4-2.2 《あなたが真実だと思ってる価値判断のなかで、体験にもとづいたものはごくわずかしかない》
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あなたが真実だと思っている価値判断のなかで、体験にもとづいたものはごくわずかしかない。あなたがたは体験するためにこの世に生まれ、その体験を通じて自分を創りあげるはずだった。ところが、他人の体験から自分を創りあげている。
あなたがたは自分で体験するまで待たず、他人の体験を(文字どおり)福音として受け入れ、実際の体験をするときには、すでに知っていると考えていることをなぞる。
そんなことをしなければ、まったく違った体験ができるのに。その体験は、教師や情報源のほうが間違っていると教えてくれるかもしれない。だいたいあなたがたは親や学校、宗教、伝統、聖書を間違っていると考えたがらない。だから、教えられたと思うことを受け入れて、体験のほうを否定する。
《神との対話1-P88》(ー部略)
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『神との対話』では、自分の経験、体験を大切にしなさいといっています。 自分の体験によって自分自身が成長していくのです。
私たちは自分の体験からはこうだと思うのに、他人の体験の方を重視してしまいがちです。
世の中の常識や習慣、宗教、教育などは、過去における他人の体験によって作られた集積産物なのです。
私たちがこの世に生まれてきたのは、無数の神性を体験するためです。
しかも個人個人によって人生で体験すべき神性(つまり課題)は異なっています。
せっかく固有の体験をするために生きているのに、自分の体験より他人の体験の方を優先してしまうと、神性を体験するという人生の意義は半減してしまうのです。
それをセックスを例えとして述べています。
┌《神との対話1-P89》(ー部略)
誰でも、性的体験が人間の行為のなかで最も愛すべきで、胸躍る、力強い、昂揚する、新鮮で、エネルギッシュで、前向きで、親密で、一体感のあるものだと知っている。
それなのに、あなたがたは他人が考え出した性に関する判断、見解、考えのほうを受け入れる。
そういう見解、判断、思考は体験と真っ向から対立するのに、あなたがたは教師が間違っていると考えるのがいやだから、間違っているのは体験のほうだと自分に言い聞かせる。その結果、あなたがたは真実を裏切り、そのために、破壊的な影響が生じている。
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自分の体験ではセックスは素晴らしいものだと感じているのに、宗教・倫理などの他人の判断を受け入れて、セックスは恥ずかしいものだ、汚らわしいものだと考えてしまうというのです。
〈つづく〉
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