どうして彼女は選ばれたのか
戦闘の空気が霧散すると、母屋や樹木などの障害物から、ガサッと不審な物音が鳴る。
イチカは突然湧き上がった異音に注意を尖らせて、あわてて周囲を見回した。
「えっ!? い、今のはなんですか! もしかして、幽霊とか!?」
五部学長は、イチカの安易かつ珍妙な発想を聞いて、上品な笑いを奏でる。
「ほっほっほっ……。今のはすべて、中忍の娘らが、あなた達の戦いぶりを盗み見ていただけですよ」
「えっ、上級生の方達が周りに居たんですか? 私、ぜんぜん気が付きませんでした」
「皆、忍術伝法の儀を済ませた実力者ばかり。それに貴方達は、目の前の戦いに
心血を注いで居たのですから、気付かないのも無理はありません」
「そうですかぁ……。エヘヘ♪ 幽霊だなんて、私、場所が場所だけに、つい不吉なことを考えちゃいました。幽霊なんて非科学的な存在、居る訳ありませんよね?」
すると五部学長は、ふうぅむ……と在らぬ方へと視線をそらし、頑なに無言を
貫く。
「が、学園長先生……。どうして其処で無反応なんですか? 忍びに加えて幽霊が実在するなんて重たい現実、私の常識には耐えられません!」
イチカが強い口調で訴えると、疲労を深く残した希更が、抑揚に乏しい声で口を挟んだ。
「私は霊術が使えるから、幽霊はあまり怖くはないのだけれど……」
「私は希更ちゃん達と違って、一個も陽忍術を使えないんです!」
希更が冗談半分に主張するのを、イチカが阿吽の呼吸で反発する。
仲の良い掛け合いで、その場に打ち解けた空気が一気に広がるが、叫ぶイチカの勢いに押されて、希更の袖から『ストッ……』と何かが擦り落ちた。
「あっ……。希更ちゃん、なにか落ちましたよ?」
「ああっ! それ……は……」
希更は慌てて手を伸ばすが、まだ身体にうまく力が入らず、途中からしおしおと地面に崩れ落ちた。
代わりにイチカが足下の雑誌を拾い上げると、反射的に、いかがわしい響きのする題名を読み上げる。
「竜虎の交わり……? なんですか、希更ちゃん。この薄っぺらい本は?」
なんですか、と言われても、すぐには答えられない。
正直に白状したが最後、性的な意味で『両刀使い』を公言するあきえと同様に
分類されてしまう。
希更は脳味噌をフル回転させた挙げ句、極力、控え目な表現技法を駆使して答えた。
「きょ、教科書みたいな物です。返して下さい」
教科書と言っても、科目で言えば間違いなく愛の形だ。
いまだかつて、これほどまでに日本語を過剰包装した憶えはない。
うまく立ち回ったつもりだが、唇の震えが止まらず、冷や汗が止め処なく流れた。
(なんだろう? なんだか、希更ちゃんの様子がおかしい気がする……)
一瞬、中を覗いてみようと思ったが止めておいた。
他人の持ち物を勝手に検閲するのは良くない事だし、自分の好きな忍者雑誌も、『虎の巻』やら『龍の章』と言った名前が多く使われている。
――おそらく、そういった類のものだろう。
サブカルチャーに疎いイチカが、不自然な動揺を見せる希更に、『腐女子の教科書』を返却する。
「こんな所にまで持ち歩くって事は、図解の兵法書か何かですね? ハイ、希更ちゃん」
「あ、ありがとうございます、藤森さん」
安心感からホッと息を吐き、『龍様』の秘密を袖内へと隠す希更。
親友の反応に『ハテナ』としながらも、イチカは特訓成果が気になって、前のめりの姿勢で仁斎に尋ねた。
「それで師匠、さっきは降参とか言ってましたけど、私達の実力はどうでしたか?」
分かり切った答えと女の子らしい催促の仕方に、仁斎の顔が思わず緩んだ。
「無論のこと、特訓は成功じゃ。正確には、儂に『変わり身の術』を使わせた時点で充分だったんじゃが、まさか水野さんが、あんな大技を使うてくるとは思わなんだ」
「だったら私、余計な事をしたんでしょうか……」
落ち込んだ様子で呟く希更へ、仁斎は掌を気さくに振って返した。
「否々……、見事なダメ押しの一撃じゃ。アレが決まれば、格上忍者とて一溜まりもあるまい」
仁斎は、予想を上回る結果へ満足そうに頷くと、納得の笑みで二人に告げる。
「これにて、秘密特訓の全課程を修了とする。とはいえ、個人練度に劣る御主らは、試験では正面対決を避け、隠密状態からの奇襲を心掛けるべきじゃ。それと、残る二日間は前にも言った通り、忍具の手入れと休息に専念して、試験当日に向けて万全の準備を整えるのじゃぞ」
「「ハイ! 御指導、ありがとうございました!」」
異口同音に礼を述べると、五部学長からも犒いの言葉が掛けられる。
「御二人とも、よくぞ臥龍先生に一太刀報いました。とりわけ、これまで未経験者であった藤森さんは、この短期間でよく成長しましたね」
「エヘヘ♪ それはまぁ、先生方の御指導の賜物です」
謙虚さからではなく、本心からそう思った。
