第九夜/自由な世界
爪は鋭く、牙は鋭い。
気性の荒い大熊は低いうなり声を上げる。
網の目のように張り巡らされた木の根を茶色い四肢が力強く捉え、突進の推力へと変える。
あの膂力と大質量を正面から受け止めれば無事では済まないだろう。
後方に控える二人なら止める術もあるのかもしれないが、あいにくのところその術はコノカにはない。
「――ふッ!!」
十分に引きつけてから、下肢へ力を込めて横方向へと跳ぶ。
メタルブーツが足元を保護し、すぐさま反撃の態勢を整える。
硬い感触にはなかなか慣れないが、やはり戦闘になると頼もしい。
「グルゥゥゥ……」
継続戦闘によるスタミナ切れか、それとも受けた傷が痛むのか。ともかく大熊の動きは精彩を欠き、雑木林の地面に足を取られる。
「――act.赤底」
それを好機と見て、すかさず一歩を踏みこみ、同時に音声入力を行う。
大熊へと迫るコノカの拳に赤い光が点る。スキル発動の兆候だ。
「一つ、与えるダメージの増加と固有の追加効果。二つ、使用者への反動・痛みの大幅な軽減。この二つがスキル使用のメリットや。コノやったら二つ目は特に重要やろな。一応、武器兼防具は用意するけど、直接拳で殴打するわけやしな」
ここにはいない講師が語っていた内容を思い出す。
殴られたら痛い。殴った方も痛い。当たり前のことだ。それはここでも同じ。
痛いというのは大変なことだ。裸の弱点ならまだしも、紋様の入った部分など殴った日には、その痛みは想像を絶する。
いくら相手が体勢を崩しているとはいえ、この距離では正確に狙いをつけることも難しい。もし変な方向に標的が動いて硬部をそのまま殴るようなことになれば、逆に致命的な隙をさらすことになりかねない。
「……ここでスキル。いい判断。」
「まだまだ音声入力だよ。そろそろイメージだけで出せるようにならないと」
「私も完全には無理。プリムが頭おかしいだけ。」
「それは褒め言葉と受け取っておく」
結局、大熊のモンスターは体勢を立て直すことはできなかった。
赤い光を纏ったコノカの拳はそのままダメージが蓄積していた後ろ脚を捉らえた。
その後は大きく機動力を削がれたモンスターが一方的に攻撃される消化試合となった。
「……やっぱり鋭い。」
「うーん、もっと感覚的なことだと思う。嗅覚みたいな感じ。それが鋭いの。戦闘技術が拙いのも慣れてないだけだと思うよ」
「前に戦闘ありのVDゲームでもやってた?」
「ううん。それは絶対にないよ。あたしがVD機器をプレゼントしたんだもの」
「なら、あれで実はプロの格闘技選手とか……それはないか。」
「常在戦場って意味では当たらずとも遠からずかもね」
「おーい」
いつの間にかコノカの格闘も終わり、後にはモンスターの死体だけが残されていた。
「あと何体倒せばいいのー?」
「全部で八体だから、あと三体かなー。少し場所を移すから指輪だけ回収して戻ってきてー」
「おっけー」
コノカは今日だけで五体の大熊を倒している。
危険度の高い一部のモンスターは、まとめて一定数の討伐証拠を提示することで国から報酬として金品や素材を授受できる仕組みになっている。
今回の目的はその報酬の素材。コノカの装備作成に必要だが、ちょうど持ち合わせがなかったらしい。
ならば訓練代わりに自分で取ってこいという成り行きとなったわけだ。
「そういえばいままで忘れてたんだけど、ここに来て初めて見たモンスター、なんだっけ、えーっと」
「……プレーンラビット。通称ウサギ。」
「そうそうウサギ。そのウサギって結構メカメカしいっていうか、機械っぽい感じだったんだけど、そういうモンスター他に全然見ないなぁと思って」
コノカの記憶にあるウサギは、生き物というよりむしろ生物を模した機械と言った方が近いような代物だったはずだ。
しかし、あれから一度も、あのような機械型のモンスターは目撃していない。
「それってプレーンラビットの話だよね、コノカ?」
「そうだよ」
「……プレーンラビットは普通のウサギ。灰色だけど全然機械っぽくはない。」
