5-19 《わたしの意志があなたの意志だと言ったことはない》
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わたしの意志があなたの意志だと言ったことはないよ。
わたしが「あなたの意志はわたしの意志だ」と言っても、わたしの意志があなたの意志だということにはならない。あなたがつねにわたしの意志を実行していたら、悟りを開くためには、もう、何も必要ない。プロセスはそこで終わりだろう。あなたは到達すべきところに到達したということだ。
あなたが、わたしの意志以外のことは何もしない、という日が来たら、それは悟りの日になる。
《神との対話2-P23》(一部略)
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上記の文は、『神との対話』の中で、「神」と「人間」の意志について語られたくだりです。
そこでは、「あなた(人間)の意志はわたし(神)の意志だ」ということと、「わたし(神)の意志があなた(人間)の意志だ」ということとは、同じではないといっています。
神との対話が始まった当初、ニールはこれらを混同していたので、その違いを神が教えているのです。
「あなたの意志はわたしの意志だ」というのは、人間の意志すべては神の意志になるということです。
人生において、神の分身である人間が、その自由意志によって神性(神自身)を体験していくのが、神の宇宙創造の目的です。
人間を通して、神は自分自身(つまり神性)を体験しているのです。
人間の自由意志は100パーセント許容され、人間の意志すなわち神の意志になるのです。
しかしその逆に、神の意志すべてが人間の意志になることは、人間(魂)が完成の域(悟り)に到達しない限りありません。
神の意志を実感的に知るには、イエス・キリストのような相当高次に成長したマスターでないと不可能なのです。
したがって、神の意志すべてが人間の意志になることは普通ではありません。
これは、6-3《魂は、計画どおりの経験ができるようにと、正しい完璧な機会にあなたを導く》で書きましたように、「魂」と「精神」の関係と似ています。
魂レベルの意志と、精神レベルの意志とは、必ずしも一致しません。高次に成長していない精神レベルでは、魂の意志を感知できないからなのです。
〈つづく〉
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