嘲笑と啖呵
イチカがクラスメイトを撃破した。
その事実は多くの級友たちを動揺させ、戦局に大きな変化を与えた。
各地で立て続けに、あきえ、華隠、理乃による撃破報告が飛び交う中、ただ
一人、水野希更の名前だけが挙がらない。
(特訓では水を操ってたし、やっぱり希更ちゃん、プールに隠れてるのかな?)
だとしたら、自分を追跡する委員長を早く撒いておきたい。
愛里と理乃が対峙する2分ほど前、イチカは購買裏の搬入口に沿って直進し、
焼却炉の前を横切って、校舎西、裏庭と緑地帯の間へとやってきた。
すでに陽は沈み、照明のない裏庭周辺は、天空の月影にほんのりと金色に輝いている。
正面では、丸太造りの高い柵が長方形の口をポッカリと開けて、イチカの侵入を待ち構えていた。
緑地帯と呼ばれるこの場所は、人の手が加わった森林地帯での修練を目的に造られており、北から段々畑、平面農園、見通しの森の三区画に分かれている。
イチカはその足下、緑地帯の入り口下部に、茶色い円筒物が仕掛けられているのを発見した。
「あれは地雷? あんなにこれ見よがしで、いったい誰が引っ掛かるんだろう」
イチカは助走を付けて跳躍し、伸身飛び込みで地雷を大きく飛び越える。
着地の寸前、前回り受け身をきめて捻挫を防いだ。
すると次の瞬間、二枚の小柄が宙を切り裂き、『カカッ!』と小気味よい音を
立てる。
間を置かず、入り口の落とし門が落下して、杭の先端が地面に突き刺さった。
「しまった、閉じ込められた!」
イチカはすぐさま振り返り、入り口の仕掛けに注目する。
入り口上部に突き立つ刃がロープの端を斬り解き、落とし扉の質量によって、
門を支える太い吊り縄が断裂している。
地雷の目的は、侵入者が戦闘領域を離脱しないための時間稼ぎであった。
フェンスの高さは6メートル。
柵の上部には、警邏用の歩行スペースと梯子が設置されている。
段々畑の頂上部からジャンプをすれば乗り移れる高さだが、ハシゴを伝って降りる時には、背中が完全に無防備となる。
「いったい誰が、こんなことを……」
イチカの問いかけに、背後の闇から挑戦的な声が返す。
「お待ちしてましたわよ、藤森さん」
「その声は、獅堂さん!!」
斬空刀を逆手に抜き、胸の前へと水平に構えて、声の方向へと注意を向ける。
茫洋とした遠くの闇から、スラリと長い手足が生えて、イチカの正面、程よく耕された柔らかい土の前に、獅堂このえの全身像を形作る。
ピンと真っ直ぐに伸びた指先と、揺らぎの少ない脚捌き。
キレのある歩みに白刃の鋭さを連想させて、イチカの相貌が緊張に引き締まった。
(まさか、希更ちゃんと合流する前に当たるだなんて……)
月光の下、女帝の美貌が酷薄に歪んだ。
「まったく貴方には、尽く尽く驚かされますわ……。最悪、ここに来る前にやられてしまう可能性も考えてましたのに、むしろ一人、撃破してくるんですもの」
緑地帯の出入り口は、東側の南北に一箇所ずつ。
どちらも落とし扉で封鎖してあるのか、このえがすぐに仕掛けてくる様子はない。
視線を素早く周囲に走らせたイチカは、前傾姿勢を維持して決意を語る。
「それは前にも言った通りです。私はこの試験に全力でぶつかり、絶対に最後まで生き残ってみせますと!」
このえはイチカへの期待に軽く鼻を鳴らし、顎を小さく跳ね上げる。
その顔には、涼しくも蠱惑的な笑みが広がっていた。
「あら、そう……。でも、それは無理というものです。なぜならこの私を倒さない限り、この訓練場からは逃げられないんですもの」
「でも、私たち二人で、どうやって勝敗を示すつもりですか」
このえに向けて放った問いを、頭上の何者かが答えた。
「それについては心配無用だ、藤森殿」
突如、両者のあいだを旋風が舞い、新緑の落ち葉が螺旋を描いて上昇する。
万葉の導きにしたがって視線を上げると、満月を背に、長鼻高下駄の修験者が、地面に悠然と降り立った。
「天狗どの! それじゃあ私達の決闘を、天狗どのが判定して下さるんですか?」
天狗どのは、八つ手型の巨大な扇をパタパタと揺らして、二人の正面から直角方向へと離れる。
「然様……。さきほど藤森殿が一人撃破したのを機に、残る生徒は、一気に半数まで削られている。ゆえに此処は、拙僧が付きっきりで判定致そう」
天狗どのの宣言を跨いで、騙し討ちを嫌うこのえが、律儀にも手の内を明かしてみせる。
「という訳で、遠慮も心配も無用です。それに貴方が気にかけるのは、判定員だけではありませんわよ」
このえは白く艶やかな指先に、三枚の呪符を走らせる。
「天地恒来、偉大なる万理の力。集いて、映したる我が身となせ……」
不意に霊符が、蒼白い炎に包まれる。
このえが札を前方に投げ払うと、蒼炎の札はしばし宙を舞い、炎が縦に膨れ上がった。
「これはっ!」
イチカは反射的に腕を交差して、炎の熱から顔面を庇う。
両腕の隙間から垣間見えるのは、地面を浮遊する獅堂このえの幻体3つ。
全身、服を着ておらず、流線型の裸身はあますことなく露わだが、輪郭のほとんどは、蒼炎の揺らめきによって細部を見通すことができない。
唯一、このえを象徴する怜悧な美貌だけが、寸分違わず再現されていた。
――燃え立つ氷の彫像。
矛盾する表現を許せば、三つの炎熱体には、冷熱二極の美が一つ所に存在していた。
「これってまさか、符術! やっぱり獅堂さんも、陽忍術に覚醒した者の一人だったんだ……」
三つの炎熱体の奥、本体の獅堂このえが艶然と微笑む。
「さぁ、これで戦闘準備が整いました……。念のために言っておきますが、この期に及んで、敵前逃亡なんて許しませんわよ、藤森さん!」
イチカは斬空刀を胸の前へと構え直すと、このえの嘲笑に啖呵をぶつけた。
「試験前に決闘を申し込まれたうえ、こうして待ち伏せされた以上、元より戦う
覚悟です」
「佳い返事ですわ……。いざ!!」
・忍ヶ丘東部
中央政府を敬して遠ざける現状維持派。
忍ヶ丘の南東部に位置し、敵地と接した最前線地域であることから、中央政府・陰忍・盗掘者に目を光らせやすい外交部門を担当。
幕末期から生きる忍ヶ丘の重鎮、五部紫彩と臥龍仁斎が所属するため、事実上、忍ヶ丘の最高機関としての趣が強い。
注意点として、忍ヶ丘の防衛や捕虜の戦後処理など、対外姿勢としての外交部分に強い権限があり、内政面や貿易に関わる中央政府との実務者協議は、明治時代からの慣習で、北部の近宮家や守り部が取り仕切っている。




