4-48 《魂のレベルではべつのことを求めている》
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神:自分のために選んだことを、ひとにしてやればいい。豊かであろうとするなら、ひとを豊かにしてやりなさい。
それも、真剣にすること。自分の利益のためではなく、ほんとうにひとのためになろうと思うこと。そうすれば、すべてはあなたに返ってくる。
何かを与えると、自分がもっているものを与えるという経験ができるからだ。自分がもってもいないものを与えることはできない。だから、精神は自分について新しい結論を出す。新しい考え方をする。自分はもっているにちがいない、そうでなければ与えられはしないから、と。
この新しい考え方があなたの経験になる。あなたの状態になる。
ニール:どうして、自分のために選んだものをひとに与えるとき、真剣でなければならないんですか。
神:下心があって、自分が手に入れる方便としてひとに与えると、あなたの精神にはそれがわかるからだ。いま、自分がもっていないから、だから与えるんだとね。宇宙は巨大なコピー機だから、あなたの考えを物理的なかたちで、つまりあなたの経験として再生する。そうすると、あなたは、「もっていない」状態を経験しつづける。何をしようと関係なく!
《神との対話3-P34》
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ニール:わたし自身の人生で起こったことさえも、すべて意図されたことだとは思えません。多くの場合、意図せざる結果が起こっているような気がします。
神:どんな結果も意図せざるものではないよ。予想しない結果は多いだろうが。
ニール:意図した結果が、どうして予想のつかないものなんですか?意図した結果なら、予想しないはずはないでしょう?
-略-
神:自分が意図することがはっきりしていないとき、そうなる。
ニール:つまり、「自分はこれこれのことを意図している」と思っても、じつはべつの意図がある、ってことですか?
神:まさに、そのとおり。物理的なレベルでは、特定の結果を求めていると信じているかもしれないが、魂のレベルでは、べつのことを求めているのだよ。
神との友情上-P140
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『神との対話』では、自分が意図したことの結果が、意図とは違ったものになる理由を説明しています。
第一には、「下心がある」つまり、裏で意図と異なる思いを持っていると、そちらの方が実現するということです。
だから、何かを意図する時は真剣でなければならないというのです。100パーセントの思いで意図しなければ、意図と違った結果が出現するというのです。
第二に、人生では必ず、魂の意図したことが結果として出現します。
したがって精神の意図と魂の意図が異なる場合、精神(人間の顕在意識)からすれば、意図しない結果になったことになります。しかしそれは、魂の意図の結果ですから、その人間にとって最善の結果であると受け入れることが大切だというのです。
┌-神との友情下-P133
わたしは天使以外の何ものも、あなたがたに送っていない。
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〈つづく〉
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