女帝(エンプレス)
午後二時、校舎北にある線路沿いの正門。
裏門同様に仕掛けられた鳴子を、イチカと希更が避けて通る。
二人が職員寮の前に差し掛かった辺りで、希更の隣りで自転車を引くイチカが、保健室での早技に感心した。
「あぁ~、さっきはビックリした……。忍者って漫画みたいに、『シュバ!』って姿を消せるんですね。私、初めて体験しました」
根は穏やかなのか、裏門襲撃犯の一人・水野希更は、口元を上品に袖で隠して、イチカの発見を優雅に微笑む。
「ふふっ……。あれは素早さよりも、相手の認識から外れる隠行術の効果が大きいわ」
気配を絶ち、何者にも悟られず任務をこなす忍びの体技――隠行術。
忍者好きのイチカが憧れる技の一つである。
自然とイチカの反応も、太陽のように煌めいたものとなる。
「ソレ、知ってます。隠れて敵をやり過ごしたり、暗殺の時に息を潜めるアレですね♪」
素直に驚くイチカの反応が、少し照れくさい。
希更は面映ゆい笑みを抑えきれず、顔の前で、両手の指を組んだり離したりと
感情を持て余す。
「眼で追えずに情報量が不足することから、残像と似たような効果が得られるの。私のほかにも、金岡さんや委員長の坂本さん。あと、焰薙さんと柳沼さんも使えるかしら?」
「それって、裏門でいきなり私を襲った5人ですよね?」
「ええ……。私たち5人は、忍術伝法の儀を受ける前から、一部の陽忍術を使えるせいで、臨組筆頭の5人に選ばれてるの」
話が終わる頃、二人は職員寮を通り越して、左前方に駄菓子屋が見えてきた。
目に映る景色は現実味があるのに、そこへスルリと入り込む、陽忍術という非常識な因子。
自分の人生はつくづく忍者に翻弄されてるな……と思い、イチカは長い溜め息をつく。
「なんか、時が経つに連れて色んな人や技と出会して、本当に忍びの里に来たんだなぁ……って実感が湧いてきました。希更ちゃん達には、これが普通の世界なんですよね」
驚きと呆れに感覚が麻痺したイチカは、無自覚のうちに、相手の呼び名を『ちゃん付け』で落ち着けてしまう。
希更はそれを不思議に思わず、イチカの呟きに自身の事情を繋げた。
「確かに今では当たり前だけど、私にだって、藤森さんの感覚は分かるわ。だって私は元々、この忍ヶ丘の出身ではないんだもの」
「えっ? それじゃあ希更ちゃんも、『手裏剣テキトー決め』の犠牲者なんですか」
イチカの口を突いて出た珍妙な単語に、希更は再び、面白そうに口元を隠す。
「運命選定法のことね? 私の場合は藤森さんと違って、中学生の頃、現地の申し込みで忍術訓練校に志願したんです」
希更は進行方向を遠い目で見つめ、しばし過去を振り返る。
「私は、小さい頃から呼吸器系が弱くて、両親と一緒に、空気が綺麗なこの街に引っ越して来たの。車や工場の排ガスは勿論、埃やゴミを吸い込むのを恐れて、来る日も来る日も、私は真っ白な部屋に隔離されてたわ……」
微かな余韻のあと、希更の横顔に仄かな熱が生まれる。
彼女の横顔の10メートル先、白く塗られた木柵の向こうで、6両編成の電車がガタゴトと通り過ぎた。
「そんなある日、私が暇を潰すために偶然手に取ったのが、さっきの雑誌、月刊・雪風家伝だったの。険しい山岳や隘路を物ともしない自由の化身。私には、忍者はそんな風に映ったわ。それから私は、何度も御父様にお願いして、一般社会の中学校に当たる、忍術訓練校に通わせてもらえるようになったの」
ひとたび入学したら、退学は認められないのだ。
イチカのような特例を除き、皆、なにかしら深い事情を抱えているに違いない。
そう考えると、イチカは自分が場違いな存在だと、改めて自覚させられる。
「そういう事だったんですかぁ……。でも、忍びに憧れてくのいちになった希更ちゃんと、憧れはあっても、忍術修業には消極的な私。なんだか、あべこべな組み合わせですね」
「うふふふふ……。藤森さんも初めは不慣れなだけで、すぐに頑張ろうって気持ちになるわ」
屈託もなくそう言われて、イチカは重たく口を閉ざす。
なにせ相手は、幼い頃の夢を叶えているのだ。
教頭との密約を知れば、自分の人生を否定されたようで、深く傷付くに違いない。
