湖上の花冠08
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朝靄の中、先輩は雨上がりの桟橋で、差す必要もない白い傘をくるくると回している。
傘を回す仕草はどうやら癖のようだった。
くるりと回る傘を見ると梅雨時の事件を思い出してわたしの胸は締め付けられるのだけれど、先輩は舞台女優のようにすらみえた。
「じゃあまずは桟橋にフロートが流れ着いていたところからね」
先輩はそう言うと、桟橋の杭からフロートへ伸びるロープに手を触れた。
「まず、この回収索そのものは最初からあったものね。フロートを桟橋へ寄せるための連続ループ。ここまではイベントの安全設備よ」
「萌花ちゃん、ちょっとこのロープを引いてみて」
雪乃先輩の言葉に、わたしは頷いた。
濡れたロープは重たかったけれど、両手で手繰ると、花で飾られたフロートがゆっくりと桟橋へ近づいた。
「あ、すごい……ロープをたぐるだけで、岸まで動かせます」
「ええ。だから園田さんは、カヌーがなくても桟橋まで戻ってこられた」
先輩はそこで、蓋の縁に絡んでいた別の結び目を指さした。
「けれど、この蓋に絡んでいる結び目は別。グレープバイン――ダブル・フィッシャーマンズ。強く締まるほどほどけにくい結び方」
「園田さんは、自分が乗ってもロープが外れないように強く結び直した。けれど雨で濡れたロープは固く締まり、結び目が蓋の金具に噛んでしまった」
先輩は、半開きの蓋をそっと見つめた。
「だから、岸までは戻れた。けれど、花棺から出られなかった」
「と言うことは……」
先輩はわたしたちの方を向いて問いかけた。
わたしは答えた。
「今回の件は、園田さんの自作自演」
先輩はわずかに頷くと、少し悲しそうな表情になりながら
「健康な人ってしばしば自分を過信しがちよね。あの雨の中でも大丈夫だと思った」
「そして、瑞希さんならきっと気づいて助けてくれると思った……」
恋する乙女は大変ね。それはわたしにだけ聞こえる声だった。
「自作自演の理由、もう少し語った方がいいのかしら?」
先輩はロープを手繰り寄せながら
「グレープバインノットが出来るのはアクティビティ部くらいもの」
「以上、Q・E・Dでもいいんだけれど」
「だ、ダメですよ、先輩」
「そうかしら」
そう言うと黙り込んでしまった。それから顔をあげると
「確かにそうかも。カヌーの件があったわね」
今更、説明してなかったことを思い出したように語り始めた。
「もともと、この事件は突発的なものだったの」
「あの一瞬の豪雨、それがなければ発生も成立もしなかった」
「園田さんはどうしても花冠の乙女がやりたかった」
先輩はなんだか寂しそうな口ぶりだった。
「あの時、雨は土砂降りで一メートル先も見えないくらいだった。夜の湖面なら尚更よね」
「きっと頭の回る子なんでしょうね。あの一瞬で最後尾の自分ならできるトリックを思いついてしまった。園田さんはそっとカヌーから降りると、波飛沫を立てないようにフロートに乗り込んだのよ」
「誰にも知られず入水したオフィーリアのようにね」
先輩の眼差しは、あの日の司書室の画集の絵とそのモデルに向けられているようだった。
「ライフジャケットで溺れる心配はないけれど、水は凍えるほど冷たい」
「素早くフロートに乗り移った園田さんはロープを軽く手繰る。岸とフロートは連続ループ構造になっているのを確認した」
「それからさっきの説明通りに、園田さんは人が乗った重みに備えて、結び目が硬く強固なグレープバインノットを使ってフロートと岸のループを結び直した。これがフロートの蓋に噛んでしまったというわけ」
「ロープも解けない、蓋も開けないようになってしまった」
雨の中、ずぶ濡れの状態だったからね。先輩は悲しげにそう付け足した。
「カヌーはどうやったんですか?ちゃんと人影が見えました」
わたしは聞いた。
「カヌーはね。かなり綱渡りだったのよ」
「オールの上のポンチョを被せて人型にギリギリみせかけた」
「最後尾だし、萌花ちゃんもアクティビティ部の部員さんに導かれて後ろを振り返らずにロッジに戻ったでしょ?」
「そして、岸についたカヌーに人がいなければもう降りてロッジに戻ったか、部員として対応していると誰もが思う」
「そうして、みんながロッジに戻った頃にロープを引いてフロートを桟橋まで動かした」
「どうしてそこで瑞希先輩を待つようなことをしたんでしょうか?」
「もう、萌花ちゃんったら、ホワイダニットよ。バスの中を思い出して」
「バスの中……瑞希先輩がお菓子を配ってたことくらいしか思い出せませんけど」
それと瑞希先輩が雪乃先輩にベタベタ馴れ馴れしかったことくらいしか。
後半は口の中の紅茶に溶け混むにまかせた。
「わたしだって馬に蹴られたくはないもの」
先輩は神妙な顔をしてそう言った。
「最後の部分は園田さんが大丈夫そうなら直接聞きに行きましょう」
先輩はまた傘をくるり、と回すと朝焼けの湖面に逆光の影を作りながらそう言った。




