25)リンと高貴なお坊ちゃま06
アンジェロが話してくれたことを整理すると、予想外の人物がやって来たとリンは思った。
実の父親が迎えに来るとか、アンジェロを預かっている父方の祖父か、父方の祖父に命じられた使用人が迎えにくるとか、は想像していたのだ。けれど、母方の祖父とは思っていなかった。
「……カラーチェ様、お呼びだていたしまして申し訳ございません」
スイングドアが動く音がし、ジュリオの声が室内に響いた。続いてアンジェロとミケーレ、その後ろにルカが続く。
「いいや、連絡を下さってありがとう、ジュリオ隊長。まさか、こんなことになっているとは、全く気が付いていなくてね」
アロルドはそういうと、アンジェロの前で膝をついて目線を合わせる。
「アンジェロ、私はキミのお母さんのお父さん、お祖父さんだ」
「……お祖父様? お母様の方の?」
「そうだよ。覚えていないのも仕方がないね、私がキミと顔を会わせたのは数回しかなかったし、キミはとても小さかったから」
同じ銀色の髪、同じ青色の瞳、鼻と唇の形、顎のライン……二人はやはり、よく似ていた。
聞けば、アンジェロがコマドリ亭にやって来た時からジュリオは「おかしい」「異常だ」と思っていたのだという。
まだ幼いアンジェロ、その従者であるミケーレも十六歳であり見習いの立場だ。子どもと見習いの従者、預けられた家から二人きりでカッチーニ山の山道入り口までやって来る。日帰りのピクニックであったとしても、当然大人が付き添うものだ。
アンジェロは父方の祖父である先代男爵に預けられているのだから、従者が数名、護衛が数名ついてもいい。だというのに二人きりで何日も連泊した挙句、男爵家から迎えもなければ連絡すらないのだ。
ジュリオはこれを見過ごせなかった。自身が父親であるからこそ、「そういう家風なのだろう」「保護者も承知で、その為の金なのだろう」と終わらせることはできなかったのだ。
そこで、誰に連絡を取るべきなのか……アンジェロやミケーレへの聞き取り、家族構成などを調べ、アンジェロの家族への信頼度などを検討した。
父親は仕事ばかりで家庭を見ていない。
義母はアンジェロを自分の子どもと認めていないし、義母に仕えている使用人たちも同じだ。
預けられた父方の祖父母はアンジェロを孫と認識してはいるものの、現在最愛の末娘のお産とその夫の浮気、浮気相手の襲来とでゴタゴタしており、アンジェロを構うことが難しい。
結果、母方の祖父であるアロルド・カラーチェに連絡を入れることを決めた。
「お祖父様と僕、同じ色です」
「そうだね、私と同じ色だ。娘を介して受け継いでくれたんだね、とても嬉しい。……アンジェロ、少し私と話しをしてくれるか」
「はぁい」
アロルドは微笑み、アンジェロを抱き上げる。アンジェロもすぐに笑顔を浮かべ大人しく腕の中に納まった。
「さて、リンさん、昼食をお願いしたい。ミケーレと三人分、それと、部屋をお借りしても?」
「……もちろんです。奥にアンジェロ坊ちゃまがお使いの部屋がございますので、そちらへ。昼食は部屋へお届けします」
「わかった、頼んだよ」
リンはアンジェロとミケーレ用に用意していたオムライスプレート(オムライス・ハムを乗せたグリーンサラダ・白身魚切り身のミニフライ・オニオングラタンスープ)と、本日のランチメニューであるエビと魚のフライにタルタルソース、サラダ、スープ、ライスをアロルド用に用意し、奥の部屋へと運んだ。
数日滞在しているアンジェロとミケーレの部屋で、三人は楽し気に話す。会話は弾んでいる。リンの運んだ昼食を見て喜び、アンジェロはオムライスを口いっぱいに頬張って食べてくれた。
アンジェロは嬉しそうだ。
これがアンジェロ本来の姿なのだろう。よく話して、よく笑って、たくさん食べる。
父親と義母の家でも、父方の祖父の家でも、アンジェロ本来の姿を見ることはできない。
きっとこのまま、アンジェロは父方の祖父の元へ行くのだろう、そんな気がした。そして、それは現実のものとなる。
昼食を取りながら話し合った結果、アンジェロはアロルドと共に行くことが決まった。ミケーレは一度男爵家に戻るが、彼もアロルドの元へ向かいたいという意思の確認が済んだ。
アロルドの仕事の都合上ここでのんびりもしていられず、荷物を纏め次第出発するという。
わかっていたのだ、まだ幼いアンジェロには保護者が必要だ。学校に通って学び、同世代の友人と交流し、武術や馬術などの習い事もある。カッチーニ山の山道入り口にずっと居ていいわけがない。
滞在期間も一週間と長いとはいえない時間だ、けれど離れるのは寂しい。
ミケーレが荷運び用に借りていた山アルパカは、警備隊の方で返却することが決まっているから心配はいらない。二人の荷物を馬車に乗せ、バディーニに戻る。ミケーレは一度そこで別れるが、アンジェロとアロルドは船に乗り、アロルドの暮らす地方都市へと向かう。
その地方都市がアンジェロの暮らす新しい街になる。
