微かな異変
それから時は流れて、三週間目の金曜日。
秘密特訓へと向かう直前、坂本愛里は、副委員長の獅堂このえに呼び止められて、教室前の廊下で立ち止まった。
「藤森さんの様子がおかしい?」
「ええ……。今日の剣術授業を見た感じ、動きが少し鋭い方に変わったような気がしますの」
実際はその逆、疲労困憊のイチカは授業を受けるだけでも精一杯で、その動作はノロノロと鈍いものであった。
だがこの場合、このえが本当に言いたいのは、緩慢な動きの中にも、剣士にあるべき刀身軌道の『冴え』が見えた点である。
的確さを欠いた表現だけに、同意はすぐに返ってこなかった。
能天気組の華隠と理乃は、所詮はイチカのやる事だと、変化の様子を楽観視する。
「転校から一ヶ月たったとはいえ、そもそも退学志望のイチカに、変わるも何もないだわさ」
「そうそう♪ 日頃の疲れが効いてきたのか、今日の素振りなんか、ブウゥン……って感じで、スローな動きだしさ」
胸の前で腕を組み、壁に背中を預ける華隠と、イチカの剣術動作を真似て茶化す理乃。
二人に比べて慎重派に近い金岡あきえは、このえと同じく、イチカの成長に警戒を見せる。
「でも、あの動きって言うか、音の方。アタシはちょっと気になるかな……。確かに鈍いんだけど、アレから疲労が抜けて素早くなると、『ビュッ!』って鋭い音に変わると思うんだ」
実践よりも理論派の愛里が、擬音だらけで捉えどころのない会話に困惑した。
「あきえ……。その、『ブン』とか『ビュッ』って音の違いに、なにか意味でもあるの?」
「ええぇぇ!? 愛里、ソレ、本気で言ってるの? むしろ大アリだよ。人間の
身体って、意外としつこい構造をしてるんだよ? よくある、『ヒュッ!』って
軽い音だけじゃ、表面の肉を斬るのが限度なんだ。忍者だったらソレでも良いけど、剣豪を目指す人には、それより上の太刀筋を要求されるんだ……。このあたり、実際に剣を扱う焰は、よく知ってるんじゃない?」
あきえに焰の愛称で親しまれる華隠は、耳の後ろを指でなぞりつつ、やる気なく証言する。
「まぁ、鈍い剣風は骨を砕き、鞭のごとき斬空音は両断するとは良く言うが……。あのイチカが、そこまで精進するとは思えんだわさ」
賛否両論が確証なしに入り混じる。
いくつかの不審点に、愛里も思案のポーズで顎を支え、不確かな心当たりを口にした。
「確かに最近の藤森さんは、私達の気配に気付いてると言うか、驚かない節はあるわね」
「でも、授業じゃ相変わらずボクに捕まってるよ♪ 案外、気配を読むのを諦めただけなんじゃない?」
首を傾げて陽気に返す理乃に、このえが異議を唱えた。
「ですけど、藤森さんが手を抜いているとしたら、あんなに疲れてる理由が説明できませんわ」
このえが否定的な意見を加えると、理乃は両手を腰に当てて、不服そうに目を
細める。
「も~う! 副委員ちょってば、考え過ぎだよ~。みんな、そんなに心配してるんなら、これから特訓に出掛ける前に、イチカの様子でも見に行けばイイじゃん♪」
身長差から、あきえが覗き込むよう体勢で、理乃の提案に興味を示す。
「おっ? その口振りからして、柳んはイチカの居場所、知ってるみたいだね♪」
煩悩混じりにウインクして、続きを催促するあきえ。
エロ本収集が日課でも、優先順位は友達いじりの方が上だ。
理乃は、あきえの態度に怖気も見せず快活に頷く。
「ウン、知ってる! さっきヘトヘトになって、保健室に入って行ったもん♪」
自分の愛情表現が無視された事もあり、あきえは困惑した顔で、理乃の答えを
持てあます。
「それはそれで、イチカの訓練状況を確かめる事には成らないんだけどね……」
そうして一行は、アレコレと思案を巡らせながら、校舎一階の端から二番目、
保健室前へとやって来た。
五人の先頭に居たこともあり、イベント好きの理乃が、まっさきに扉へ手を掛ける。
「しっつれいしま~す♪」
言葉通りの失礼さと声量で、柳沼理乃が元気一杯に保健室へと入る。
彼女に続いて四人も扉を抜けると、左前方、カーテンの開いたベッドの上に衝撃的な物を発見した。
脚が折れている。
腕が曲がっている。
手首が有り得ない方向を向いている。
とにかく、ありとあらゆる関節が不可解な方向へと捻じ曲げられた、藤森イチカの物云わぬ姿が其処にはあった。
戦慄の光景を目の当たりにして、前列にいた理乃と華隠が、同時に絶叫する。
「うわあぁぁ!! い、イチカが死んでる……」
「ぬおおおぉぉ!! 非密室殺人、関節バキボキ事件、発生だわさ!」
斬り込み隊の二人に続いて、あきえもガチガチと歯の根が合わない。
「どどどど、どうしよう、愛里。私達、とんでもない物を見ちゃったよ……」
「どうするって、私に聞かないでよ。いくら委員長だからって、殺人事件の対処なんて無理だって!」
「うわ~ん!! 委員ちょの役立たずメガネぇぇぇぇぇ!!」
錯乱した理乃の口から罵声が飛んだ。
恐慌する四人の後ろ、獅堂このえだけは、青い顔で口端を痙攣させて機能停止している。




