不滅の誓い
嘆くごとに、祈るほどに、イチカの胸に、苦境に抗う反骨心が燃え上がる。
見苦しく、力の限りに抵抗して後ろに飛ぶが、着地に失敗して無様に倒れ込んだ。
転倒に遅れて、大腿部に強い抵抗を感じる。
疼く痛みと予期せぬ味覚を同時に感じて、イチカは、世界が罅割れたようにすら錯覚する。
「うわっ、酸っぱ! なにコレ!? なんで撒き菱ぃ~!?」
忍具携帯、基礎中の基礎。
撒き菱は、必ず専用の外装ポーチに入れること。
それを守らなかったばかりに、転倒のショックで撒き菱グミを太腿で圧迫して、忍術ダメージを自ら喰らったのだ。
しかし、この危機に降り掛かったのは、鎖鎌の模造刃ではなく、理乃の苦悶であった。
「ふグゥ!! いったいなんだ、今の……」
とつぜん理乃が膝から崩れ落ち、氣術維持の集中力が途切れる。
(鎖が緩んだ? よし、今なら出られる!!)
イチカは鎖の輪から滑り出し、斬空刀を拾い上げて距離を取った。
絶好の機会を逃した理乃は、仕切り直しの態勢を整える。
「イチカの奴、なにをしたのか知らないけれど、次は同じようには行かないよ!」
絡まった鎖を氣道殺で解き戻し、距離を保って、イチカの隙を用心ぶかく窺う
理乃。
対するイチカも、相手の動きを警戒しながら、脱出直前の異変を振り返る。
(いったい、どうして鎖が緩んだんだろう……。アレは単なる鎖じゃない。理乃さんの氣術が乗った、言ってみれば、理乃さんの身体の一部。それに、私とまったく同じ反応……)
と、イチカは其処まで考えて、彼女の脳裡に、特殊忍具の開発者である、伝吾の言葉が反芻される。
『その上この撒き菱は、相手忍者の陽忍術を一時的に暴走させて、強制使用の状態にするんだ』
(私の身体を通して、陽忍術の力が鎖に伝わる……。そしてさっきの、理乃さんの技……)
自分の正面、鎖鎌を旋回させて氣を練る理乃に注目しながら、彼女の漏らした
言葉を回想する。
『氣術が乗った鎖を、生身のイチカが破れる訳ないじゃないか……』
二つの出来事は、決して偶然などではない。
イチカは自分の掌を呆然と見つめて、思い掛けない可能性に打ち震える。
(まさか私にも……、その氣術が使えるの!?)
そもそも木製とはいえ、雲梯ほどの重量物を、生身の力で運搬するのは無理がある。
そう考えてみると、校舎内へと逃げ込む直前、兵糧丸代わりの麩菓子を口にした時から、陽忍術の覚醒は始まっていた。
注意を逸らしたイチカの隙を、理乃の鋭い声が打つ。
「余所見してるなんて、余裕だねっ!!」
反射的に右へ跳んで鎖鎌を躱すと、足下では、あきえ対策に使用した撒き菱グミが、自分を使えと云わん許りに、己が姿を誇示していた。
(たとえ忍具一つ取っても、この一ヶ月間、私と出会った何もかもが、無駄な事じゃなかったんだ……)
苦しくも充実した日々を思い出して、不図、笑みが零れた。
イチカは視線を正面に戻して、奥歯を強く噛み締める。
胸に込み上げる強い決意が、忍術修業を志した一ヶ月前、希更が叫んだ言葉と
重なった。
「苦しくても良い。辛くたって構わない! たとえ見苦しく足掻いてでも、私は、この試練を乗り越えてみせる!!」
イチカは足下に撒き菱グミをバラ撒くと、自らそれを踏み付けた!
熱を伴った電流が全身を駆け巡り、苦痛が体内を充溢する。
『ぐううぅぅぅああぁぁあ!!』
イチカは苦しみ悶え、両手を地面について跪く。
怪訝に思った理乃が、イチカへ向けてまっすぐ廻燕鎖をくり出した。
「イチカめ、乱心した? なら、今すぐボクが楽にしてやるよ!」
歪む形相、震える肉体。
イチカは有らん限りの力を振り絞り、苦痛を跳ねのけて斬空刀を振り上げる。
苦心の一刀が、廻燕鎖を弾いた!
ヨロヨロと力なく立ち上がるイチカへ、廻燕鎖は狙いを修正すべく虚空をさまよう。
その鎌の途中、重力に逆らってまっすぐ延びる鎖に、イチカが無造作に左手を這わせた。
「自分から鎖を掴んだ!?」
イチカの奇行に困惑する理乃。
それは屋上や校庭に集う教師、果ては、体育館から戦局を見守る級友たちも同じであった。
しかし、その中でただ一人、イチカだけは己を信じている。
自分は、姉のように優雅にはなれない。
才能もなく、厳しい現実に醜く抗うだけの、一介の女子高生でしかない。
それでも、泥臭い日々から掴み取った経験と意志が、自分を特別な『何か』へと駆り立てる。
――私は……、忍者になりたい!!
覚悟の想いに、抗いの呪文を繋げるイチカ。
彼女は忍ヶ丘に来たことで、産まれて初めて、自分が何者であるかを知る!
「何故なら私は、藤森イチカ。たとえ道は険しくとも、一か八か、挑戦するのが私だから!!」
藤森家・誓願が打ち立てられた。
――この誓いは、決して破られる事はない!!
自身を規定する魂の咆吼が、イチカの中に眠る『五行の宝輪』を激しく回転させる。
全身から立ち昇る猛烈な闘気に煽られて、イチカの髪は一瞬逆立ち、
天を衝き、
闇を退く!!
屋上、二人の対決を見守る五部学長が、信じられない光景に金切り声を上げた。
「あれは、法術と氣術の兆候……。藤森さんは、自力で陽忍術に目覚めようとしている!!」
屋上の声が、校庭にまで響いた。
攻撃姿勢の理乃は、相手に止めを刺そうと鎖に氣を送るが、イチカが握った部分から先、先端の鎌が鉛直方向を向いて完全に沈黙している。
「あのイチカが陽忍術を!? …………くそっ、ダメだ。鎖が言うことを聞かない!!」
再び屋上、臥龍仁斎が、焦燥に駆られて瞬ぎもせずに呟く。
「莫迦な……。藤森さんは、陽忍術を使う素質がまったく無い筈じゃ!!」
三日前、五部学長が試みた触診検査法の結果とは明らかに矛盾する。
訓練中の記憶を必死に探る仁斎。
やがて閃いたのは、自作忍具の特殊性と、特訓を決意した愚民の森での誓いであった。
「そうか……。確かに藤森さんには、陽忍術の元となる術力が一切ない。しかし、術力の容量が空っぽなだけに、忍具の力を借り受けることは容易い。そしてあの誓願……。あの誓いこそ、藤森さんが術を使うための呪文……。言わば、発動の鍵なんじゃ!!」




