遁走術(とんそうじゅつ)
緑地帯を出たイチカは、丸太造りの柵と裏庭の間道を進んで、裏門傍の分岐点で停止する。
正面の闇は、体育館脇を巡る学校敷地の境界。
左側は、第1体育倉庫と校舎前を横切る遊歩道だ。
対してすぐ右側は、戦闘領域を完全に外れた裏門なので心配する必要はない。
敵の待ち伏せを警戒して前後・左に注意を走らせると、用心したはずの前方から、明るく澄んだ声が聞こえた。
「へっへ~。イチカ見っけ♪」
「その声は、あきえさん!」
月光に照らされて、足甲手鉤に鉢金姿の格闘忍者・金岡あきえが現れる。
「あったり~♪ そう、アタシだよ」
(ぜんぜん気が付かなかった……)
表情は強張り、こめかみに皮膚が張り付く。
相手は完全に気配を消せるみたいなのだ。
焦るイチカとは対照的に、あきえの顔には軽妙さが窺える。
登校一番の挨拶でも交わすように、あきえは気さくに掌を振ってみせた。
「……にしても、イチカもやるね~。てっきり、初めの方で殺られるとばっかり思ってたのに」
一瞬、刀を抜いて対峙しようと思ったが、相手の空気から敵意は感じられない。
戦いを避けられるものなら、避けるべきだろう。
イチカは肩の力を抜いて、呑気に近況を語る。
「さっき、獅堂さんにも同じようなことを言われました。やっぱり私と希更ちゃんって、皆さんに狙われてるんでしょうか?」
普段の感覚で話しかけると、あきえの気配が急速に尖る。
「なんだって? イチカ……。アンタ、このえと会ったのかい?」
「あっ、ハイ。さっき獅堂さんと戦って、なんとか勝ちました。だからこれから、希更ちゃんと合流しようと…………って、うわあ!」
シュカ! と足下に小柄が打ち込まれ、イチカは左に跳んで、渡り廊下の踏み切りに着地する。
「あきえさん、いきなり何するんですか!」
――思ったよりも、相手の息が上がってない。
やはり威嚇ではなく、奇襲攻撃で早めに始末しておくべきだった。
あきえはイチカの抗議を無視して、敵意を漲らせる。
「イチカ……。これでもアタシは、貴方に遠慮してたんだよ。勝手に忍ヶ丘に連れて来られて、忍術修業なんてツライだろうなって……。でも、これでハッキリしたよ。試験前、愛里がイチカを変に警戒してるみたいだったけど、アレは思い過ごしなんかじゃ無かったんだってね」
イチカは身を低く倒し、あきえの真意を確かめる。
「なら、どうする積もりですか」
「フッ、痴れたことを……」
わずかな沈黙を挟んで、あきえが体内の氣を練り高める。
すると、全身から白銀の陽炎が立ち昇り、周囲の大気を鈍重に揺らす。
左足で地面を踏み抜き、中腰に構えて拳を前へ。
あきえは戦闘準備を整えると、柳眉を逆立てて大喝する。
『本気で戦うまでさ!!』
今の自分では、忍術なしで格闘家に立ち向かうのは危険だ。
イチカは周囲を軽く窺った拍子に、右後方、水道手前の側道に、キラリと光る
人影を見た。
(アレは、華隠さんの金色刺繍の光!)
その瞬間、イチカの中で名案が閃いた。
正面を向いたまま、隠行状態でスッとうしろに身を翻す。
体表面の外側から校庭の闇に音もなく溶ける様は、獅堂このえが後方離脱する動きに似ていた。
――コイツ、明らかに成長している……。
実戦経験を積むたびに、相手の技を無意識に学び取っている!
接近戦を想定していたあきえは、意表を突かれて出遅れた。
「待て!」
同じ逃走でも、氣術で運動力を高めた方が速い。
イチカの隠行が、あきえの注視によってすぐさま破られた。
8メートル程に距離が縮まると、イチカが小石のような物を地面にバラ撒く。
形状からして、どうにもソレは撒き菱には見えない。
「そんなガラクタで、アタシを止められるかぁ!!」
あきえは、先の丸まった円錐形のソレをお構いなしに踏み散らす。
すると、数個まとめて踏み潰した拍子に、足裏から疼くような痛みが走り、予期せぬ酸味が口に広がる。
あきえは堪らず、前へと踏み出し損ねた左足から地面に崩れた。
「うあぁぁぁぁ!! なんなんだ、コレっ!?」
喋りながらも、転倒と共に相手の追撃を予想して転がるが、前方に敵の姿は見当たらない。
「この局面で逃げた!? でも、校庭にいる限り、コッチからは丸見えだよ!」
イチカを追って正面のバスケットコートまで走り、枝垂れ柳を土台にして氣術跳躍。
隠行状態を最大レベルに高めて夜空へ身を隠し、校庭全体を俯瞰する。
校庭南、プール横の平均台に沿って東へ逃げるイチカを見付けた。
「そこか……」
不敵な笑みで呟き、敵の位置を特定するあきえ。
ところが反対に、校舎前にある野球用のバックネット裏から、お祭り声の戦闘狂に発見された。
「ああぁぁぁ~!! あきえを発見だわさ!」
「焰!? どうしてイチカじゃなくて、アタシの方が見付かるんだよぅ!」
焦りと悔しさから、語尾を小さく捻るあきえ。
交戦意欲の高い華隠が、瞳を爛々と輝かせた。
「なにを頓痴気なことを……。そんなに闘志を剥き出しにしてちゃ、決闘志願にしか見えんだわさ」
「このアタシが!? どうして……」
華隠に指摘されて、自分が隠行不発を来していることに初めて気付いた。
氣術解放が強制されて、自分の意志で制御ができない。
着地の瞬間、衝撃を和らげる氣術の余剰エネルギーが解放されて、全身の関節から稲妻状の銀光が迸る。
考えられる事は、たった一つ。
能力異常の原因は、イチカの忍具に違いない。
してみるとこれは、異なる敵を同士討ちさせる、非常に高度な遁走術だ。
怒りに我を忘れたあきえは、目の前の虚空へ向けて憤怒の形相で叫ぶ。
「イチカめぇ……。やってくれたなぁぁぁぁ!!」
・合成忍術2種『〇〇一勁』
木火土金水のうち、相生する2つの要素を混ぜた陽忍術。
下忍時代では1つの要素しか使えないため、まずは五行属性を時計回りで瞬時に切り替えて、最終的には2種同時行使による中忍昇格を目指す。
例外として、下忍が練丹薬によるドーピングで2種同時行使を行うが、その場合は相生関係にある『氣術+練丹術』、もしくは『法術+練丹術』の2通りに固定される。
(名称例)
氣術 + 霊術 → 水氣一勁・~(技名が続く)
神通力 + 法術 → 法神一勁・~