「え、いや、あの時はリンちゃんも一緒に居たし見てたよね」
「うん。一緒だった。……でも、見たのは普通のウサギ。機械じゃなかった。コノの見間違い。」
「そんなはずは……」
「そんなに気になるならこの後で寄って確認すればいいんじゃない? とりあえず今はうっかりミスしないように目の前の敵に集中してね」
納得がいかない様子を見せるコノカだったが、モンスターはそれを待ってはくれない。
本日6度目の大熊との邂逅を果たし、コノカは再び戦闘へと身を投じていった。
「そんな……」
眼をこする。やはり錯覚ではなかった。
いや、むしろ以前のコノカが錯覚をしていたのか。
森からの帰り道、初日に降り立った平原を走るウサギの姿を目撃する。
ウサギは金属製ではなく、灰色の羽毛に覆われた普通のモンスターであった。
「でも確かに……」
いや、実際に自分の目で確認しているのだ。見間違いだったのだろう。
「もしかしたら、向こうのネットでβの情報を見て、それと勘違いしたのかも」
「ベータ?」
「……私も良く知らない。こっちだと大昔の大きな戦いって扱いってことくらいしか。」
「ああそうか。リンも初期からじゃなかったね。Another Dreamはサービス開始前にβテストがあったの。でも内容は今と全然違ってて、神を奉ずる教会と進んだテクノロジーを擁する機械文明との戦争に教会側として参加する、って感じだったみたい。この時の敵がオートマタ、つまり機械だったの」
「うーん?」
「この時のプレイヤーは超人的な強さを持つ神の手先って立ち位置だったみたいね。多分だけど、一部があたしたちを御使いと呼ぶのはこれが元らしいよ。まぁスクショも撮られてたみたいだし、それを勘違いしたんじゃない? 向こうの心乃香がさ」
「結局どうなったの、その大戦は?」
「そりゃあ教会側が勝ったよ。今も教会が実在してるんだから滅んだのは機械文明の方」
「……こっちの交流所からスクショをサルベージした。今見せる。」
「ああ、交流所っていうのはこっちで使える攻略サイトみたいなものよ。鍵を掛ければグループチャットみたいなこともできる。内緒話に便利だね」
リンが虚空のホロディスプレイを操作し、コノカたちに数枚の写真を提示する。
「そう! ちょうどこんな感じだった!!」
そこに写っていたのは大小様々な機械の獣たち。装甲板と配管が体表を埋め尽くす無機質な戦闘機械。そのどれもが、コノカが初日に見た錯覚とよく似ていた。
「コノと同じように見間違えたって人はいる。でも、証拠はない。」
「ね、言ったでしょ?」
「うん……そうだね。やっぱり錯覚だったみたい。調べてくれてありがとう」
写真の中に一体だけひときわ異彩を放つ機械がいた。
まず、明らかに他よりも大きい。姿は狼に似ていたが、体積で言えば今日コノカが倒した大熊の数倍はありそうだ。
そして、狼の口から極太の砲身のようなものがせり出していたのだ。無機質なカメラアイは赤く光り、写真越しにもその迫力が伝わってくる。
「やっぱりボスは迫力があるよね。」
「これがボス……。今もいるの?」
「いる。こっちのは機械じゃないけど。」
「それに会いたくても会えないしね」
「会えない? もう全部倒されちゃったってこと?」
このゲームもサービス開始からずいぶんと長い時が経っている。そういうこともあるのかも知れない。
「……むしろ逆。今までに倒されたボスはいない。」
「ボスモンスターは一度倒されると強くなって復活するんだ。それも当該エリアの雑魚モンスターも巻き込んで、ね」
「みんな強くなるってこと……?」
「それも一度倒すだけで結構強くなるよ。だからボスは倒すんじゃなくて”封印”するの。可能なのは教会の特別な力を持った神官だけ」
「その上、封印には必要なものがある。それが指定封印武器。」
コノカの脳裏を先日遭遇した男の姿がよぎる。
「ボスを倒せば手に入るっていうのは、ボスの封印を解いて、倒して、奪い取るって意味よ」