「……」
アンジェロの頬は膨れていた。過発酵したパン生地か、焼いて膨らんだ餅のようだ。
「アンジェロ坊ちゃま……」
「……」
なにも言わず、アンジェロはしゃがんで視線をあわせたリンに抱き着く。じわりとブラウスに熱いものが滲むのを感じた。
アンジェロがコマドリ亭から旅立ち、これから暮らす場所へ向かう。リンにはそれが喜ばしいが寂しい。その気持ちがリンの一方的なものではないことを、アンジェロの涙が教えてくれる。それが嬉しい。
「たくさん食べて、たくさん眠って、たくさん笑って、たくさんお喋りをして、たくさん絵を描いて、たくさん勉強して、たくさん遊んで、健やかにお過ごしください。そして、お祖父様のような素敵な紳士になってください」
「……ん」
「また絵を描きにいらしてください。今度はご家族と一緒に」
「……約束」
「はい、約束です」
アンジェロは顔をあげ、リンの頬にキスをすると駆け込むように馬車の客車に乗り込む。その様子を見た全員が苦笑いを浮かべた。勢いをつけなければ離れることが難しいのだろう。子どもながらに考えた方法だった。
「皆さま、大変お世話になりました。慌ただしい出発になってしまったことも、大変申し訳ない。また改めて、ゆっくりご挨拶に参ります」
「いいえ、坊ちゃまが元気で健やかに過ごせる場所へ行く。それが一番嬉しいことですから。なあ、リン」
「はい」
アロルドとミケーレが最後に改めて礼を述べ、馬車はバディーニ港街に向かって出発した。
リンは馬車を見送り、ルカはなにも言わずにリンの隣に立ち続けた。馬車が見えなくなるまで。
アンジェロは母方の祖父母の家に居を移した。
義父であるアロルドからの報告を受けたアンジェロの父は慌てて、アンジェロの元へ駆けつけた。そしてそこで実家の父母の対応と、後妻と使用人たちのことを聞き知ったのだった。
実家の父母には抗議の手紙を送り、後妻と使用人たちには直接聞き取りを行い……そして、報告内容が事実を知って激怒したのだという。
後妻はなぜ夫がそんなに怒るのか、全く理解ができなかったらしい。
「わたくしの生んだ子ではないのですから、わたくしの子としては扱えません。ただ、旦那様の子息であると使用人には伝えましたわ」
このひと言で父の後妻への気持ちは一気に凍り付いた。
後妻は優しくなくなった夫、そう思わせた継子を不満に思い、気晴らしに新しいドレスと装飾品と靴を買い揃えて夜会に出かけたという。
豪華だが重たくて動きにくいドレス、ドレス着用時のコルセット、美しく華奢なデザインのハイヒール。会場で夜遅くまで過ごすこと、提供されるアルコールに濃い味付けの食事、くるくると舞うダンス。それらは貴族令嬢として生まれ育った後妻にとっては当たり前にあるものだ。だが、お腹で育つ命を危険に晒すものでもあった。
その結果、小さな命はこの世界を知ることなく神の国へと旅立ってしまう。
現在、夫婦は離婚協議中だという。
アンジェロの父は職場を辞し、住まいと拠点をアンジェロが祖父母を暮らす街へと移している。未だアンジェロと共に暮らすことを義父からは認められていないが、週末には必ず顔合わせて食事を取り、出かけたり勉強したりしているらしい。
「……アンジェロ坊ちゃまが楽しく、元気に暮らしているならそれでいいですよ」
リンはアロルドから送られてきた礼と近況報告の手紙を読み上げたルカにそう言った。そして、アンジェロ直筆の手紙を手にして微笑む。
封筒にはぎこちない文字で〝リンへ〟と書かれている。文字の練習中それでも、自分の書く文字より綺麗だとリンは思う。
読んで貰った手紙の内容はアロルドの元に行ってからやったことの報告が主だ。
剣の練習を始めたこと、家庭教師がついてマナーや歴史などの勉強を始めたこと、最近見た演劇のことなど。アンジェロが楽しそうでなによりだ。
「お返事が書きたいですけど……私、文字が……」
「練習しろよ。目標があった方がやる気が出るだろ?」
七歳の子どもに負けたら恥ずかしいだろ、お坊ちゃんの方が綺麗に字を書くってさ。
馬鹿にしたようなルカの顔も憎たらしく、見返してやりたいという気持ちもあったが……アンジェロに自分で手紙を書きたいと思ったから、リンは毎晩文字の練習をすることを決めた。
夜、文字の練習として書いたのは自分の名前だ。〝リン〟と書いた文字は書き慣れないぎこちなさと、使い慣れないペン先が紙に引っかかり酷く歪んだものになった。
アンジェロの書いた文字よりも拙い。
この文字がいつか、人の目に入っても問題ないくらい整うものなのか。リンは少し不安になったが、気を取り直して再び名前を書いた。
二度目に書いたものは最初の文字よりも、少しだけうまく書けた気がした。
お読み下さりありがとうございます。
評価、ブックマーク、リアクションなどの応援をして下さった皆様、本当にありがとうございます。
引き続きお付き合いいただけますと嬉しいです、よろしくお願い致します。