これまで真面に刀を握ったことのない自分が、今では、戦闘訓練でそれなりの
成果を上げている。
これがもし一般社会での武術訓練なら、半年経けても、この域に到達するとは
思えなかった。
自然と、転入初期の教師陣の苦労が偲ばれる。
「でも、学園長先生が指導に出て来られるなんて珍しいですね。私、初めて見ました」
イチカが何気なく指摘すると、五部学長は、苦笑気味に眉を寄せて理由を明かした。
「本来ならば、各生徒との公平を期すために参加を控えているのですが、あなたのクラス担任である綾平先生からも、どうか宜しく、と頼まれたものですから」
「綾平先生がですか!? そうだったんだぁ……。いつもマイペースな性格にしか見えないけれど、やっぱり先生も、私のことを気に掛けてくれてたんですね」
喜びに胸を馳せるイチカは、どう感謝すべきか悩んで、すぐに答えが出た。
まずは、試験に合格してからが良いに決まってる。
その方が苦労も報われて、ありがたみも一入なのだから。
胸一杯の温かさを慈しむように、イチカは大人びた顔で立ち尽くす。
そうした彼女の落ち着いた風貌は、見る者に、一人の人間としての成長を感じさせた。
五部学長がしずしずと近くへ歩み寄り、イチカの肩に右手を添える。
「運命選定法が貴方を選んだからには、そこには何かしら、特別な意味がある筈です。これからも期待してますよ、藤森さん」
イチカの瞳が感激に潤む。
これから先、テストの結果がどうなろうとも頑張ってみせるとか、誰かの願いを背負った先に、自分の望む未来が待っているような気がするとか、深い感謝と使命感が泉のように湧いてくる。
だが、それをうまく表現できず、どれも言葉足らずの嘘になってしまいそうで、イチカは思わず、ほんの短い返事に想いを託した。
「ハイ!」
身体を小さく弾ませて返すと、肩に被さる五部学長の右手が軽く離れる。
やがて、さり気なくイチカの腕に接触した瞬間、学園長は素早くその手を引っ込めた。
「これはっ……!!」
掌から発した練丹術の波動が、いつまで経っても帰ってこない。
通常、忍ヶ丘で生活していれば、食事や呼吸を通して、僅かずつだが忍術媒体を摂取している。
こんな反応は、普通ならば有り得ないことだ。
少し離れて後ろに立つ仁斎が、学園長の意図を察して耳元で囁いた。
「どうした。なにを感じた……?」
――触診検査法。
診察などの際、患者に接触して病状を探る医療系の忍術だ。
この技ならば、試験前に、イチカの体調と練習量を正確に調べることが出来る。
しかし、結果は皆無であった……。
イチカの身体から、陽忍術の波動が検知できなかったということは、彼女には、一般人が体内に隠し持っているべき術力が一切なかったのだ!!
これでは、いくら陽忍術の修練を積んだ所で、技がまったく発動しないことになる。
(だとしたら、どうして運命選定法は、藤森さんを……)
押し黙る学園長を、希更が控え目な口調で気づかう。
「あの、大丈夫ですか? なんだか、お加減が優れないようですけど……」
四度の霊術行使で半病人と化した彼女に言われるのだから、よほどの事である。
五部学長はぎこちない笑みを浮かべると、無難な口実を挙げて疑問をかわした。
「いえ、私も臥龍先生と同じく、身体活殺の法で老化を抑える者の一人。先程の術で、少し疲れただけです。訓練も終わったことですし、すぐに戻って休ませてもらいます」
そう言われると、原因を作った希更としては、これ以上は踏み込めない。
監督者である仁斎も、五部学長の強引な退がり文句に賛成の構えである。
羽織仕様の忍者服に手を這わせると、着衣の乱れを整えてから解散を促した。
「それじゃ、これにて儂らは帰るとするかな?」
確認するように告げると、五部学長は軽く頷き、不図、重要な案件を思い出して付け加える。
「そうそう……。二人に、我が校の暗黙の了解を言い忘れてました。先程、身体活殺の法で臥龍先生が若返りましたが、その事を、金曜授業の石川残月先生に話してはなりません」
イチカと希更が、不思議そうに顔を見合わせる。
なんとも奇妙な禁則事項だ。
曰く因縁・秘密の多い忍術学園だが、こればかりはおかしい。
教師が里の秘密を生徒達に隠すのではなく、両者が一丸となって、皆伝者の一人を除け者にしようと言うのだから。
「どうして石川先生には内緒なんですか? 若返りなら、下忍の私達でも知ってるくらいなのに」
イチカが不思議そうに尋ねるも、忍術学園の首脳二人は滑舌が悪い。
「否、技のことは良えんじゃが、儂の正体が朧月の剣鬼である事だけは、秘密にして欲しいんじゃよ。あの娘はまだ若くもあるし、真実を知るのは、ちと酷じゃろうて」
「ちなみに、口外すれば厳しい罰が待っていますので、その御積もりで……」
不吉な忠告を残して、二人の実像がユワ~ンと宙に掻き消えた。




