明日
三人は商店街の東西中間、青い屋根瓦のコンクリート小屋の前で立ち止まる。
軒下には金属檻や水槽が無造作に置かれ、店内には、魚や爬虫類などが飼育されている。
一行が訪れたのは、街で唯一の動物店、ペットショップもののけ。
一般飼育用のペットは勿論だが、此処は忍びの里の忍ヶ丘。
ただのペットショップに収まる訳がなかった。
「ここは普通のペットに加えて、忍犬、忍び鳩、他にも忍動物としての基礎知識を叩き込まれた、訓練動物を提供しているの。時には珍しい動物や、霊場を徘徊する『はぐれ魔獣』を募集してるから、捕獲した動物を引き渡したりすることも出来るわ」
希更が、重要な事柄を分かりやすく説明するが、当のイチカは、店内の仔犬に
注意を奪われて、完全にそっちのけである。
「そんな事よりも希更ちゃん、見て下さいよ! こっちに可愛いわんこが居ますよ♪」
硝子ケースの向こうを指してキャッキャとはしゃぐ姿に、このえが深い溜め息を吐く。
「なんかもう、なにも耳に入らないって感じですわね」
「まぁ、動物をお金で取引する話に夢中になるより、人間的にはよっぽどマシだと思うけど、せっかくの紹介をこうも軽くあしらわれると、ちょっとツライ物を感じるわ」
イチカの楽しげな空気に引きずられて、二人も仕方なく、店内へと場所を変える。
普通の野生動物ならば、人間が近くを通り過ぎただけで激しく萎縮するが、忍び動物としての訓練を受けているだけに、一般人の存在には充分慣れている。
こちらがケースに鼻先を近付けると、尻尾をフリフリと自分から接近し、ガラス越しにぷくぷくの肉球ハンドを『ペチッ……』と押し当ててくる。
イチカの興奮は頂点に達し、舌の上で蕩ける砂糖菓子のように、だらしなく相好を崩す。
「うはぁ~……。なんて凶悪な可愛さ。希更ちゃんも獅堂さんも、そう思いませんか♪」
嘆き顔の希更は、同意ではなく同情心から、コクコクと首を頷かせる。
「ああ……。藤森さんが、見事に相手の術中に嵌ってる」
「まったくです。この子たちは、忍びとしての教育を受けた、言わばプロ。そうやってお客の心を惑わすのも、芸の内だというのに……」
二人が冷ややかに反応すると、イチカはビビッと眉を逆立てて、偉そうに説教を垂れる。
「二人とも、なんて夢のないことを言うんですか。これはもうアレですね。殺伐とした忍者生活が、人としての正常な感性を狂わせてるに違いありません。いわゆる職業病というヤツです!」
イチカが力強く断言すると、背後の誰かが、鼻を鳴らして小さく吹き出した。
「なんか楽しそうにしてると思ったら、職業病って……。ソレ、ちゃんと労災、
下りるのかい?」
「ふえっ……?」
店の奥へと振り返ると、自分より頭一つぶん高い、潑剌とした少女が立っていた。
セミロングのストレートヘアーに、端整な顔立ち。
生命力の輝きが放つ瑞々しい官能。
何処かで見たことがあると思ったら、裏門で顔を合わせた格闘少女であった。
「あっ、もしかして貴方は……」
格闘少女は、名前を度忘れしたイチカに、姐御肌のサバサバとした口調で名乗る。
「あいよ。アタシは金岡あきえ。同じ、一年臨組のクラスメイトさ。ヨロシクねっ!」
高い鼻筋に、流美に切れ上がった瞼の輪郭。
細くシャープな顔の造形は、女性からも人気がありそうな、爽やかな魅力に溢れている。
同性愛嗜好のないイチカは、相手のウインクを友情と誤解して、迷いなく返した。
「ハイ! こちらこそ、よろしくお願いします」
特に他意はなかったのだが、あきえの性癖を知る希更が小さく震える。
「あきえさんに、此方こそお願いしますだなんて。藤森さん、なんて命知らずな事を……」
「えっ? 私、なにか変なこと言いましたか」
イチカが入り口側へと不思議そうに返すと、このえは小さな恥じらい声で、真意を仄めかす。
「藤森さんが変なのではなくて、その……。あきえさんが両刀使いで、どちらもOKを公言してるんですの。…………性的な意味で」
「えっ? 格闘主体なのに、二刀流? しかも性的な…………って、フェえええ!? まさか、『男女問わず』って意味ですか!?」
途中から言葉の意味を理解して、イチカが『ズザッ!』と大きく距離を取る。
相手から露骨に避けられたのに、あきえは臆面もなく笑顔を浮かべて、自己弁護を始めた。
「エッヘヘ~♪ いやぁ~。一応はその積もりなんだけど、実際、自分の美意識をそそる同性に、なかなか巡り会えなくてね。恋人にするんなら、やっぱり異性しかないかも……、ってのが本当の所だよ」
それを聞いたイチカが、安心感から肩の力を抜いた。
「ハア、びっくりしたぁ……。要はそういう設定か、博愛主義者って奴ですね」
「おっ、良いこと言うねぇ~。博愛主義者かぁ……。ウン。そのフレーズ、頂きだよ♪」
ニコッと笑って、イチカの表現に同調するあきえ。
その仕種に、若干の性愛を帯びている感は否めなかった。
