第1段階で、自分は物質的な身体ではないことに気づきます。これはすべての人間に起きます。
第2段階では、死ぬ時に抱いていた信念(死ぬとこうなると信じる事柄)を経験します。
例えば、死んだら自分の愛する人たちに会えると信じる人はその経験をし、天国に行くと信じている人は、自分が思い描く天国の情景を経験するのです。
死んだら全てが無になると信じる人は、眠っているときと同じような、何も無い情景を経験します。
しかしいつまでも眠っていることはなく、やがて他の魂たちが目覚めをうながしてくれるのです。
米国バージニア大学兼中部大学教授の大門正幸氏(国際人間学)は、自著『なぜ人は生まれ、そして死ぬのか』(宝島社、2015年)のP274で、次のように述べています。
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死後の生命や生まれ変わりを信じて生きた場合、もしそれらが事実だったとしたら、死後に愛する故人と再会し、魂の成長を喜び合い、この世での学びについて見直し、またワクワクしながら次の人生に向けて出発することができます。
もし死が終わりに過ぎなかったとしても、その時に意識はなくなっているわけですから、困ることはありません。
一方、唯物論を信じて生きた場合、死が終わりであれば問題ありませんが、もし死後の生命や生まれ変わりが存在したとすれば、準備不足にあわてふためいてしまうかもしれません。
死後の生命や生まれ変わりを仮定した人生観がお得だと言えるでしょう。
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つまり、死ぬ時の信念体系(信じている事柄)が、死の第2段階での経験に反映されるのであれば、死後の世界を信じていた方がお得だといえるといっているのです。
さらに『神へ帰る』P355では、死の第2段階では物質的世界との行き来が可能で、第2段階の魂は物質的世界をよく訪れているといっています。
しかし第3段階になると、物質的世界との境界の扉は閉められ、行き来はできなくなるのです。
その死の第3段階で、魂は『神の審問』を受けるのです。
〈つづく〉
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