背中に負った盾――レジェンダリィの一つだという盾。
「それって、もはや強奪と同じよね。周りに住んでいる人も迷惑を被るのに」
「ねぇ、封印を解かれて強くなったボスは……その後どうなるの?」
「……可能ならもう一回封印。」
「……もし、不可能だったら?」
あの時、パックスという男は苦笑していた。背中の盾を指されて、たしかに笑っていたのだ。
「――放置するのよ。他に方法なんてないもの」
◇
VD機器は眠っている間に使用する。
その性質上、あらかじめ自分で使用時間を決めておく必要がある。
寝落ちならぬ起き落ちをおこしてはいけないし、逆に、眠ったままずっと起きないというのも言語道断。
途中で目覚めず、逆にきっちり起床時間通りに目を覚ます。完璧な目覚まし機能もVD機器に求められる機能の一つだった。
森での狩りが終わり、カオリに目当てのものを届けた、その後。
コノカは一人で街を歩いていた。
辺りは次第に暗さを増しつつある。プレイヤーならまだしも、一般的なNPCにとってはそろそろ睡眠をとりたくなる時間だろう。
向こうの心乃香が設定した起床時刻まで残り少ない。
生真面目にも早寝早起きを地で行っているため、どうしても他のメンバーとは活動時間がズレてしまう。
結果としてこちらのコノカが時間を持て余し、街をぶらつくことになっているのだった。
時間的にあまり遠くへは行けないが、まだ通ったことのない路地をあてどなく歩くだけでも存外楽しかった。
現実ならば両親が絶対に許してはくれないだろうが、生来コノカは夜の散歩が好きだったのかもしれない。
その時、夜闇の中から一人の女性が飛び出してくる。
「おっと、危ない」
「あ、すいません。急いでて……」
コノカは突っ込み転びそうになった女性を受け止める。
急な接近に対処できたのは、つい最近の自分と既視感の覚えたおかげであったかもしれない。
「大丈夫ですか?」
「はい……。そうだ! 私、人を探してるんですけど、背中に大きな盾を持った男性を見ませんでしたか!?」
「盾……」
コノカにはその特徴を持つ人物に一人しか心当たりはなかった。
「……その人とはどういう関係で?」
「パックス様のことをご存知なんですか!?」
推測は確信へと変わる。間違いない。あのレジェンダリィの男だ。
「落ち着いてください。先日お会いしましたけど、今の居場所までは知りません」
「そう……ですか……」
「あなたのお名前は?」
「ああっ、申し遅れました。私はアンリ、元西の国ジェードの聖女見習い。今はパックス様の戦闘団の末席に加えさせていただいています。……そうだ、こんなことをしている場合では」
「はい、まずは深呼吸して」
「いいからいいから」
「……わかりました」
有無を言わせぬ態度に負け、アンリは息を深く吸い込み、吐き出す。
「はい、じゃあ水飲んで」
アンリの前に水筒が差し出される。それを見て初めて、アンリは自分の喉が渇いていることに気付いた。
水筒を傾け、水をあおる。
「……少しは落ち着いた? わたしも探すのを手伝うわ。ゆっくりでいいから状況を説明してくれる?」
「……なるほど。パックスさんと待ち合わせをしていたけど、時間になっても約束の場所に来ないと」
「はい……。パックス様はお一人で狩りに出たきりで、他の方々も訳あって別行動なんです……」
「それで、自分一人で探しに行こうと街の外へ……ねぇ」
「モンスターにやられて……きっと助けを待ってます。急がないと」
「だから落ち着いて。パックスさんはプレイヤーなんでしょう。もしやられても街に帰って来るだけじゃない」
「でも……」
「まずは街の中をくまなく探しましょう。外に行くのはそれからでも遅くはないわ。どこか心当たりのある場所は?」
「すいません。まったく……。私、フレイルに来るのは初めてなんです。今日も恥ずかしながらはしゃいでしまって。そのせいでパックス様が……」
「そんなに自分を責めない。でもあなたがパックスさんを大事に思っているのは分かったわ」
