表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『神との対話』との対話  作者: いのうげんてん
5章 日常生活に役立つ神言集
103/234

4-2.2 《あなたが真実だと思ってる価値判断のなかで、体験にもとづいたものはごくわずかしかない》

┌----------

 あなたが真実だと思っている価値判断のなかで、体験にもとづいたものはごくわずかしかない。あなたがたは体験するためにこの世に生まれ、その体験を通じて自分を創りあげるはずだった。ところが、他人の体験から自分を創りあげている。


 あなたがたは自分で体験するまで待たず、他人の体験を(文字どおり)福音として受け入れ、実際の体験をするときには、すでに知っていると考えていることをなぞる。


 そんなことをしなければ、まったく違った体験ができるのに。その体験は、教師や情報源のほうが間違っていると教えてくれるかもしれない。だいたいあなたがたは親や学校、宗教、伝統、聖書を間違っていると考えたがらない。だから、教えられたと思うことを受け入れて、体験のほうを否定する。


 《神との対話1-P88》(ー部略)

└----------


 『神との対話』では、自分の経験、体験を大切にしなさいといっています。 自分の体験によって自分自身が成長していくのです。


 私たちは自分の体験からはこうだと思うのに、他人の体験の方を重視してしまいがちです。


 世の中の常識や習慣、宗教、教育などは、過去における他人の体験によって作られた集積産物なのです。


 私たちがこの世に生まれてきたのは、無数の神性を体験するためです。


 しかも個人個人によって人生で体験すべき神性(つまり課題)は異なっています。


 せっかく固有の体験をするために生きているのに、自分の体験より他人の体験の方を優先してしまうと、神性を体験するという人生の意義は半減してしまうのです。


 それをセックスを例えとして述べています。


┌《神との対話1-P89》(ー部略)


 誰でも、性的体験が人間の行為のなかで最も愛すべきで、胸躍る、力強い、昂揚する、新鮮で、エネルギッシュで、前向きで、親密で、一体感のあるものだと知っている。


 それなのに、あなたがたは他人が考え出した性に関する判断、見解、考えのほうを受け入れる。


 そういう見解、判断、思考は体験と真っ向から対立するのに、あなたがたは教師が間違っていると考えるのがいやだから、間違っているのは体験のほうだと自分に言い聞かせる。その結果、あなたがたは真実を裏切り、そのために、破壊的な影響が生じている。


└----------


 自分の体験ではセックスは素晴らしいものだと感じているのに、宗教・倫理などの他人の判断を受け入れて、セックスは恥ずかしいものだ、汚らわしいものだと考えてしまうというのです。


〈つづく〉


*〈いのうげんてん〉からのお願い:神・生命に関心のおありの方に、当ページを紹介いただけましたら嬉しく思います。→http://ncode.syosetu.com/n6322bf/


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