初恋の風景
商店街を東へ抜ける帰り道、イチカは力ない足取りで、希更たちの後ろを続く。
道標となる忍ヶ丘駅へと向かう途中、案内役のこのえが、イチカに背を向けたまま告げる。
「ところどころは紹介を省きましたけど、とりあえずは、生活まわりに必要な場所は全て廻りましたし、続きはまた今度にしましょう」
「はい。ありがとう御座いました……」
イチカの乾いた返事を挟んで、発案者の希更が、曇りのない笑みで振り返る。
「初めこそは、藤森さんの御機嫌取りが目的だったけど、こうして終わってみると、久し振りに誰かと休日を過ごせて、なんだか思いのほか楽しかったです」
二人の善意が胸に痛い。
もしも忍びを辞めたいと明かせば、どう思われるだろうか。
(きっとガッカリされる……。軽蔑だってするに違いない)
誰かと共に時間を過ごすということは、それだけ多くの罪に触れる事と同じだ。
どうして自分は、この街に呼び寄せられたのだろう。
自分の意志じゃないとしたら、誰のために此処に居るのか?
罪の正体はとっくに分かっている。
二人に対する欺瞞だ。
心の内を隠して級友面してるのも、忍者修業を嫌ってこの街に居るのも、すべては性質の悪い嘘みたいなものだ。
罪悪感と感謝の想いが、堰を切ったように溢れだす。
「あの! 実は私……。今度の試験に落っこちたら、学園を出て行かなくちゃいけないんです」
我慢できずに白状してから、イチカは激しく後悔した。
言った所で、何かが変わる訳でもない。
自己満足の代償に、二人の口から、冷たい叱責を引き出すだけだ。
このえと希更は急に立ち止まり、驚きの表情で振り返る。
「それは、どういう意味ですの? ウチの学園には、留年や退学制度なんてありませんのに」
「藤森さんは確か、運命選定法で選ばれた特待生なんですよね? 入学試験は不要なのに、どうして今度の試験が、学園を辞めるキッカケになるんですか?」
困惑を深める二人へ、イチカは咄嗟に、自分にとって都合の良い部分だけを切り取って、時村教頭との約束を打ち明けた。
一息に言い終えると、なおのこと、深い苦渋が心に染み渡る。
内心、自分を卑怯者と罵らずには居られなかった。
このえはイチカの話を聞いて、細く整った眉を正義感に吊り上げる。
「毎回、毎回、私たちを困らせる要求ばかりすると思ったら、今度は転校生にまで……。本当にあの人は、教育者の風上にも置けませんわ」
説明では、教頭一人が悪者扱いになっているので、イチカは本音を小出しにしてフォローに努める。
「あの……。私は別に、自分の意志で学園に入った訳じゃないんで、そういう展開もアリなのかなぁ、とは思うんですけど……。でもそれだと、真剣に授業に取り組んでる人に、不快な想いをさせるんじゃないかって、少し不安なんです」
強引に周囲を気遣う方向へと話を持って行くと、希更は拘りのない様子で返した。
「それは多分、大丈夫だと思います。全員が全員、本気で一流の忍びを目指してる訳じゃないですし……。卒業したら別の道を選ぶ娘だって、毎年、結構いるみたいですから。むしろ、なんとなくで通ってる人も多いんじゃないかしら?」
「そう……なんだ。私も別に、授業をサボる積もりは更々ないんで、そこはおんなじなんですね。安心しました」
しかし、すぐに希更は、イチカの将来を心配して顔を覗き込む。
「でも、藤森さんは本当にそれで良いの? 私の場合は、くのいちに憧れて忍術
学園を志望したから良いのだけれど……。藤森さんはくのいちを辞めて、なにか、どうしても成りたい存在でもあるんですか?」
愚直だが建設的な問いかけに、イチカは何一つ答えられなかった。
気に食わない事や辛い事に必死で抗い、消去法で削り取った結果が、理想の未来に通じているとは限らない。
それ以前に、イチカは自分が将来どうなりたいかという、鮮明な構想がまるでなかった。
悪意のない沈黙が、茜空のグラデーションにゆっくり溶けてゆく。
遠くの空で、6時を告げる点検放送の音が木霊した。
硬直から解けたこのえは、肩を落として陰鬱な溜め息を吐き出し、やがて、当たり障りのない言葉でイチカを慰める。
「まぁ、それが分かるまで、今の道を諦める必要は無いんじゃないのかしら。修練を続けるうちに、なにか視えてくる物があるかも知れませんもの」
希更とこのえは、前を向いて歩き出す。
迷いを知らない二人の歩みは、まるで背中に羽が生えているかのように軽い。
イチカは、未来ある二人に牽引されて、見えない明日へと踏み出してゆく。
(なりたい存在。なりたい自分かぁ……)
漠然とした意識の中、まずは自慢の姉、葵の顔が頭に浮かんだ。
その隣りに自分を加えて談笑し、不図した弾みで、今日、知り合ったばかりの瓊荷木さよを混ぜてみる。
するとそこには、忍者が一人混ざっているのに、以前と変わらない日常が広がっていた。
更には希更が訪ね、このえが通り掛かろうとも、空想の世界は変わらず安穏としている。
はたして今の境遇と、どれほど違うものだろうか?
久しく忘れていた、あの感覚……。
恋した者がその身から放つ躍動感あふれる芳香と、焦がれた者が見る色彩鮮やかな世界。
――初恋の風景。
玄関を開けると、いつもその先に新たな冒険が待っているような、胸のときめき。
(私はまだ、この世界に恋をしている……)
忍者社会には依然として抵抗がある。
でも、こんな風に友達と日々を過ごすのも、そう悪くはない。
ほんの少しだけ、意地悪な運命に感謝をしてみると、不思議とイチカは、前向きな気分になれるのだった。
切り所がなかったために、21話と22話で、バランスの悪い文章量になってしまいました。
次回から、イチカと希更の関係性が徐々に変わって行きます。




