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藤森イチカの忍術試験!  作者: 桜花 山水
2章 成りたい自分
33/83

浴室の誓い

 それから3時間後のイチカ宅。

 浴室の湿った空気に、いくつもの小さな泡玉が浮遊する。

 泡の表面、虹色の光彩に浮かぶのは、グニャリと(ゆが)んだ二つの裸身。

 イチカと瓊荷木(ににぎ)さよのものだ。

 ()っちゃな身体のすぐ後ろ、忍術修業に打ち込むけいを簡単に話し終えたイチカは、さよの頭をシャンプーでワシャワシャ洗いながら、親しげに問いかける。


「…………と言った事がありまして、新しい忍具を造るのに、忍術媒体なる物が

必要なんです。それでさよちゃんは、その忍術媒体がなんなのか知ってますか?」


 同性同年。されど、どう見たって年下にしか見えない瓊荷木(ににぎ)さよは、『ですます口調』の丁寧な喋り方で答える。


「ハイですよ。イッちゃん達の土曜日授業、練丹術や符術にとって必須素材の一つですから。あれがないと、単なるぐすりや毛筆の練習に終わってしまうです」


 さよの返事に続いて、イチカの後ろから、清らかな相槌あいづちが浴室内を奇襲した。


「そうね……。ちなみに高純度媒体は、特殊素材として高値で取引されてるわよ~♪」


 不意に聞こえる呑気な声に、イチカはビクッと身を(こわ)()らせる。

 その勢いで、彼女の頭から泡のかたまりが零れ落ち、背後で『あっ……』と残念そうな声が漏れた。

 この家で、こんな無茶な登場をするのは一人しかいない。

 イチカは()()()()()確認もせず、振り向きざまに文句をぶつける。


姉上(あねうえ)! なんで一緒にお風呂に入って、わたしの髪の毛、洗ってくれてるんですか! (さそ)ったのはさよちゃんだけで、姉上(あねうえ)には頼んでません!」


 そこまでされて、どうして今まで気が付かない!

 すっかり道化役が板に付いた妹へ、(あおい)が構って欲しい一心(いっしん)で唇を尖らす。


「だって仕方ないじゃない。忍術学園のお爺ちゃん先生から伝言を受け取ったの、私なんだもの。『特訓の件は話が付いたから、午後、自分の教室に来なさい』だって……。あと、お友達の水野さんが体調を崩したから、地図も一緒に渡された事だし、お見舞いに行ってみたら?」


 シャンプー対策で両目をギュッと閉じていたさよが、頭を大きく後ろに反らす。


「ふえっ? 水野さんって言ったら、イッちゃんと同学年の、(みず)()()(さら)さんですか?」


 イチカは質問者の頭に()わせた指をピタリと止めて、物憂げに口を開いた。


「希更ちゃん、訓練中に()(くず)を吸い込んじゃって、喘息(ぜんそく)を起こしてしまったんです」


 さよはそれを聞いて、疑問が(またた)()に解けた。

 人間誰しも、()(きん)な部分がある。

 どこかの物語や辞書から引用したような、正義とか社会性といった曖昧(あいまい)な『何か』のためには、それ相応に、希薄な程度にしか踏ん張れない。

 一人の人間が強大な試練に立ち向かうには、とどのつまりは、特定の報酬や誰かのためが一番なのだ。

 それも、なるだけ明確で身近な存在がいい。

 形ある分だけ、人はたくさん努力できる。

――もうこの人はブレたりしない。

 そんな風に考えて、さよは自分の背中に微笑を隠した。


「そうだったですか……。イッちゃんは水野さんのために、試験をがんる気になったんですね」


 ストレートに言えばそうなのだが、()()()()()と強調されると、自分が立派な

存在に聞こえて恥ずかしい。

 図星を射されてうろたえるイチカは、建前を前面に押しだした。


「えっ! (いや)、半分はそうですけど……。もう半分は、自分自身のためにです。時代錯誤な忍者社会とは極力、距離を保ちたいって気持ちは残ってますけど、誰かのために、今、自分に何が出来るのか、ほんの少しだけ、確かめてみたくなっただけです!」


 修業継続を志願しながら距離を置きたいだなんて、(わる)()()きも良い所だ。

 煮え切らない態度に(へそ)を曲げた(あおい)は、不満一杯、お湯一杯に、足元の桶へと手を伸ばす。


「イチカってば、まだそんな事を……。そんな心の冷たい子は、こうして温めてあげます」


 (あおい)がワガママ三昧(さんまい)の表情で、イチカの頭上から『えいっ!』とぬるま湯を掛け流す。

 不意の事態ともあって、イチカは風呂椅子の上で(おぼ)藻掻(もが)いた。


「はわっ! ゴボッ……、ボハーッ!! 姉上(あねうえ)、いきなり流さないで下さい。お湯が口の中に入ったじゃないですか! それに、お湯を掛けたくらいじゃ人の心は温まりませんし、私の心は、元からあったかい方です!」


 (こと)あるごとに場を混ぜ返す姉を制して、イチカは膝横ひざよこの湯桶に手を伸ばす。

 全身の泡を綺麗に洗い落とすと、さよに続いて湯船に漬かった。


()っっ……」


 治りかけの部分にお湯が沁みて、傷口がピリリと痛んだ。

 一瞬、イチカは顔を(ゆが)めると、体育座りのさよを()けて両脚を左右に広げる。

 大きく息を吐いてリラックスした気分になると、話の流れを合成素材へと強引に戻した。


「とにかく今は、忍術媒体の話が肝心です。さよちゃん、その素材、在庫の数に

余裕はありますか?」


 思い出したように仕事の話を振られた()()は、イチカの質問へ元気よく返す。


「あっ、ハイです! 練習用の素材なら、新忍具開発に貢献するので、特別に、

仕入れ値に近い価格で配達されるよう、手配しとくです」


「本当ですか? ありがとうございます、さよちゃん!」


 感謝の気持ちから、さよのほっぺたをプニプニと(もてあそ)ぶイチカ。

 楽しんでるのか困っているのか、さよが判別不能なユルい声を漏らした。


「うゆ、ういぃぃぃ~……。購買担当、瓊荷木(ににぎ)さよにお任せです~」


 イチカは得意げな表情の()()から手を離すと、水面をザバンと割って立ち上がり、ちょうど胸が隠れる位置で、両手の拳を強く固める。


「よぅし……。あとは希更ちゃんを元気付ければ、残る心配は、私の修業だけです!」


 血気盛んな妹の仕種を真似て、(あおい)が本音と誤用をごちゃ混ぜにして応援する。


「ファイトよ、イチカ。お姉ちゃんも、()()()()()()利用させてもらうわ!」


姉上(あねうえ)は死んでませんし、私は利用される積もりなんて、これっぽっちもありません!!」


 締まらないなぁ……といった感じのさよの顔が、湯船の上を海月(クラゲ)のように揺らめいた。

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