最初の一歩
イチカの必死な抗議から、およそ二時間後。
惨劇の中心となった工作室にて、秘密特訓が始まった。
別に嫌味のつもりは無いのだが、伝造先生は奇妙な修飾語を添えてイチカに呼びかける。
「え~。それでは、あちしの授業で一躍有名に成りんした藤森さん、いま一度、
素材合成の内容を、貴方さんの特訓と絡めて実験しましょ」
イチカは罪悪感とウンザリ感に机へ突っ伏して、嫌々をするように頭を振っていじける。
「わざとじゃ無いんです~ぅ!」
事情を知らずに立ち惚けの仁斎が、カラクリ先生へためらいがちに理由を尋ねた。
「むぅ……。いったい、藤森さんはどうしたのじゃ。なにやらひどく、愚図を起こしとるようじゃが」
被害妄想のせいか、グズの部分が強く聞こえて、イチカの背中が短く震える。
心なしか二人の目には、彼女の背中に、架空の刃がグサリと刺さったようにも
見えた。
カラクリ伝造は声だけはそのままに、耳打ち姿勢で語気を憚らせる。
「否、それが……。風と火の粉末剤を混ぜて点火したら、偶然、教室中に引火しちまいやしてね。転校八日目にして、早くも『爆弾魔』の称号が与えられたみたいなんでさぁ」
意外な事実を聞かされて、イチカは机の天板に両手を突いて、勢いよく立ち上がる。
「私、蔭でそんなこと言われてるんですか!? はやく皆さんの誤解を解かなくちゃ」
イチカとは別の理由から、仁斎が驚きに背筋を反らす。
「なんと……。あの焰薙華隠ですら、一ヶ月近くでようやく炎熱狂女の汚名を打ち立てたと言うに、一週間でじゃと!? 我が弟子ながら、実に末恐ろしいわい」
「ええ、全くです……」
と、言葉ほどの深刻さを感じさせず、カラクリ先生は、イチカの肩にそっと手を添えた。
「しかし、それはそれとして藤森さん……。ここは一つ諦めて、特訓と行こうじゃありやせんか」
「先生なのに、諦めるとか酷いこと言わないで下さい! フォローもなしで傷付くじゃないですか」
「けれども、こうした時はよく、昨日の事より明日のことって言うでやんしょ?」
「爆発騒ぎは今日のことです!!」
イチカが顔を近付けて猛抗議すると、カラクリ先生は腹を抱えて大笑する。
「アハハハハハハ……。いやぁ、失敬々々。なるほど噂通り、あちき等には考えも付かない忍具の発案者なわけでやんす」
いじけた口調はそのままに、イチカが諦めた様子で、ストンと席に腰を降ろした。
「つまり伝造先生は、特訓だけじゃなくて、私の忍具のことも御存じなんですね」
伝造先生は目元を涼しく保ち、茶目っ気タップリに語尾を弾ませる。
「勿論、いちいち説明には及びやせんよ♪ それじゃ、ムダ話は此処までにして、特訓を始めるとしましょ。今日の目的は、いくつかの火薬の組み合わせを試し、
理想の効果を見付けること。それを明日の特訓、癇癪玉作成の事前結果とするのが一番でやしょう」
続けてカラクリ伝造は、背中の木組み箱から、妖精型の木彫り人形を取りだす。
「藤森さん。特訓の終わりに、あなたの望む効果を事前に考え、それを実際に作って頂きやす。首尾よく出来たら、この単位認定アイテムの『木彫り小人』、進呈しましょ」
ちなみに単位認定証は、購買で装飾品と高純度媒体に分離することが出来る。
イチカにとっては、試験突破に必要な単位だけでなく、本番仕様の新忍具を作る重要な素材でもある。
――これから先、一つたりとも、単位修得のチャンスを無駄には出来ない。
握り拳を固めたイチカは、沈んだ気持ちを強引に振り払うと、姿勢をまっすぐにして応答する。
「ハイ、がんばります!」
監督教師が二人も居るため、今度ばかりは爆発もなく、望みの調合火薬・爽風薬が完成した。
その効果は、木属性で強まる爆風を水属性で狭い範囲に制御し、圧縮空気を吹き出すもの。
炎の出ない非殺傷への拘りから、爆弾魔の異名を払拭したい動機がよく分かる。
そうして授業の復習を兼ねた前半が終わると、訓練の後半は予定通り、基礎体力の補強へと移る。
イチカが普段からよく使う裏門前で、二つの影が伸び伸びと準備体操を始めた。
やがてその動きが終盤に差し掛かる頃、臥龍仁斎が肩を気怠そうに旋回させて、その手を自身の腰へと回した。
「ああ、良し良し。準備運動はこんなモンじゃろ……。ではこれより、儂の特訓じゃ。月曜日は高低差を想定した戦い、立体戦術に重きを置く。本日の内容は、愚民の森入り口を経由した、学園から修業場への走り込みじゃ。いったん其処で軽く