「はい、パックス様はお優しくて……私との約束はほとんど破ったこともないんです。だから……」
「うーん、なら端末に連絡とか――あ、こっちには無いよね。……ねぇ、こっちの人って連絡を取りたいときはどうするの?」
「連絡ですか、そうですね……みつか――プレイヤーの方々なら、交流板のチャットでしたっけ? そういうものが使えるのだと聞きます。私たちは、家や宿主、それか教会に伝言か手紙を託すのが普通でしょうか」
「わかったわ。まずはそこから当たりましょう」
二人は並んで滞在していた宿への道程を進んでいた。手分けをしようかとも考えたのだが、コノカの方にあまり時間の余裕が無いこともあり、共に行くことになったのだった。
「一つ聞いてもいい? アンリさんはNPCよね。どうして戦闘団に?」
コノカの質問に、アンリはためらうような様子を見せながらも口を開いた。
「……レジェンダリィについては知っていますか?」
「今日のお昼に聞いたわ。すごい力を持ったいわくつきの武器だって」
「はい。レジェンダリィは強い力を持っています。でも、それは本来戦いに使う力ではないんです」
「封印するんだっけ。ボスモンスターを」
「そうです。レジェンダリィはあなた方プレイヤーと同じく神から遣わされたもの。過酷な世界に生きる私たち人間にとって希望の象徴なんです」
それが教会の教えなのだろうか。
過酷……確かにそうなのかもしれない。少なくとも、明確な”敵”にあふれた現実をコノカはイメージできない。……いや、それも正しくはないか。
「私の肩書を覚えていますか?」
「えーっと」
「……元聖女見習いです。レジェンダリィの真の力を引き出すには勇者と神官が必要。彼の封印盾の側には誰か神官がついていなければならない。……私は幸運にも選ばれました。不出来な見習いの身でありながら」
「それがアンリさんの理由?」
「……はい」
首肯した彼女の眼に迷いの光を見たのはコノカの勘違いだっただろうか。
「うん、でもそんなに難しく考えなくてもいいんじゃないかな」
「え?」
「何かを守りたい。誰かを助けたい。そんな気持ちで十分なんだと思う。……大切なんでしょ、パックスさんのこと」
「え、あ、えっと……」
不意を突かれ、アンリはあからさまに狼狽する。夜でなければ、存分に赤面した顔を拝むことができただろう。
「……ほら、さっき言ってた宿屋見えてきたよ」
……結局、宿屋にパックスからの連絡は入っており、約束破りはアンリの早とちりであった。
コノカは明るい屋内で今度こそ真っ赤なアンリの顔を見ることができた。
「……このままお食事でもいかがですか。大変ご迷惑をおかけしてしまいましたから」
「ありがとうございます。でも、もうすぐ時間なので」
「ああそれは……仕方ないですね。よろしければお名前だけでも」
「コノカ……いえ、コノです」
「コノ様ですね。いつかこのご恩は必ずお返しいたします」
「そんなおおげさな……」
「いえいえ、そんなことはありませんよ。では、コノ様に女神のご加護がありますように」
◇
涼しい風が辺りを吹き抜けていった。
紫色の髪が揺れる。それに合わせて西日に照らされた長い影も揺れる。
茜色に染まる空の下、コノカの目の前で二匹のウサギが光の粒になって地面に吸い込まれていった。
「ホンマにウサギ瞬殺やな。体力はまったくないけど、素早さはそこそこやでこいつ。それを同時に二体……。てか、ずっと思ってたんやけど、素手での戦いにえらい慣れとるよな? 向こうで武道でも習っとったんか?」
カオリの声には微妙に呆れの響きが混じっている。
「うん、かじった程度ですけど」
「で、ほんまにこれから素手のままで戦う気なんか?」
「え? だってモンクの攻撃スキルって基本素手じゃないですか?」
コノカは寝耳に水な質問に首をかしげる。
モンクというクラスには武器を使う攻撃スキルが存在していなかった。
その代わり多種多様な回復・補助の魔法系スキルを習得でき、そして、交流板の攻略ページの隅っこに申し訳程度の攻撃用スキルとして素手の項目が存在すると記されていた。
