5-24 《内面的な人生にぜんぜん関心を払わない》
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多くのひとたちは「その道を歩く」ことなどまったく念頭になく、人生を生きている。学ばない。祈りもしない。瞑想もしない。内面的な人生にぜんぜん関心を払わないし、もっと大きな現実について真剣に探ろうとも思わない。
《神へ帰るP73》
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内側で孤独を感じていたら、自分の内側で不完全さを感じていたら、見つからないものを外で探しても、一生かかったって見つかりはしない。
《明日の神P376》
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内側へ入っていかなければ、からっぽで出ていかなければならない。
《神との対話1-P65》
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『神との対話』では、自分の内面(心の深いところ)に、もっと関心をはらいなさいといっています。
目に見える世界だけではなく、もっと深大な世界、つまり魂や神、霊的な世界に関心をはらいなさいといっているのです。
内側に入っていけば、自分の外側に何も必要でない自分を、知ることができるというのです。
多くの現代人は、自分の内側に足りないものを必死に外側に求めています。依存はその典型です。
自分の内面(心)の不足を、外側のもの(他人や物質的なもの)で充たそうとすることが依存であり、その病的なものが依存症なのです。
外側のものに依存していて、人間の心は満たされるものではないのです。
『神との対話』には、内側に入る方法として、以下のように書いてあります。
┌《明日の神P252》
瞑想でも、心をこめた祈りでも、沈黙のうちに耳を澄ませることでもいいから、自分のやりやすいやり方で「内側」に入ることから毎日を始めるといい。
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┌《明日の神P2565》(一部略)
定期的に霊的なインスピレーションを求めて、魂を強く育てることだ。
聖なるもの、聖なるインスピレーションを受けたものを尊重する方法を探し求めなさい。自分に合っている方法なら、何でもいい。
定期的に教会や寺院、モスク、シナゴーグに通ってもいい。
日々、自然とふれあったり、静かな場所で自分自身を見つめたり、良い音楽を聴いたり、詩や文学を読んだり、そのほか何らかの方法で生命、つまり神の存在の神秘の表現にふれる時間をもつといい。
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瞑想については、『5-12 《しばらくのあいだ、ただ「存在」しなさい》』を参照してください。
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