最終話 初春の夜桜
質問です。一体俺はどんな顔をして帰ればいいんでしょう。
つまらない勘違いから家を飛び出して、1週間以上行方をくらました上に間違いだったので帰ってきました。
しまらない。しまらなさすぎる。結のやつ、心配しているだろうな。……怒ってるかな。
そう言えば、あいつが怒ってるところ見たことないな。普段は割と無表情だし、呆れてることのが多かった。時々笑うと、無駄にかわいいんだけどな。
そうだ、何か買っていってやるか。お詫びも兼ねて。俺に隠れてゲームしてたみたいだし、何か子供用のソフトでもひとつ。レトロな2コンのできるやつのがいいだろうか。
思えば、こんな思考ができること……それこそが幸福ってことかもしれない。まぁ俺みたいな奴は、そのありがたみをすぐに忘れるんだが。
「帰って、謝りますか」
何と無く、スッキリした。また今度買いに来ればいいさ。
俺たちは、兄妹なんだから。
「まったく、お兄ちゃんは……」
「すみませんでしたぁ……」
安っぽい床にひたいを擦り付ける。
「私も、天さんもあの金髪の人も……どれだけ心配したと思ってるんですか」
あーちゃんウチに来たのか。
「お兄ちゃん、あの人のこと覚えていないんですか?」
「あーちゃんなら、元凶みたいなもんだよ」
「責任転嫁しないで下さい」
「すんませんしたーっ!」
あれと他になにかあったっけ……分かんねえ。
「昔々、お兄ちゃんと会ったことがあるって言ってましたけど……」
「あんまり昔の話は……覚えてないし……」
「忘れすぎです」
すみません。
「まったく。今回は許してあげますから、二度とこんなことしないでください」
「分かりました……」
本当に申し訳ありませんでした。
「ご飯食べましょう。早く作ってください」
「いえすまいしすたー」
しばらくこき使われるのは仕方ないな。
「そういえば、メシどうしてたの?」
「天さんが作ってくれました」
「料理スキルないもんね」
「お兄ちゃんのアイデンティティを奪うわけには……」
なんてことを言いやがる。
「俺は料理以外にも特技あるぞ!」
「料理微妙じゃないですか」
「メ、メインじゃないから……」
懐かしいな、こんな会話。失いかけて、戻ってこれた。
今はその事実に心底感謝しよう。
「お兄ちゃん、明日のお花見の服、どっちがいいと思います?」
「俺に聞くの?それ」
やめてよね。僕に聞いたってわかるわけないだろ。
「甚だ不安は残りますが……まぁ」
むしろ不安しかないぜ。
「……あれだ、両方似合ってるぞ」
「1番ダメな解答例ですね」
好感度を上げるのも難しいね。ギャルゲと現実はまだまだ遠いらしい。
「そんなに気にしなくてもいいだろ。俺と天しかいないんだし。それよりも、荷物の整理しとけよ。明後日には引き払うんだから」
あれから色々あって、結局あいつの家に厄介になることにした。俺のためにも、結のためにもその方がいいと思ったから。
「別に私に荷物ありませんし……お兄ちゃん1人で、整理して下さい」
冷たいのう。
「まぁ家財道具やらなんやらはねぇ……あっちにあるからいらないと言えば……」
「完全に依存してるじゃないですか……」
「いいんだよ、許してくれるんだから」
俺ももう、フリーターじゃないしな。これからゆっくり借りを返していくさ。たぶん。
「お兄ちゃん、最近忙しそうでしたけど、明日休んで大丈夫なのですか?」
「大丈夫大丈夫、融通のきく仕事場だから」
「親しき仲にも礼儀ありですよ……」
「心配すんなって」
俺より遥かにしっかりしてるのはいいんだが、ちょっとばかり真面目すぎるな、こいつは。
「そんな風に服まで選んで楽しみにしてる妹との約束を、破るわけにはいかないしな」
「……それは、ですね」
「分かってるって。初めて桜見たとき、見たこともない顔してたし」
たまたま通りかかった公園の桜で、足を止めたこいつの表情はすごかった。写真撮っておけばよかったかな。
「……はい。とっても楽しみ、ですよ」
これから先、こいつに見せてやりたいものがまだまだ沢山ある。手始めに桜だ。汚い狭い部屋しか知らないなんて、悲しいじゃないか。
「そうだ、今日の夜飯どうする」
天が忙しいって言うから、今日は久しぶりに2人での夕飯になる。
――どこか食べに行くか、そんなことを言おうとして振り向いた瞬間、俺の背筋は凍りついた。
「結……!どうした、しっかりしろ!」
床に横たわる、小さな背中。なんだって言うんだ。駆け寄って触ると、今まで感じたことのない冷たさだった。
「お兄、ちゃん……」
風邪?違う。これはそんなもんじゃない。まさか。
「薄々、分かってた……つもりだったんです、けど」
ごめんなさい、そんなこと言わなくていい。いや、何でもっと早く言ってくれなかった。何でわざわざ今日なんだ。混乱した頭にいくつもの考えが、生まれて消えた。
「なにか、なにか方法は」
結はゆっくりと首を振る。分かってたって言うのか。いや、分かってなんかなかったはず。服まで選んでたんだ。ついさっきまで普通だった。
「……隠して、たのか?」
「お兄ちゃんを、がっかりさせたく、なくて……」
何とかなるって思ってたのですよ、だと?バカかお前は。何で一言言わなかった。何で怖いって泣きつかなかった。
たとえ俺に、何もできなかったとしても話して欲しかった。
「お兄ちゃん、公園に……連れて行って、もらえますか」