「……わかっとると思うけど一応モンクは回復職やからな?」
「まあ、せっかくだしちょっとは回復とかの魔法も使ってみるつもりですけど、基本わたしって前に出てガンガン行くほうが性に合ってるみたいで」
「……もちろんうちもフォローはするけど、攻撃時の痛みを完全に消すことはできん。そこだけはちゃんと理解を――」
カオリさんはそこまで言うと、何かを思い出すように視線を中に漂わせた。
「そういえば、教会でのゴタゴタの時も、こうしてモンスター相手にしてる時もそうなんやけど――なんや、人が変わったみたいやったで。
VDはリアルやからな。戦闘時にドーパミンとかそんな感じのやつがドバドバ出て性格変わる人はおるけど……それともまたちょっと違う感じやし。なんせ普通に歩いたり話したりしてる時とは結構感じ違うから」
「……そう、見えましたか?」
コノカは自嘲を込めて笑う。
――人が変わったみたい。
そう、カオリさんは言ったけど、ホントはこっちが本当のわたし。
戦うこと。そして守ること。それがわたしの存在理由で、生まれた意味だから。
「まあ、うちは気にせんというか……その、悪くないと思うで」
カオリさんはそう言いながら少し横を向いて、わたしから顔をそらした。その横顔が少し赤かったのはのは、夕日のせいだけじゃないように見えた。
わたしは返事をしてトテトテとカオリさんの方へと歩いていく。
その様子を見て、カオリさんはなぜか納得いかない様子で首をひねる。
「なんかなぁ~」
「なんでしょうか?」
「んーなんか……カタい? そう、カタいねん!」
カオリさんはドヤ顔で私に指を突きつけた。
「まずはその敬語!ほんでうちを呼ぶときのさん付け!その二つを早急に直すことを要求するわ!!」
「え、でもそれはちょっと……」
わたしはカオリさんの全身を見まわして、わたしより頭半分ほど高い顔を見つめる。
向こうの私が中学生であることも考えると、目の前にいるカオリさんが人生の先輩なのは明らかだ。
「なんや、うちのこと年増やと言いたいんか!」
「い、いえいえ、そういうわけじゃあ……た、ただ、お世話もしていただきましたし」
「そんなこと言うたら、うちも教会で助けてもうたやん。……それにな、もしホンマに歳を気にしとるんやったらそれは余計な気遣いってやつやで。こっちは向こうとは違う自由な世界や。先輩や後輩やなんてどーでもいいことやん?」
カオリさんはそう言ってカラカラと笑う。
わたしはその言葉に胸を突かれるような感覚を覚えた。
――自由な世界。
確かにわたしは変に気を使いすぎていたのかも。もっと肩の力を抜いて、もっと自由に。……昔の心乃香がそうであったように。
「だからな」
ぐっと顔を寄せるカオリさん。わたしが一歩下がる暇も与えずに畳み掛ける。
「これからは敬語はナシ。リンにしてたみたいにタメ口で行こ、コノ」
わたしの目にはどアップの人懐っこい笑顔が写っている。
――もっと自由に。
「わかりま……じゃなくて、おっけー。カオリ」
わたしは出会った時のリンちゃんにしたように半ば強引に手を取ってカオリさ……じゃなかった、カオリと握手をする。
一瞬驚いた顔をしたカオリ。しかしすぐに復活してニヤっと笑う。そして、くるりと回って握った手を振りほどいた。
「それでこそコノや」
カオリは振り返って一言わたしに言い残し、街に向かって歩き出す。
わたしがこの世界にやってきて、リンちゃんやカオリと出会ってからの時間は短い。
「それでこそ」なんて言われるほど長い時間一緒にいたわけじゃない。
でも、どこかわたしの中でその言葉はしっくりくるような感じがして、なんだか嬉しかった。
「さ、もたもたしてると置いてくで~」
前を歩くカオリが振り向かないまま頭の上で手を振っている。
「今行くよー」
頭上には昼と夜の境目のわずかな黄昏に染められた空があった。
わたしは前を歩く長い影を追うように草原を駆けていった。