試験優勝者
関節外しは、これで確か二度目だったろうか。
激戦を終えたイチカと華隠は、学園長からの厚意で、プール横にあるシャワー室の使用を許された。
肌を叩くぬるま湯の心地良さが、強張った神経を解してゆく。
途中、2,3度、意識が飛びかけた。
それでも、入浴前に飲んだ救命丹が効いてきたのか、視界は澄み、大小、身体のあちこちの打ち身が痛みを訴え始める。
シャワーの温度調節を、一気に『温』から『冷』へ。
冷水で10秒間、心身を引き締めてから更衣室へと戻る。
匂い対策に、着替えを余分に一着持ってきたのが幸いした。
訓練用の軽装服へと袖を通していると、遅れて華隠がシャワー室から出てくる。
なんとなく気まずさを感じて、互いに言葉はない。
彼女の場合、試験用の晴れ着一枚のみなので、学園備品の乾燥機から、乾きたての一張羅を取り出すと、綺麗に洗った小麦色の裸身を、ボロの戦闘衣で着飾った。
痛々しく解れた糸や、袖の所々に空いた穴が、戦闘の激しさを雄弁に物語る。
理由はないが、二人一緒に更衣室を出る。
灯りを消す時、パチン……とスイッチを切り替える音が、うら悲しく耳に響いた。
体育館に入ると、中では、臨組生徒たちの様々な感情が渦巻いていた。
驚き、感動、嫉妬、審議結果への興味。
みな一様に体面を保って、遠巻きにイチカ達を見つめるばかりである。
その中をイチカがしょんぼりと、華隠は飄々とした空気で後頭部に手を添えてまっすぐ歩く。
横向き二面のバスケットコートを半分ほど過ぎた辺りで、希更が、壇上前から肩を揺らしてイチカに駆け寄る。
「藤森さん!」
元気よく飛びだす親友の姿に、イチカを覆う陰鬱な翳りが晴れた。
「あっ、希更ちゃん! もう動いても平気なんですか?」
希更はリタイア直前の苦しさを感じさせず、生き生きとした様子で返す。
「ええ。東雲先生の調合薬と、空気が綺麗な所で休んだ御蔭で、すっかり良くなったわ」
「でも、校庭は火の海だったんですよ。平気な所なんてあったんですか?」
すると、学級委員の愛里とこのえが、体育館の中央で三人を迎える。
「ここは避難所でもあるし、獅堂さんと柳沼さんの神通力で、煙の侵入を防いでいたのよ」
術を使い続けた疲労から、このえは少し窶れた笑みで、イチカの健闘に感嘆を
漏らした。
「藤森さん。貴方、本当に最後まで生き残りましたのね……」
イチカの頬が一瞬弛むが、不安が残る結果を思い出して、心の痼りが疼きだす。
「でも、絶対に勝ったとは言い切れないし、私、希更ちゃんにも悪い事しちゃって……」
鬱々と歩みを続けるイチカの横で、のほほんとした顔の華隠が、負けず嫌いに
口を開いた。
「まっ、あちしを本気にさせた事だけは認めてやるだわさ。希更も、今回だけは
素直に諦めて、学期末の中忍試験の時にでも、忍術伝法の儀をまとめて受けるわさ」
呑気な捨て台詞のあと、壇のすぐ下、金岡あきえが無責任な発言に拳を震わせる。
「焰……。貴方、こんな時に、まだそんな事を……!」
少し前までは同類だった理乃が、両手を頭上に振って、あきえの正面に回り込む。
「チョットあきえ、ストップ、ストーップ! 華隠はいま戻ったばかりで、なんにも知らないんだから」
理乃の仲裁の意味が分からず、華隠は腰に手を当てて、奇妙な顔で立ち止まった。
「知らないって、成績評価の事だわさ? もしかして、イチカ以外にピンチの奴でも他に居るとか……」
当たらずとも遠からずの答えに、愛里とあきえが伏し目がちに告げる。
「いいえ。此処にいる人は、結果待ちの貴方たちと水野さん以外、全員合格よ」
「愛里は当然として、成績ピンチのアタシですら、技術点の加算で合格。言い方悪いかも知んないけど、試験で自信のない人ほど、普段の出席率が良いからね。落とすための成績評価じゃないし、当たり前っちゃあ、当たり前なんだけど……」
7人全員が壇上前に集合すると、華隠はウンザリとした心境で疑念を漏らした。
「それなら結局、なにをそんなに張り詰めてるんだか……。たかが一度の失敗くらいで」
「それが……。水野さんにとっては、数ある内の一つでは済まされないんですの」
このえが待機中に聞いた話を説明すると、華隠は目と口を大きく開けて、慌てふためく。
「んなっ!? なななななななっ!? 希更がくのいちを辞めさせられるぅ~!?」
その話はすでにクラス中に知られており、沈黙すれこそ、改めて驚倒する者は
一人も居なかった。
希更は胸の前へと両手を重ねて、不安そうに事実を訴える。
「ええ、そうなの……。父との約束で、身体を気遣って忍びの世界を引退するか、私の意思を尊重して学園に通い続けるか、この進級試験に懸かってたの」
衝撃の内容に加え、もはや取り返しの付かないこのタイミング。
華隠は罪悪感から両手で頭を挟み、体育館の天井を見上げて絶叫する。
