5-28 《みんな、ぼくの神さまを見においで》 反対しても怒らない神
3)反対しても怒らない神
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神:ここで話していることには、賛成しにくいと思うのかな?
ニール:そうですねえ……。
神:それならそれで、いいんだよ。
ニール:えっ、いいんですか?神さまに反対しても、いいんですか?
神:あたりまえだ。わたしが何をすると思ったのかね?ハエみたいに叩きつぶすとでも?
ニール:まさか、そこまでは考えていませんでしたが。
神:いいかな。すべてが始まったときから、世界はずっとわたしに反対してきた。世界の誕生以来、わたしの言うとおりに従った者はほとんどいないよ。
ニール:そう、そうなんでしょうね、きっと。
神:いま、わたしに反対したいのなら、かまわないから反対しなさい。
《神との対話2-P274》(一部略)
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上記の文は、神とニールが、経済の話しをしているところに出てくるものです。
ニールが、「あれとこれとは、どうもちがう感じがしてならないんです」と、神のいうことに異論を唱えます。
「ここで話していることには、賛成しにくいと思うのかな?」と、その異論に対して神は聞いているのです。
「それならそれで、いいんだよ」
神はそう答えるのです。
驚いてニールは、叫びます。
「えっ、いいんですか?神さまに反対しても、いいんですか?」
『神との対話』で語られる神は、愛であり許しであり、いつもそばにいて見守る神であり、こうせよと要求しない神であり、反対しても怒ったりしない神なのです。
これまで宗教で語られてきた神は、こうしなさいと要求し命令する、そしてそうしない時は怒り裁き、糾弾し、罰し、地獄にも堕とすという恐い神だったのです。
人間は神性を体験するために、この世で人生を歩んでいます。
神の宇宙創造の基本原則に、自由があります。人間は自由意志によって自由な行動をとることによって、無限にある神性を体験しているのです。(参照:4章4-30《最高の自由を経験することによってのみ最高の成長が達成される》)
人間は、自由によってのみ成長が達成されるのです。
したがって神の考えに反するからといって、怒ったり罰したりする神ではないというのです。
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