桜、か。馬鹿野郎、あと1日、あと1日待てば、うまい飯を食べながらみんなで見れたのに。何で……。
「お兄ちゃん……おねがい」
「……わかったよ」
いつになく軽く感じる身体を、背負って俺は外に出た。
冬の名残を感じさせる風が、妙に鋭く感じた。
「お兄ちゃん……」
「もう少しだ、頑張れ」
「ごめんな……さい」
謝られるたび、辛くなる。
「もう、謝らなくていい」
せめて桜くらい、泣かないで見よう。一緒に。
「私、この半年……幸せでした」
「……俺もだ」
だから今は、失うのが怖くてたまらない。走っていたはずの足から、力が抜け落ちていく。
「お兄ちゃんが、幸せになってくれて……よかった」
「なら、もう少し……いてくれ」
「それは、無理……かも、です」
なんでこんなことを俺は言っちまうんだろう。こんな時にまで。本当に嫌な奴だ。
「私は……お兄ちゃんのところにこれて、幸せでした……」
俺は、こいつに何もしてやれなかった。いつの間にか、目の前に桜はある。
「ほら、結……」
「ありがとう、お兄ちゃん……」
薄い月明かりに照らされた夜桜は、冷たく、美しかった。
「お兄ちゃん、私の服の入った段ボールの……底を、帰ったら見てください……」
失いたくない。聞きたくもない。こんな現実なら、知りたくなかった。
「私は、ここに来れて本当に嬉しい。お兄ちゃんの隣で、短い間でも過ごせて本当に楽しかったです……」
手の中の結は、どんどん薄く、軽くなっていく。
「お兄ちゃん、大好き」
見たことがないような、綺麗な笑顔だった。そしてその次の瞬間、結は消えていた。
春の始まりのある日、冷ややかな風に、一枚の花びらが舞っていた。
――拝啓 お兄ちゃんへ
拝啓の字が合ってるといいんだけど。
お兄ちゃんがこの手紙を読んでいるってことは、きっと私には限界が来たのでしょう。もしこれを読んでいるときにまだ、私がいたなら……何も言わないで下さい。恥ずかしいので。
私はもともと、お兄ちゃんの妹ではありません。たまたまお兄ちゃんの所に買われた湯たんぽで、短い間とはいえ人の姿を借りれたのは、奇跡だと思っています。
昔お兄ちゃんが、まだ子供だった時のことを、私は今でも覚えています。
お兄ちゃんのことだから覚えてないと思いますけど、毎晩黙って泣きながら寝ていたのを、私は知っています。朝になると無理やり拭って起きていたのも、知っています。
その時に私は思ったんです。この人の隣で、なぐさめてあげたいって。
私が物として、湯たんぽとしておかしいのは分かっています。でもその時には、実際そう思っていたんです。今思うととても不思議なことですけど。
私がお兄ちゃんを見ていられたのは、せいぜい1年の内3ヶ月ぐらいでしょう。あとの暗い時間は、ずっとお兄ちゃんのことを考えて待っていました。
さっきも書いたんですけど、お兄ちゃんの所に私が、人の形で現れることができたのは本当に奇跡です。私も最初は信じられなかった。でも、すごく嬉しかったし、楽しみでした。
お兄ちゃんの昼の顔を見ることができて、私はとても満足しています。少し気の利かないところもありますけど、私に気を使いながら生活してくれるお兄ちゃんには、とても感謝しています。
お兄ちゃんと過ごせた日々……妹にされたのは、実は少し不満なのですが、この毎日は、私のかけがえのない時間です。1日でも長く続いて欲しいけど、多分どこかで終わりは来てしまうでしょう。
そのあと、お兄ちゃんが絶望しないよう、こうやって書き残しておこうと思います。私がいなくても、毎日ちゃんと過ごしてくださいね。
あとできれば、ただの湯たんぽに戻った私を、存分に使ってください。私の意識が残っているかは分かりませんけど、お兄ちゃんに使われることが、私の幸せですから。
お兄ちゃんのことは、ずーっと見守っていたいですけど、もし私が何の役にも立たなくなってしまったら、あまり気にせずに捨ててください。猫さんのように、お兄ちゃんの周りに居られるようになるかもしれませんしね。
天さんにも、よくお礼を言っておいてください。お兄ちゃんも、色々とお世話になっているんですから、しっかりお礼すること。この手紙を見せても構いません。
私のことは、あまり深く考えすぎないようにしてください。私自身、私がどういう存在なのか、よくわかっていません。
だからお兄ちゃんに名前をもらった時は、すごく嬉しかったんです。私が、私であることを教えてもらえたような気がしました。
だからお兄ちゃん、本当にありがとう。
一緒に暮らせて、とても楽しかったです。
妹 結より。
追伸 ……猫さんの件、ちゃんと話をつけておきますから、安心して寝て大丈夫ですよ。
「荷物はそれだけか?」
「ああ、世話になるよ」
「今日からは君の家でもある。くつろいでくれ」
冬は終わり、鶯が春の訪れを告げる。
「感謝してるよ。お前には」
「何だいきなり。君がそういうことを言うと、気持ちが悪いな」
「それはすまん」
「冗談だよ、気にしないでくれ」
人が出会い、別れ、新たな世界を開く季節。
「なぁ、天」
「どうした?」
「俺、覚えていられるかな」
不安と、期待が入り混じる季節。
「……大丈夫。君だけじゃない。私だって覚えている」
「そう、だな」
俺たちは、まだ生きていく。
記憶に癒されながら。
思いつきから書き始めた湯たんぽ、何とか完結させることができました。読んでくださった皆様、ありがとうございました。