「んが~ぁ!! そうと知ってれば、最後の所でリタイアしてやるべきだったぁ~!!」
戦闘中とは別方向の見苦しさから、愛里は、眼鏡のレンズを真っ白に曇らせて呆れる。
「流石の貴方も、クラスメイトの強制引退には後ろめたく感じるのね」
「あちしが知ってたのは、イチカと教頭の密約のみ。単位だけなら技術点でガッポガッポと稼げるし、事情を知ってりゃ、とっとと希更たちに華を持たせてやっただわさ!」
するとその横から、理乃が拳を縦に揺すって弁解する。
「そうだよ。ボクだってそれだから、イチカに負けてやったのに!」
誰もが一瞬過ぎったことを、このえが的確に指摘した。
「嘘おっしゃい! 貴方、普段でしたら絶対に口にしない『くそう!』とか叫んで、戦闘中に悔しがってたじゃありませんか」
「べ~だ。副委員ちょの意地悪っ!」
理乃が場を崩して、このえが暗い雰囲気を掻き混ぜるが、イチカと希更は一言も発しない。
無神論者のあきえが、両手の指を交互に組んで神頼みを始めた。
「もうこうなったら、焰たちには悪いけど、水野っちのペアが勝つのを祈るばかりだよ」
するとその直後、壇上奥、『天の岩戸』と呼ばれる強固な壁板が開き、審査に加わった教師たちが横一列に整列する。
最後に、審査委員長の五部学長も其処に加わり、列の中央でマイクのスイッチを入れた。
「皆さん、永らくお待たせしました。つい先程、最終対決の勝敗と採点が終わりました」
どちらともなく、イチカと希更は、互いの指を絡め合って不安を分かち合う。
「希更ちゃん。私達、一体どうなるんでしょう……」
「今はもう、私達の勝利を信じるしかないわ」
二人の覚悟が整うと同時に、五部学長の口から、試験結果が発表される。
「今回の試験優勝者は、『焰薙華隠・柳沼理乃』組!」
永遠とも思える長い沈黙。
喜びとか、喝采とか、そういった好意的な反応は一切なかった。
優勝分の遂行点を逃したという事は、イチカと希更の単位不足を意味する。
ややあって、坂本愛里が片手を挙げて異議を唱える。
「学園長。試験最後の瞬間は、私達もこの目で見ていました。あれは、見る限り相討ちです。それをどうして、焰薙・柳沼両名の勝利と言うのでしょうか?」
明確な反論にも関わらず、五部学長は落ち着き払った様子で返す。
「貴方たちの云わんとすることや、水野さん達の事情もよく心得ています。では、それを踏まえた上で、学年主任の臥龍先生から、試験の解説をお願いしましょう」
真横の学園長からマイクを受け取り、仁斎は軽く咳払いを入れる。
「え~。それではこの儂、臥龍仁斎から、先の戦闘について解説しよう。まず、先手で藤森さんが目の醒めるような一撃を加えた点は、見事と言うより他にない。じゃが、忍びの務めは目的を果たしてなんぼの物。制限時間や技ありといった、被害判定の蓄積ならともかく、あの攻撃一つでは意味をなさない。従って、勝敗の基準は、最後の一撃に左右される」
仁斎は眼下の生徒を一瞥し、全員の理解が追い着いているのを確認すると、本題へと移った。
「審査の焦点となったのは、武器と斬撃の相性じゃった。焰薙華隠の持つ武器は使い慣れた大太刀であり、藤森イチカの武器は、その場に有り合う、尖った棒を使った即席の槍。これだけでも焰薙さんに分があった訳じゃが、そこに攻撃範囲が加わり、優劣がハッキリした」
生徒達の様子からは、反論の意図が感じられない。
仁斎は威厳のある口調で話を進めた。
「焰薙さんは『斬撃』という広い面状攻撃なのに対し、藤森さんは『突き』という、非常に狭い狙いであった。どちらの刃が先に届くかで結末は違ってこようが、確率の上では、焰薙さんの攻撃が藤森さんを仕留め、藤森さんの突きは外れていた可能性が高い」
再び仁斎は言葉を短く切ると、審査上、最も重大な点へと触れる。
「なにより、藤森さんの攻撃で一本を取るには、あの状況なら、敵の急所を突くより他にない。しかし即席とはいえ、切断された鉄棒の切れ味は本物。当たれば、死は免れない。ルールの上でも、藤森さんが勝利する要因はなかった。以上が、試験優勝者、選定の理由じゃ」
長い解説を終えて、臥龍仁斎は五部学長へとマイクを戻した。
舞台中央から斜め下、説明に耳を傾けていたイチカは、暗い表情で項垂れる。
無意識とは言え、あのとき自分は、クラスメイトに殺意を向けていたのだ。
失望と後悔が胸の底へと積み重なって、澱のような淀みに変わる。
イチカの物悲しい呟きが、シンと静まり返った講堂内に響いた。
「それじゃあ、私と希更ちゃんは不合格……。くのいち、辞めないと行けないんですね」
すると学長の口から、淡泊にも、思い掛けない言葉が返される。
「いいえ。貴方たちは、不合格ではありません」
またしても場内がシ~ンと静まり返り、そして、たった一言に生徒たちの気持ちが集約される。
「「はっ?」」