うまい具合に二人の会話が止むと、案内役のこのえが口を開いた。
「それで、あきえさんは此処で何をしてらっしゃるの?」
「なにをって、アタシは動物と戯れに来たのさ。動物、好きだからね」
精気に富んだ眼差しが、慈愛の空気に染まる。
あきえの口から裏表のない答えを聞いて、希更が彼女の評判を思い出した。
「そういえば以前にも、あきえさんが、普段から動物の餌を持ち歩いてるって、委員長さんが言ってましたね。実際、裏門近くの家の犬に、パンをコッソリ上げてる姿を見たことがありますし」
「アッハハ~♪ まさか見られてたとは……。本当はイケナイって分かってるんだけど、こういった可愛い奴らを見ると、ついつい構いたくなっちゃうんだよね」
ガラスケースに顔を寄せると、中の柴犬がワンワン吠えて、あきえに擦り寄ってくる。
店のシステムをよく知るあきえは、仔犬をケースの中から解放した。
「よ~し、おいでおいで~♪」
優しく抱き上げると、仔犬は喜びと甘えを全身で表現し、あきえの掌に顔面をグリグリと押し付ける。
堪らずあきえは、くすぐったい吐息を漏らした。
「おっほっ……! こいつ、可愛すぎるな~♪」
慣れた手付きでお腹を摩るあきえに、イチカは親しみを募らせる。
「へえぇ……。あきえさんって、本当に動物が好きなんですね」
何気ない質問が、心の琴線に触れる。
あきえは暫し、視線を在らぬ方へと逸らして硬直した。
ややあって、再び仔犬に注目を戻し、深く静かな余韻を伴って胸中を明かす。
「アタシとしては、別に動物だけにって積もりはないんだ。なんて言うか……。みんなの役に立てたらな……って気持ちで接してるんだよね」
イチカは、暗く滲んだ空気から繊細な想いを感じ取って、あきえにおずおずと
尋ねる。
「あの……。私、なにか立ち入ったこと聞いちゃいましたか?」
するとあきえは、心の中で短く逡巡し、
「まぁ、良っか……」
と、開き直って呟いた。
だがその声には、普段の弾む調子はない。
「アタシね、小さい頃、天海衆の連中に攫われて、奴らの術で洗脳させられそうになったんだ。それを危うい所で、今の学園長……五部先生に助けられて、今はこうしてピンピンしてるんだけどね」
あきえは自嘲気味に吐息を漏らして、壁の一点をボンヤリと見つめる。
「でも、アタシが人質に取られてたせいで、学園長、大怪我しちまってさ。それで今は、ウチの学園にいるって訳」
短く間を置いて、決して叶わぬ後悔をそこに繋げる。
「もし……、もしもさ、そのとき五部学長が無事だったら、今も第一線で活躍して、色んな人を助けているに違いないって思うんだ。そう考えると、自分も何かしなくちゃいけない気がして、居ても立ってもいられなくて、くのいちの道を選んだって寸法だよ」
あきえは最後に、感慨ぶかく本音を告げた。
「一人でも多くの人の力になりたいから……」
あきえの意識は、過去の罪悪感を空回りしている。
つまりは、彼女はそういった人間なのだ。
他人の痛みに無関心では居られない。
優しくて、そして何より『脆い人』。
「あきえさんの過去に、そんな事が……」
イチカは重苦しく口を閉じた。
病弱な希更は、自由を夢見て忍術学園の門を敲いた。
封印氏族の末裔である獅堂このえは、自分の責務に殉じて忍びの道を志した。
そしてあきえは、後悔と献身の糾える想いで、くのいちとなる事を選んだ。
では、自分はどうか?
(本当に……。私はどうして、こんな所に居るんだろう……)
故郷で普通の高校生活を送る友人たちと、確かな意志で忍術学園に通う級友たち。
両者を想うと、自分が酷くちっぽけで惨めな存在に思える。
それきり、誰も口を開かない。
四人のあいだで、仔犬が『クゥウン……』と哀しげに鼻を鳴らした。
あきえが暗い気持ちを強引に吹き飛ばすように、鼻から重たい空気を吐き出す。
「あぁ~、止~め止め。こんな話したって、肩が凝るだけだからね」
ガラスケースに『ムクムク生物』を戻し、両手が空になると、あきえは大きく
伸びをする。
目を開けると、外の光が視界に映り込んだ。
「さって……。専門商店街も色々廻ったし、そろそろ日が暮れるから、帰るとすっかな」
「あっ、本当だ……。外が真っ赤になってる」
四人は、空の紅蓮を瞳に映す。
太陽は西の彼方、秩父山岳の稜線にその身を隠そうとしていた。
路上に出ると、先頭のあきえが後ろへ振り返り、軽快に手を振って別れを告げる。
「そんじゃな、三人とも。また明日~♪」
親しみのある呼びかけに、イチカは胸の奥がジクリと痛み、覇気のない声で返事をした。
「あっ、はい。明日、学校で……」
この日初めて、イチカは時の重みを感じた。
明日になれば授業が始まる。
そして一ヶ月後、教頭との約束で学園を去るのだ。
こうして『明日』を口にする日は、そう多くない。
(明日が、重い……)