いつしか二人は線路沿いの道を離れ、駅を背にして左に曲がった、最初の交差点に来ていた。
悶々とするイチカの隣りで、希更がバツの悪い声で歩みを止める。
「あれは、副委員長の獅堂さん!」
自責の念から我に返り、左前方、銀行前を歩くクラスメイトを注視する。
イチカは相手を目にした刹那、ただ一言、『女帝……』と脳裏に閃いた。
絹のように滑らかな肌と涼しげな眼差し。
そして、形の整った薄い唇。
毛先のカールした金髪が、赤いリボンで緩やかに束ねられ、襟元で結ばれた天鵞絨仕立ての紅色スカーフが、風に揺れて凛々しく燃えていた。
あたかもアイドル衣装に見えるその服装は、イチカと同じ、黒の忍者服を大幅改造したものだ。
金色の輝きを抑えた黄土色のラインが、忍者服の縫い目を走り、太腿・腰・二の腕上部の背中寄りには、小型の忍具ポーチを添えて、実用性を兼ねた装飾を施している。
腰から下は、上着のコーディネートに合わせた、黒のミニスカートとニーソックス。戦の際には軽金属の脛当てと、耐刃カーボンを裏地に当てたバトルスカートへと換装される。
このえは銀行前の段差を下りると、二人の姿を見付けて、意外そうに声を掛けた。
「あら、水野さん……と、貴方もウチの生徒かしら。こんな所で、何をしてるのかしら?」
丁寧な口調の中にも温かい人間味を感じて、初対面のイチカが躊躇なく声を掛ける。
「初めまして……。私、今朝、忍術学園に転校して来たばかりの、藤森イチカって言います」
獅堂このえは間を空けず、如才なく笑みを返す。
「では、貴方がウチのクラスに転入するという、噂の転校生なのね。初めまして、私は一年臨組の副委員長を務める、獅堂このえと言います。以後、お見知り置きを」
このえは優雅に一礼すると、疑惑の視線をイチカの隣りへと移した。
「それにしても、今朝、転校して来たばかりの人と一緒だなんて、単独行動の多い水野さんにしては、少し意外ですわね」
クラスメイトの習慣を思い返す口調からは、猜疑心がありありと感じられる。
このまま色々と詮索されると、忍術書を巡るライバルが増えそうで都合が悪い。
俄かに不安を募らせた希更は、イチカとの捏造関係を強調する。
「意外だなんて、何を根拠に! 私と藤森さんは立派な友達。忍ヶ丘を案内する
代わりに、本の貸し借りをしようと誓った仲です。不審な所なんて何処にもありません!」
不審な所は何もないが、力説するほど立派な理由もまったくない。
希更のいつになく強い調子に、このえの美貌が脱力に崩れた。
「つまり、物に釣られて……という訳ですか。道理で外出嫌いの水野さんにしては、殊勝な心掛けだと思いました。でしたら私も、ちょうど時間が空いたことですし、その案内に同行しても宜しいかしら?」
妨害工作が空振りに終わって、希更がビクッと身構える。
「まさか、実は私とおんなじで、藤森さんにアレコレ要求しようとか……」
「貴方のさもしい企みなんかと一緒にしないで下さい! 私は、同じクラスの副委員長として力になろうとしているだけで、見返りなど求めていません!」
清々しく言い切った態度から、彼女の清廉潔白さが窺える。
イチカは、自称・友達の希更にすら見せた事のない、最上級の笑みをこのえに捧げる。
「親切な人がいて良かったぁ♪ 私、これから行く先々で、色んな人に集られるんじゃないかって、少し不安だったんです」
何気に辛口なイチカの一言に、隣りに並ぶ希更が、『心配されてる!?』と激しいショックを受ける。
(アレ? 希更ちゃん、急に落ち込んじゃったけど、どうしたんだろう……)
イチカは一瞬、不思議そうな顔をしてから、忍者に関する不確かな情報を入力する。
(う~ん……。ひょっとしたら忍者という職業は、事前の備えに厳しいあまり、少し『鬱』気味なのかも知れませんね)
良いことに気付いた! とイチカは一人間違った感触を確かめて、このえと希更の先導に従い、キコキコと自転車を押して後ろに続いた……。
最近になって気付いたのですが、一般的には『錬』丹術が正しい記述のようですね。
ただ、本作では差別化を図るため、『練』丹術で通したいと思います。




