5-30 《ホームレスの姿をした〈マスター〉に出会うかもしれない》
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今日にもあなたは、山上の導師ではなく街頭の女性ホームレスや、公園のちんぴらの姿をした〈マスター〉に出会うかもしれない。それどころか、山上の導師という〈マスター〉に出会うことはめったにない 。
だから気をつけていなさい。いつあなたの〈マスター〉が現れるかわからない。
《神とひとつになることP219》(一部略)
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ニール:ボーリング場を開いている聖人っていないんですか?お笑いタレントに導師はいないんですか~
神:冗談だろう?いくらでもいるよ。
《神へ帰るP48》
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『神との対話』では、「マスター(師)」は色々な所にいるといっています。
「マスター」とは悟りを開いた神に通じる人間をいっています。
私たちは、マスターのような人物と聞くと、宗教集団の教祖や修道者を連想してしまいますが、そうとは限らず、 かえってそうでないことの方が多いといっているのです。
時には思いもかけぬところに、例えばホームレスの中にも 、コメディアンの中にも、マスターはいるといっています。
マスターがいつ目の前に現れ、 自分を導いてくれるのかは分からないので、私たちはいつも注意を払っていなければならないのです。
4-58《何をするにしても、レッテルを貼ったり、決めつけたりするのは避けなさい》で書きましたように、人物や物事に対して、すぐにレッテルを貼ることをしてはいけないのです。
レッテルという先入観、色メガネでそれを見ると、せっかく自分の成長のために起きている出会いや出来事を、チャンスととらえることができず、見逃してしまうのです。
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