剣術修業を行い、再び入り口に戻って、家まで走り込む。第一週目は、皆、こんなものじゃ。分かったかの?」
体操終わりに師匠の前へと場を移したイチカが、相手の意図を先回りして返す。
「ハイ! 本格的な訓練の前に、まずは体力作りと訓練生活への慣れですね」
「ウム、そういう事じゃ……。では、儂について参れ」
時を惜しんだ仁斎が、前置きもそこそこにいきなり動き出す。
よく見ると、その手に何時もの杖がない。
走るフォームも、脚を忙しなく動かすと言うより、『ターン、ターン!』と大きく前に飛び跳ねて、一気に距離を稼ぐ仙人染みた動きである。
――縮地の歩法。
一歩を長くすることで、事実上、距離を縮める走り方だ。
「うえぇ? 速いんじゃなくて、一歩が遠い!? 待って下さいよ~、師匠~!」
仁斎は跳ねるのに夢中なのか、浮き足立つ弟子に気付きもしない。
小さな背中が曲がり角に消える前に、イチカは必死に追いかける。
視界の端に師匠の背中を捉えつつも何とか走り切るが、愚民の森に着く頃には、『ぜーはーぜーはー』と、呼吸が完全に乱れていた。
両手を膝に突き、肩で大きく息を整えるイチカへ、仁斎は達者な口調で弁解する。
「いや~、すまんすまん。久し振りなもんで、つい加減を間違えた……。ちと速かったかの?」
お茶目に瞳を細め、自身の後頭部を卑屈に撫でる仁斎。
一応、謝意を表してる積もりなのだが、イチカにそれを見る余裕はない。
喉を掠る荒い呼吸を繰り返し、足元に視線を落とす。
顎から滴る汗の雫が、乾いた路面に歪な円形の染みを幾つも滲ませた。
意志の強さは、疲労の彼方に鳴りを潜める。
苦境を捻じ伏せたのは、とかく折衝事には向かない強情さであった。
「い、いえ……。特訓一日目にして、音を、上げる訳には、行きませんから……」
「この期に及んで強がりとは、実に頼もしいわい。ならばちと、儂の話を聞きながら休憩せい」
言われなくてもそうする積もりで、イチカはその場で深呼吸を続ける。
無言の弟子に構わず、仁斎は手持ち無沙汰に顎をさすって訓練談義を始めた。
「そもそも、こうした基礎訓練を行うのは、単純に体力をつけるばかりでなく、
相手に呼吸を読まれぬための、隠行の下地でもある。なにも隠行は、敵から隠れるだけのものではない。剣士同士が相対した際、相手にこちらの出方を悟られぬ備えにもなる。さしずめ忍びにとっては、忍具使用や形成立て直しの後退を予期されぬ、動作や歩きの隠蔽と言った所かの」
そうした仁斎の忠告は、図らずしも、イチカの思い込みを正確に捉えていた。
良い事を知った……、と感心が閃く刹那、酸素不足で思考が混濁し、不明瞭な
視界を無数の光点が瞬く。
仁斎の説教が、隠行の意義から、イチカの無警戒へと話題が変わった。
「この点、残念じゃが御主は、他の者に出遅れておる。皆の行動にいちいち虚を突かれるようでは、日頃から、その備えに劣る証拠じゃ。意識すれば、クラスの者の隠行なんぞ見抜くのは容易い。音を立てる。物を動かす。こちらから相手を攪乱して、精神集中と呼吸を乱すのも良かろう」
視界が元の色彩を取り戻すと同時に、忍術談義も終わった。
形だけなら、内容だって頭に入っている。
耳の裏まで響いていた血管の鼓動も、今はすっかり収まっていた。
それでもイチカが返せたのは、短くも簡潔な文言である。
「ハイ、分かりました……」
さっそくイチカは呼吸を読まれて、手加減混じりに次の段階を許してしまう。
「ふむ……。どうやら、返事を出来るまでには回復したようじゃな。さすれば修業場まで歩き、儂が灌木を揺らす故、御主は足場の上で、手裏剣と刀を木に打ち込むのじゃ。それが終われば、今度は家までの道を走ってもらうぞ。では、行くとしよう」
こうしてイチカの特訓は、少々、ハードな部活動レベルから始まった。
・土師穽玄
天海衆の攻城・長期戦闘部門を担当する格闘忍者。土属性。
中背にして筋骨逞しく、浅黒い肌と艶やかな黒髪。
一定量の土や石を自在に操れるため武器は要らず、直属の訓練兵も同様の技が使えたことから、優れた戦闘教官でもあった。
分厚い壁や堀、攻城兵器を生成しようとするも、敵に寝返った篠崎洞仙の入れ知恵によって無効化されて、江戸城攻略に失敗する。
別働隊の蕃丞支手が倒されたのを知るのが遅れて引き際を誤り、多くの敵を道連れに自爆しようとするも、陽忍術者・夕霧の技と神具の力に抗しきれず封印される。




