5-18 《他人の解釈を受け入れているほうがはるかに楽で安全だ》
┌----------
多くのひとは、神が特別な方法で、特別なひとにだけコミュニケートすると信じている。そのために、自分で神のメッセージを聞く責任はないと思っている。
神の言葉は誰かほかのひとが聞いていると決めつけ、そのひとたちの言うことを聞いているのだ。
神の言葉を聞いたというひとたちの言うことを聞いていれば、自分で考える必要はなくなる。
自分自身が神のメッセージを受けとったと認めれば、自分で考え、実行する責任が生じる。他人の解釈を受け入れているほうが(たとえその他人が2000年前の者であろうとも)、いまこの瞬間にも受けとっているかもしれない神のメッセージを解釈しようと努力するより、はるかに楽で安全だ。
《神との対話1-P19》(一部略)
└----------
『神との対話』では、多くの人は、神や生命、人生について、他人(例えば、神父などの聖職者)のいうことを聞いている方が、楽で安全だと考えて、自分で考えようとはしないといっています。
神の言葉を聞いたという人たちのいうことを聞いていれば、自分で考える必要はなくなるし、自分が神のメッセージを受けとったと認めれば、自分で実行する責任が生じるからです。
5-13《わたしはすべての者につねに語りかけている》で書きましたように、神は特定の人にだけに語るのではなく、すべての人に語りかけています。
問題は、神が誰に語りかけるかではなく、誰がそれを聞こうとするかなのです。
真の霊的成長を望むなら、教会に行って聖職者の説教を聞き、懺悔さえすれば赦されるとしている、今日の宗教的慣習を改めなさいといっているのです。
そろそろ他人任せは止めて、 自分の内なる声に耳を傾け、自分自身で自分の真実を探したらどうかと、『神との対話』は私たちに誘いかけているのです。
〈つづく〉
*〈いのうげんてん〉からのお願い:神・生命に関心のおありの方に、当ページを紹介いただけましたら嬉しく思います。→http://ncode.syosetu.com/n6322bf/