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次の日から、なにやらあたしの身の周りで、おかしなことが起こり始めた。
働かなくとも生活に困らないとはいえ、家で一日中ぼーっとしていてもつまらないから、あたしは日課となっている散歩に出かけた。
さくらちゃんの病室に行ってみようかと思ったものの、やっぱり彼女のお母さんと顔を合わせるのがつらくて、結局あたしの足は病院から反対方向を目指していた。
買い物でもして帰ろう。ぼんやりとそう考えたあたしは、商店街のほうへと歩いていった。
病院は、静かな住宅地の中にある。
ここから商店街に向かうには、林のあいだを抜ける少し寂しい道を通っていく必要があった。
寂しい道とはいっても、たまに車は通る。二台の車がすれ違うにもかなり慎重を要する、それくらいの細い道だった。
大きなトラックなんかは入ることもできない、大型車進入禁止の道路となっている。
道の両側にある林の奥からは、なにかの虫やら鳥やらの声らしき音も聞こえてくる。
夕方になる前の微妙な時間だからか、車通りはおろか、人通りすらほとんどなかった。
あたしは道の右端を歩く。
この道には歩道がない。左側通行の車が背後から来るのは怖いから、あたしはしっかりと右側を歩くことにしていた。
もっとも、車なんてほとんど通らないのだけど。
と、油断していたあたしのすぐ右側、林のほうから突然、ガサガサガサ、と草木が揺れる音が響く。
その刹那、林の中からなにかが、まさにあたしを目がけて飛び出してきた。
「きゃっ!」
反射的に身を固くし、目をつぶってしまう。だからそれがなんだったのか、あたしにはわからなかった。
でも、すぐに感じるはずの衝撃は、いつになっても訪れなかった。
あたしには結構長い時間に思えたのだけど、目をつぶっていた時間は、ほんの数秒だったに違いない。
おそるおそる目を開けたあたしの斜め左前方に、動物の後ろ姿のようなものが一瞬だけ映り込む。
すぐに左側の林の中へと吸い込まれるかのように消えていったから、あたしはその姿をはっきりと見たわけではなかったのだけど。
丸々とした茶色い動物、サイズとしてもさほど大きくはなかったそれは、おそらくイノシシの子供だろうと考えられる。
この林の中には野生のイノシシが生息しているらしいという話を、さくらちゃんのお母さんから聞いたことがあった。
自宅から病院まで毎日行き来しているというさくらちゃんのお母さんも、その途中でこの林のそばを通った際に目撃したのだろう。
とりあえず、ぶつからなくてよかった。そう思って歩き出す。
「……あれ?」
ふと視線を落とすと、あたしのスカートの右側が、泥で汚れていた。
衝撃はなかった。ということは、さっきのイノシシがぶつかったわけではないと思うけど……。
どうして汚れているのだろう?
ちょっと不思議には思ったけど。
きっと、あのイノシシがあたしを避けたときに、足もとの泥が跳ねてスカートにくっついたとか、そんな感じに違いない。
軽く結論づけたあたしは、スカートについた泥を払い落とす。
泥は、すぐに払い落とすことはできなかったけど、こすってどうにか目立たないようにはできた。
微かに残った汚れは、あとで洗濯すれば綺麗になるはずだ。
あたしは気を取り直し、再び商店街へと向けて歩き出した。
このときのあたしは、気づいていなかった。
雨が降ったあとじゃないのだから、足もとの泥が跳ねるわけはないのだということに。
スカートについていた泥、それはおそらく、林の湿った土の上で生活しているあのイノシシの足についていた泥が移ったものだろう。
とすると、あのイノシシはしっかりとぶつかっていたことになる。
あたしがそれに気づいたのは、かなりあとになってからだった。
☆☆☆☆☆
商店街に着いてからも、おかしなことは続いた。
突然立てかけてあった看板が倒れてきたり、植木鉢が落下してきたり、街路樹の枝が折れたのか目の前に落ちてきたり。
商店街とはいっても、多くの人が買い物する時間帯とずれていたからなのか、もともと人通りは多くなかった。
だけど、あたしの周囲に誰もいなくなった瞬間を見計らうかのように、そういったおかしな現象は起こっているみたいだった。
もちろん、風が強く吹けば、こういうことだって起こりうるだろう。
でも、このときにはまったく、風なんて吹いていなかったのだ。
何度目になるだろうか、あたしは目の前に倒れてきた立て看板を呆然と見つめる。
喫茶店のメニューかなにかが書かれた看板のようだった。
音に気づいて振り返る買い物客たち。
どうしたんだ? 大丈夫かい?
優しく心配の声をかけてくれる人たちに、あたしは引きつった笑みを返す。
実際、あたしはまったくケガなどしていない。
音や迫り来る影に気づいたあたしは、条件反射的に目を閉じていたからはっきりとは見ていないものの、どれも間一髪で避けていたと思われる。
ぶつかった衝撃などをまったく受けていないわけだから、そうとしか考えられない。
それにしても、なんだか今日は運が悪いみたいだ。
せっかくここまで来たのだからと思い、軽く買い物だけ終えると、あたしはそそくさと逃げ帰るように商店街をあとにした。
それから、再び林のあいだを通る細い道を抜け、マンションのすぐ手前まで戻ってきた。
帰ってくる途中には、なにもおかしなことは起こらなかったため、油断が生じていたのかもしれない。
前方から一台の車が走ってくるのが見えた。
住宅街の中にある道だというのに、かなりスピードが出ているようではあった。
とはいえ、問題なくすれ違えるくらいの道幅はある。あたしは道の端に身を寄せて、心持ち速度を落としながら歩いていた。
車があたしの斜め前方にまで迫ってきた、そのとき。
突然、車は挙動を乱す。
そして――、
激しいブレーキ音を立てながら、その車はまっすぐ――、
あたしのほうを目がけて突っ込んできた!
「きゃあっ!」
あたしは買い物袋を持っていない左手を顔の前にかざし、無意識に目を閉じる。
次の瞬間。
予想していた激しい衝撃は……、やっぱり訪れなかった。
怯えながらも、ゆっくり目を開ける。
車はすでにあたしの横を通り過ぎ、逃げるように走り去っていた。
「危ないなあ、もう」
あたしは思わず怒りの声を漏らす。
もしぶつかっていたら、ひき逃げになるところだ。
「やあ、大丈夫だったかい? ひまわりちゃん」
不意に声がかけられた。
振り返ったあたしの目に映ったのは、ほのかに微笑みを浮かべた男性。
それは昨日公園で出会った怪しい人――白亜さんだった。




