表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『神との対話』との対話  作者: いのうげんてん
5章 日常生活に役立つ神言集
107/225

4-6 《たとえ、何もしなくても、生きる権利がある》

┌----------

ひとには生きていく基本的な権利がある。たとえ、何もしなくても、生きる権利がある。何も貢献しなくても、生きる権利がある。尊厳をもって生きることは、ひとの基本的な権利である。


70年間、何もせずに詩を考えていたあげく、何千人もの人びとの理解と洞察の扉を開くようなソネットを、たったひとつだけ生み出したとしたら、その人生は浪費だろうか?

《神との対話2-P265》

└----------


 『神との対話』では、「たとえ、何もしなくても、生きる権利がある」といっています。


 ただ「生きている」だけで意味があるというのです。


 人生の本質は、神性の無数の側面を体験するところにあります。人生に起こる様々な出来事は、その材料でありツールなのです。


 神性を体験するために人生を歩んでいるのですから、体験するチャンスをなるべく多く生かした方が良いのは当然です。


 しかし、「何もしないから生きている意味がない」ということではありません。現実世界に生きているだけで、意味のあることなのです。少なくとも現実を体験しているという、意味があるのです。


 人間には大きく成長する者、それほどでもない者など様々な人がいます。


 それは本質的に見れば、成長が早いか遅いかというだけのことで、全ての人間は様々な道を通って、いつかは必ず神に至るのです。近道をするか、遠道をするかだけの違いなのです。


 生きているだけで、神性を体験するという人生の目的を、その人なりに果しているというのです。



*〈いのうげんてん〉からのお願い:神・生命に関心のおありの方に、当ページを紹介いただけましたら嬉しく存じます。→http://ncode.syosetu.com/n6322bf/


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