なぜ軽視されてきたのか
2026/02/18
執筆
宗教やスピリチュアルや占い系の話は、科学的に解明や証明がされていないため、眉唾なイメージが付きまとい、信じる人は一部でしょう
それでも自分自身が体験し、体感や実感したなら、どれだけ常識だと言われていても、違和感は付きまといます
何かがおかしい、と目には見えず証明の難しい感覚が、けれど確かに「ある」とわかるもの
この感覚は、わかる人にしか解りませんし、咄嗟の言語化が難しいので、説明が出来ずに共有することが困難です
なのに、わかる人同士だと、詳細な言語化の説明は必要なく通じたりもします
それは超能力的な話しじゃなくて、長年連れ添った夫婦や会話をよくする家族や恋人が、名詞を省略して「あれ取って」と言って通じるジャンルの話です
同じ認識があるからこそ、多くを語らなくても共通認識として意思疎通が出来るんです
身体的な、物質的な、病院の診断書等のような証明出来ることのみを信じる風潮がありますが、同時に精神的な面の思いやり、おもてなし、察する、ということも、証明しずらいにも関わらず出来てわかって当然という風潮もあります
これはジャンルが違うので、イコールではないんですが、明確にわかってる人は実はあまりいないんです
空気を読むみたいなジャンルは、相手をわかってる、自分もわかられてる、相互理解が成り立っている関係、或いは共通認識を熟知している一定の集団間にしか伝わらないんです
転校生、新入社員、中途採用、お嫁に行った、婿に入った、養子になった等々、新たに少数人数が一定の共通認識のある集団の中に入った時の疎外感や、ついていけない暗黙の了解、それを理解していない集団とで、摩擦が起きるんです
精神論ではなく、仕組みの話しになります
このことを多くの人が知っていたなら、そういうもの、と理解も出来ますし、フォローも出来ますが、それは経験から来る個人の采配に委ねられているのが現状で、仕組みとして成り立ってはいません
社会の中にある今の風潮だと、覚えが悪い、空気が読めない等、新たに入ってきた者に対しての非難や評価に移行してしまうのは、とても残念なことです
そんな日常の中で、自分自身を1番に考えたなら、どの集団とも上手くいきません
その集団の共通認識を覚えるまで、違和感を感じるたびに心や感情を切り離しながら、学び続けなければいけないからです
要領のいい人は、早く馴染めるでしょう
それは家庭環境や学校等で培った、人間関係を円満に構築する経験を出来ている、ごく一部の人は早いかもしれません
大多数の人が、家庭、学校、社会にクラスチェンジする度に、より負荷が多くなっていきます
心を感情を押し殺し、周りに合わせることを正解として、違和感を無視し続けます
一部の人は上手くガス抜きが出来たり、自分自身を知って多少のメンテナンスが出来るでしょう
出来ない人は、メンテナンスが出来ずに心や身体を病んでいくんです
精神的な面を含め、自身を適切にメンテナンスをする必要性を知らない人が、無理をし続け、そのやり方でまた人を育てていくからです
無理をしている人が、無理をさせる教育を施す悪循環です
詳細はまた次章で掘り下げますが、精神的なものは気持ちだけに留まらず身体症状にまで出てきます
だからこそ、自身で心身のメンテナンスを適宜行って行く必要があり、それを1人でゆっくり出来る環境が必要なんです
それはたとえお互いを深くわかりあえている人だけがいる空間だったとしても、空間あるいは意識的に1人になれる環境が必要です
普段から自分自身を知っている人はともかく、外部刺激が雑念に繋がってしまって、上手く自身を知れずに回復や癒しをどこにおこなう必要があるかが、わかりにくくなってしまうからです
ではどうやって実行していったらいいのか?
ここまで詳細は説明してきたので、次は実践と実感に移っていきましょう
2026/02/18 23:56
加筆、修正




