熱風
イチカは出現直後で待機中の一体を放置して、前部ポケットから癇癪玉を取りだし、2体に直接投じて横に伸身跳躍。
予備着火の必要もなく、炎熱体の炎に反応して癇癪玉が弾けた。
木片が周囲に散乱し、幻影を吹き消して爆風をまき散らす。
イチカは横転から身を起こすと、残る一体を片付けようとして動きが止まった。
『◎Π☆§⊥……』
炎熱体は痙攣を起こし、電子ノイズ状の雑音を喚いて我を失っている。
――棒立ちは危険だ。
イチカは炎熱体を両断し、『榛の木』の蔭に身を隠した。
攻防継ぎ目のない展開に、乱れた呼吸と気配を整えながら、直前の異変を考察する。
(よく分からないけど、さっきの幻影、混乱してたのかな?)
少なくとも、制御不能だったのは間違いない。
もしも、新たな炎熱体が出現と同時に接近していたら、癇癪玉と斬空刀の順番は逆だった。
――どうしてあの炎熱体は、すぐに動かなかったのだろう……。
答えの出ない問題が、頭をグルグルと回る。
視線は意味もなく樹上へと流れた。
(あっ、天狗どのが上にいる……)
腕組みのまま佇立し、全身に金色の光を浴びている。
わりと月が好きなのかも知れない。
しばしの間、戦場に静かな時が流れる。
ややあって、イチカは木立を抜ける緩やかな風から、人工的な清涼感を嗅ぎとった。
(アレ!? この匂いって、まさか……)
イチカは意識を切り替えて、『榛の木』の向こう側を注視する。
いつの間にか、段々畑には三つの炎熱体が再構成されて、今まさに虱潰しの探索を始めようとしていた。
その瞬間、イチカの中で全ての要素が繋がった。
陽忍術では、酸味は氣術、甘味は霊術、薄荷などの澄んだ香りは神通力に当たる。
イチカは再び頭上を見上げる。
天狗どのが術を使った様子はない。
(間違いない……。さっきの風は、獅堂さんの神通力なんだ。炎熱体は符術でも、制御の方は神通力……。風を乱せば、術は暴走する!)
炎熱体は、平面農園の探索に移っている。
炎を操る所までは見事だったが、相手が悪かった。
自分は、そんな火遊び如きでは負けない。
なんと言っても自分は、爆弾魔の称号を手にした魔女なのだから。
イチカは前部ポケットから癇癪玉を二つ取り出し、斬空刀で外部包装だけを剥ぎ取る。
癇癪玉の表面に亀裂を作り、内部の火薬だけを前部ポーチ内へと戻した。
そこへさらに脹ら脛の爽風薬を混ぜて、即席の発火剤が完成する。
(あとは、獅堂さんの隠れる場所を探さないと……)
意識を集中させて、特訓で磨いた隠行能力を発揮する。
この森以外で隠れられるエリアは三箇所。
一つは、北の段々畑最上部。
次に、中央の平面農園茶畑。
残る一つは、最初にこのえが隠れていた緑地帯の南西部。つまり、イチカの現在地に最も近い、見通しの森と平面農園の境界にある西の木蔭だ。
二つ目以外は、これと言ったポイントは絞れない。
せいぜい人間心理を読んで、東から突くと、反対側の西へと逃げ込むのを狙うしかない。
(とにかく意表を突いて制御不能にさせれば、あとは順手の連撃で喰らいつける!)
炎熱体が、見通しの森に侵入した。
イチカは息を殺して東から回り込み、接近してくる敵を待ち伏せる。
(まずは一つ!)
イチカの急襲。
飛び出しざまの斬空刀の一閃が、間近の炎熱体を二つに裂いた。
二体目に向かう直前、段々畑から神通力による風が吹き下ろす。
仲間の撃破で敵の位置を特定した炎熱体が、拳を一斉に前へと突き出した。
そのままの勢いで炎は離れ、蒼い火球が水平に撃ち出される。
「そんなのアリぃ!?」
あわててイチカは、側方へとジャンプ。
落ち葉の上を横転し、樹木を盾にして、敵がくり出す炎弾を躱す。
炎熱体はその場で停止し、蒼炎弾を連発してイチカを釘付けにする。
あれでは、こちらから攻撃できない。
焦るイチカの傍で蒼炎弾が地面にぶつかり、乾いた落ち葉が焦げ臭く燻る。
(相手が火を使って攻撃するなら、コレを使うしかない!)
後部ポーチから真空玉を取り出し、炎熱体へと投げ付ける。
真空玉は敵に触れる直前、蒼炎弾の熱に反応して、炎熱体ともども、周囲の空気を吸い上げた。
「なんと!」
「くうううっ……!!」
天狗どのと、獅堂このえの驚愕が重なる。
一方、樹の幹に掴まって異常吸引を凌いだイチカは、見通しの森西部へと移動。
前部ポーチを外して、即席の発火剤を足下に少しずつ撒く。
(よぅし……。あとは獅堂さんを待つだけだ。火炎分身……、使ってこい!)
イチカの正面上方、段々畑の最上部西で、三つの炎熱体が出現する。
おそらく其処が、彼女が潜伏している場所だ。
イチカは匍匐移動しながら片手を動かし、真横に発火剤を撒いてゆく。
同じ頃、炎熱体の掃討探索が始まった。
イチカは、段々畑の中央主道から地べたを這って侵入すると、二段目の側道で停止する。
そろそろ発火剤が切れそうだ。
イチカはポケットをまさぐり、癇癪玉付属のマッチ棒に祈りを込める。
(これがうまく、ここまで飛べば……!)
