5-26 《みんな、ぼくの神さまを見においで》 ユーモアの神
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みんな、ぼくの神さまを見においで、ぼくの神さまを知ってくれ、と言うでしょう!
《神との友情上-P125》
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上記の文は、ニールが「自分が書いたこの本で色々な人々が影響を受けると思うと、行動を控えめにする 必要があると思っている」ということを神に告白するくだりに出てくる文章です。
「控えめにしなかったら、どんな行動をすると思う?」という神の問いに対して、ニールは次のように答えているのです。
┌《神との友情上-P125》
いちばん高い屋根のてっぺんで、とうとう愛することのできる神を見つけたぞ、と怒鳴るでしょうね!みんな、ぼくの神さまを見においで、ぼくの神さまを知ってくれ、と言うでしょう!人生で出会うひとすべてと、あなたについて知ったことを分かち合うでしょう!あなたへの恐れから解放し、お互いへの恐れから解放してあげるでしょう!死の恐怖からも解放してやる!
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つまりニールは、『神との対話』をする中で、今まで語られてきた神とは違った、友だちのような親しみのある神を実感し、みんなに「ぼくの神さまを見においで」と訴えているのです。
このように『神との対話』には、ニールが人間的に描いた「神の性格」が、随所に書かれています。
それらを抜粋して、簡単に説明してみます。
1)ユーモアの神
『神との対話』では、ユーモアを語る神が描かれています。
①《ユーモアを編み出したのは神だよ》
┌《神との対話1-P85》
神は笑えないと思っているのか?神にはおもしろいジョークがわからない?神にはユーモアがない?とんでもない、ユーモアを編み出したのは神だよ。
わたしと話すときは、ひそひそと話さなければならないか?俗語や荒っぽい言葉を使ってはいけないと思っているのか?親友と話すように、わたしと話してかまわないのに。
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ニールが昔、「神はサラミ・サンドイッチである」という本を書こうと思った時に、それは神の冒涜だと感じ、書くのをやめたことがあります。
「愉快に神を描くのが神を冒涜することになるのか、そんなことはない」と神はいっているのです。
②《わたしにはすばらしいユーモアのセンスがある》
┌《神との対話1-P120》
ニール:驚きました!感動しましたよ!
神:神が感動させなくて、誰が感動させるのか。地獄の誰かかな?
ニール:あなたは、いつもそんな軽口をたたくのですか?
中略
神:わたしが軽口をたたいたってかまわない、そうではないか?
ニール:わかりません。神さまというのは、どっちかっていえばまじめな方だと思ってましたから。
神:頼むから、わたしを堅苦しい枠に閉じこめないでくれ。それに、あなたもそんな枠に閉じこもらないほうがいい。わたしにはすばらしいユーモアのセンスがある。あなたが人生でやってきたことを見ると、あなたにもなかなかユーモアのセンスがあるようだ。
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「あなたがたは善であり、慈悲であり、同情であり、理解だ。あなたがたは平和であり、喜びであり、光だ。-中略-あなたがたはそういう者なのだ。そして、たまには、自分がそういう者だと気づくことがあった。これからは、いつも、自分はそういう者だと理解していなさい。《神との対話1-P118》」という神の言葉にニールは、「驚きました!感動しましたよ!」と叫びます。
神は前々から、「地獄というものはない」と再三ニールには説明しています。
それなのにここで、「地獄の誰かかな?」と神は冗談をいっています。
ニールがその冗談を聞いて、「神はそんな軽口を叩いていいんですか」といっているのです。
③《ユーモアは大好きだ》
┌《神との対話2-P272》
ニール:ほんとうに政治的意見をおもちなんですか?もしかしたら、共和党の党員証を持ってたりして?驚いちゃいますよ!神さまが共和党員だなんて。
神:民主党員のほうがいいと思うかい?おやおや(Good God)!
ニール:うまい!いえ、そうじゃなくて、ノンポリのほうがぴったりくるんですよ。
神:わたしはノンポリだよ。政治的意見など、もってはいない。
ニール:まるで、ビル・クリントンみたいだ。
神:そう、そうだよ!うまいことを言うじゃないか!ユーモアは大好きだ。
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ニールは政教分離(政治と宗教を分離し、互いに干渉することを禁止すること)の観点から、「神は政治的なことはいわないものと思っていた」と指摘します。
それに続いて展開されるのが、上記の、神とニールのユーモア溢れる対話です。
神はどんな価値判断もしない、つまり人間の価値判断や選択に干渉はしません。したがって政治的な価値判断もしないのです。
そう神が語るとニールが、「まるで、ビル・クリントン(民主党の元大統領)みたいだ」と、冗談をいっているのです。
④《笑うことは魂のために良いんだよ》
┌《神との友情上-P104》
ニール:あなたは、心理学者になったらよかったんだな。
神:心理学を発明したのは、わたしだよ。
ニール:わかってます。冗談ですよ。
神:わかっている。「冗談です」というのは、ひとが......。
ニール:もう充分ですったら!
神:そのとおり。充分だね。いや、冗談だよ。
ニール:笑わせてくれるんだなあ。ご存じでしたか?
神:笑わせてくれる?あなたこそ、笑わせてくれるよ。
ニール:そこが好きなんだな。ユーモアのセンスのある神が。
神:笑うことは魂のために良いんだよ。
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このくだりは、「エゴの肥大は自分が好きでないしるしだ」と、神とニールがエゴについて語り合うところに出てきます。
冗談が好きで笑うことの好きな神が、ここに描かれています
以上、ここに記した神の性格( もちろん人間的に見た)は、これまで宗教で語られてきた神の性格とは大きく違っています。
これまで語られてきた神は、愛の神といいながら、怒りっぽく嫉妬深い神、こうしなさいと要求し命令する神、そしてそうしない時は裁き、糾弾し、罰し、地獄にも堕とす恐い神でした。
『神との対話』で語られる神は、愛であり許しであり、いつもそばにいて見守る神であり、こうせよと要求しない神であり、ユーモアをいって笑う神です。
⑤《なにしろ神だからね》
┌《神との対話2-P39》
神:反応(reactive)と、創造(creative)、この二つの言葉をくらべてごらん。二つが同じ言葉であることがわかるだろう。cが移動しているだけだ! cが正しい場所にあるとき、あなたは反応するのではなくて、創造する。
ニール:なるほど、うまいことをおっしゃる。
神:なにしろ神だからね。
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4-20《反応するな、創造しなさい》で書きましたように、反応と創造の違いを神はニールに説明しています。
反応(reactive)と創造(creative)の違いは、cの位置が違うだけだというのです。
ニールの「うまいことをおっしゃる」に対して、神はユーモアたっぷりに、「なにしろ神だからね」といっているのです。
このようなユーモア溢れる神に出会ったニールが、「みんな、ぼくの神さまを見においで」と叫びたくなる気持ちは大いに共感できるものと思われます。
〈つづく〉
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