気象俱楽部奇譚01
第2巻開始です。
エピソード的には三つの手紙五つの嘘の次の時系列になります。
どうぞお楽しみください
「なんだか最近相合傘多くないですか?」
梅雨空の下校時間、わたしは先輩にそう切り出した。決して羨ましいとかではなく、事実として、わたしたちの目の前に一本の傘に収まる二人の女生徒が何組もいたのだから。
「私たちも一本の傘にしましょうか?」
雪乃先輩は羨ましいような誘うような悪戯っぽい笑顔。
その瞳にいつもわたしはやられてしまうのだった。
わたしが何も言えずにいると、先輩は雨降りや雨上がりの日にいつもやる、おそらく癖なのだろうローファーを水たまりに浸しながら、答えを待っているようだった。
三つの手紙事件のあの日、先輩は自分の傘を畳んでわたしの傘に入ってくれた。
そのことを思い出しながら、わたしがどっちつかずの態度をとったからだろうか、待ちかねたように校門の方に向かって足取りも軽く歩いていってしまう。
相合傘したかったな、そんな想いに沈み込んでいると先輩はようやく口を開いた。
「萌花ちゃんの言うとおり、二人に一本しか傘がないみたい」
雪乃先輩は、考え込みながらそう言った。
「最近、すっごくよく当たる降雨予想アプリが流行っているんですよ」
「それと関係あるのかもしれません」
「清心館を中心とした半径数キロだけのアプリだそうですよ」
わたしはせっかく一つ傘の下で帰る機会が不意になったことを思い出さないように続けた。不思議なものを作る人間もいるものだな。そんな考えのわたしに
「科学部の実験か何かなのかしら?」
先輩は首を捻りながらまた考え込んだ。
「そうなんです、ケイが教えてくれて。おそらく学内の人間が開発に関わってるんじゃないかって。そんな話もあるくらいなんです」
わたしはそんな出どころの怪しい話を先輩にした。なんて言ったらケイが可哀想か。
先輩は続けた。
「不思議なビジネスだったりしたら面白いのにね」
先輩は愛用のレースの傘をくるり、と回しながら微笑んだ。
わたしはそれに見惚れてしまいそうになりながら
「奇商倶楽部みたいなものですか?」
つい頭に思い浮かんだことをそのまま口にしてしまった。
先輩はパッと顔を明るくすると
「萌花ちゃんの好きなところは網羅的に本を読んでるところなのよね」
褒めてくれてるのか、微妙な物言いだけれど、『好き』という単語がわたしの胸をそっと撫でた。だから普段なら言わないことを言ってしまう。
「わたしが先輩のことを好きなのも、どんな本も知らないくらい守備範囲が広いところです」
頬が火照っていないだろうか?声が震えないだろうか?
努めていつもの調子で話したけれど、変なニュアンスになってなければいいのだけれど。
「あはは、そうね。確かに普通の女子高生はチェスタトンの奇商倶楽部の話はしないか」
先輩は楽しそうだった。
G.Kチェスタトンの奇商倶楽部——
それはこの世にまだ存在しない商売で生業を立てることでしか入れないクラブを舞台にしたミステリ。チェスタントンはブラウン神父が有名だけれど、こっちは少しマイナー寄り。だと思う。そんなことも先輩と話しているとよくわからなくなってくるけれど。
「でもこう見えて偏りはあるのよ。あまり古い海外文学は読まないしね」
先輩はわたしの顔を見ながら申し訳なさそうな顔をした。
「スタンダールなんてほんとに最近流し読みしたくらいだしね」
わたしは十分詳しいんじゃないだろうか?そう思ったけれどそれは口にはせずに
「もし、そう言うものがあったとすると、カップル製造業みたいなものですか?」
そう問いかけた。
先輩は最近、笑いのツボが浅いようで、クスクスと笑い続けている。
「カップル製造業自体はマッチングアプリと言うんじゃないの?」
先輩はまだ笑い続けてる。
揺れる髪の毛に雨粒が弾かれて虹を描いた。
「学内限定なら、ちょっと違うんじゃないですか?」
わたしはちょっとムッとしながら返事をした。
「私なら——相合傘斡旋サービス業にするかしら。清心館女学院専用の」
これならどう?
確かにそれなら奇商倶楽部に入れそうだ。でも生業に出来ないとダメなんだっけ。わたしは納得したようなしないような曖昧さで頷いた。
先輩は自分のアイデアが気に入ったようで、しきりと相合傘斡旋業と口の中で唱えながらニコニコし続けている。
それにしても笑い上戸だ。それとも、これが元々の先輩の姿なのだろうか?
三つの手紙事件を終えて、わたしと先輩の間柄は微妙な距離感でありつつも一歩前に進んだと思う。
結局先輩は初めての友達を教えてくれなかったけれど。最近の不満はもっぱらそれで、悩みもそれで、自己嫌悪の原因もそれだった。
帰り道は霧雨が柔らかく降りしきり、傘を刺しても制服は湿り気を帯びるようだった。
結局その日は、お互いの傘に入ることもせずに通学路の分かれ道にきてしまった。
「私たちは一人一本の傘だったね」
先輩は意味深な言い方をすると、少し寂しそうにも見える足取りで水たまりを踏み締めながら帰っていった。先輩がわたしと同じ気持ちだったらいいのに、わたしはどうして傘を畳まなかったのか、再び後悔しながら水たまりに思い切り飛び込んだ。跳ねた飛沫がスカートまで濡らしたけれど、不思議な満足感がそこにはあった。