念じること三秒、イチカは意を決して、東側、木造フェンス沿いの炎熱体へと駆け寄る。
「えぇぇい!!」
わざと大声を出して斬空刀を一閃、敵を火の粉へと変えた。
このえは、イチカとは反対に西側の主道を南下して、森の中へと潜伏する。
(風が吹いて遠距離攻撃が来る前に、ぜんぶ片付けないと!)
自立行動で反射的に接近する炎熱体に、一閃、二閃と、イチカは立て続けに敵を斬る。
まずは一撃、敵の頭部から股下めがけて大振りに斬り落とし、利き手を横に振り上げながら左足を前へと抜いて前進を再開する。
続いて二撃目、疾走途中に手首を返し、切先が平らな刃を後方へ向けて、下から上へと逆風の太刀で突進しつつ幻影を切り裂く。
神通力の風は、ついに吹かなかった……。
すべては、次の一撃で決まる。
イチカは戦闘体勢を解き、このえが隠れる西の木蔭に呼びかけた。
「そこに隠れているんですよね、獅堂さん」
返事はない……。
一瞬、二瞬と時は流れ、やがて反応があった。
見通しの森西部、獅堂このえが、三つの幻体を引き連れて月下に踏みだす。
自信ありげに胸の前で腕を組み、つと足を止めた。
発火剤はすぐ右下だ!
イチカの呼吸がショックに止まり、激しい動悸が、胸の内側で凶暴に暴れ回る。
このえの視線は足下にはない。
イチカが立つ、段々畑の上方に固定されていた。
「戦闘中に構えを解いて呼び掛けるなんて、降伏の意志と受け取っても宜しいのかしら」
尊大な口調で勝利を仄めかすこのえ。
おそらく単なる強がりだ。
彼女は、符術を完全にコントロールしてるとは言いがたい。
本来ならば、力の発動から自立行動に至るまで、一貫して符術で制御すべき所を、神通力で間接的に制御している。
あるいは、まだ秘策があるのかも知れない。
分身が炎弾を撃てるくらいだから、自爆だって出来るはずだ。
いずれにせよ、イチカは、これ以上の猛攻に耐えられる自信はなかった。
このえの挑発へ、イチカは無感情に首を振る。
「いいえ……。でも、これで終わりです」
斬空刀にマッチの燐を擦り当て、着火して放り投げる。
回転し、傾斜を描いて虚空を前進するマッチ棒。
火は消えることなく、終焉に向かって静かに揺らめいた。
――マッチ一本で何ができる?
このえは気のない様子で、イチカの行動を眺める。
感情が生まれたのは、マッチの先端が黒色粉末に触れた瞬間だった。
黄色の灯火が発火剤へと接触し、熱を加えて地面を焦がす。
炎は止まらない。
高速で地面を伝い、燃焼剤をひたむきに貪り進んで終極を目指す。
このえには、反応する暇もない。
突然、足下の火薬溜まりで小さな火柱が上がった。
炎熱で膨張した大気が、耐刃性のバトルスカートを乱暴に巻き上げる。
「キャアアアア!!!!」
このえの口から、夜陰を引き裂く壮絶な悲鳴が迸った。
(今がチャンスだ!!)
イチカは、斬空刀を順手に構えて前方に飛びだす。
すると、上空から天狗どのがイチカの正面に降り立ち、彼女の行く手を阻んだ。
「待たれよ、藤森殿!」
「天狗どの!? せっかくの隙なのに、どうして……」
「否! 試験は一時中断だ。アレを見よ」
八つ手の扇で示す先には、獅堂このえが蒼炎に包まれ、身を灼く姿があった。
「そんな……。足下で火柱が上がっただけなのに!」
「上昇気流だ、藤森殿。忍術媒体の力を得た気流に幻体が集まり、彼女に引火したのだ!」
符術は、陰陽五行の火属性に該当する。
同じ性質の炎熱自体が発動の鍵となり、術者の意志とは無関係に発動を続けているのだ。
このえは自身の符術攻撃を受けて、訳も判らず狂乱している。
「天狗どの、一体どうすれば、獅堂さんを助けられるんですか」
「拙僧に任されよ! オン・バサラ・キリク・アクア…………マリツ!」
宙をなぞる指が印を刻み、天狗どのが神通力を行使する。
すると、空を巡る大気のうねりが地上の熱気と合流して、局地的な旋風を生んだ。
神通力の竜巻が蒼炎を掻き消し、風の渦は四方の闇へと拡散した。
宙に浮いたこのえの身体は、地面へ無防備に叩き付けられ、衝突の余力で全身がバウンドする。
このえは、そのままピクリとも動かない。
どうやら気絶しているようだ。
生徒への不安に、天狗どのはハッキリとした口調で宣言する。
「判定勝ち。勝者、藤森イチカ殿!」
・忍ヶ丘南部
中央政府を撃滅すべし、という交戦意欲の高い土地柄。
住宅地のほぼ60%が忍ヶ丘の南西部に集中し、西の蓬莱山と秩父山岳の南端を
利用した桑畑と養蚕、更には放牧が盛んで、忍び大学や付属の大病院もある事から、忍術媒体の研究にも熱心である。
反面、守り部や忍術学園などの対策支部がなく、過去、数度に渡って集団戦や破壊工作による大きな被害を受けたため、各地で自警団を結成し、外敵の侵入に備えている。




