『マーク・ロスコ――赤』
「わからずやはそっちだよ。才能があるのに、どうして生かさないの?」
二人の心がぶつかって、二つの炎が美術室を満たした。それは絵の具よりも夕焼けよりも鮮やかだった。
「どうして――ありのままの千里を恐れるの?」
百瀬先輩の手を振り払う天目先輩。髪を乱したまま言葉を続けた。
「私、千里ちゃんの絵が本当に好きで」
天目先輩は、足を引き摺るように百瀬先輩に一歩近づいた。
「そんなすごい子が清心館に入学するって聞いて、ずっと楽しみにしてたの」
「でも千里ちゃんは、私の絵が好きだって。描いてみたいって。私の絵なんて、ただ見たままを描いているだけで、芸術なんかじゃないのに」
声が微かに震えた。天井のライトが黒髪に吸い込まれるようだった。
「そう言ったのに、強くお願いされて……」
「それで私が色を選んであげていたんです。千里ちゃんはわがままだよ――」
髪を振り乱しながらの声は、か細かった、けれど、室内に響き渡った。
「私は私にできることを、それだけを一生懸命やってきた。少しでも、そこに才能があると信じなければ、続けることはできなかったよ」
天目先輩は一瞬の息継ぎをして、また一歩近づいた。
「千里ちゃんが、私をここまで引っ張り上げてくれたのよ。なのにどうして、生まれ持ったその力を、捨てようっていうの」
声はもう震えていなかった。
目の前の百瀬先輩を、まっすぐ見据えている。
百瀬先輩の目と髪が、その言葉に炎のように揺らめいた。
「わがまま?わがままって何?みんなと違う世界が見えるって――」
「そんなにいいものだと思う?」
イーゼルを払いのけた。
ぶつかり合う音が、絵の具が散乱するように静寂を色で染めた。
百瀬先輩の怒りが、形になったような響きだった。
「天才が、本当に天才でありたかったのか……そう考えたことはある?」
怒りと悲しみが混ざり合った声だった。
「ゴッホの再来なんて言われて、喜んだこともあった……でも!」
「今は……絶対に言われたくない!」
「私は!百瀬千里なんだから!」
声が、怒りとなってガラスの上を波打った。
「私は、普通の人より恵まれているのかもしれない」
「そう言われることもある」
「でも私には決して手に入らないものがある」
絞り出す声。
「それはみんなが当たり前に持っている『普通』」
「それが『才能』そのものなのよ」
言葉は、滲む絵の具のようにゆっくりと広がった。
強い怒りと悲しみが、百瀬先輩の自信をかき消していた。
「才能を持って生まれたかったんじゃない」
「椿姫のようにただ絵が好きで、自分らしい表現ができれば良かった」
その声に柔らかな憧れと愛情が滲んだ。
「君が、君の絵が好きだった」
「特別に生まれついたら、特別に生きなければいけないの?」
「一度でいいから同じ色を見て、描いてみたかった」




