◆第五話『寝床上の語らい』
ジェイクは天井を見ながら硬直していた。
べつに石化の魔法を受けたわけではない。
少しでも動けば、ディアナの肩や腕に触れてしまうほどベッドが狭かったのだ。
おかげでかすかな息遣いも聞こえてくる。
布団内で共有した空間から温もりまでも伝わってくる。
なにより彼女の匂いがより強く感じられた。
そこらの冒険者がさせるすえた臭いではない。
思わず頭がふわっとしてしまうほど甘い匂いだ。
女性だからか。
王女だからか。
あるいはディアナ特有のものなのか。
いずれにせよ、同じ人間が発したものとは思えなかった。
「さすがに少し恥ずかしいな……はは……」
「そ、そうだな」
照れ笑いをするディアナに、こちらは上擦った声で応じた。
視線だけを左隣に向ける。
ディアナも同じ格好で寝ていた。
固まったように動かないのも同じだ。
ふと気になるものを捉えてしまった。
あまり厚い毛布ではないこともあってか。
彼女の胸部辺りが見るからに隆起していたのだ。
ふいにもぞもぞとディアナが体をこちらに向けた。
さらに「ジェイク」と艶っぽい声で名前を呼んでくる。
まじまじと彼女の胸を見ていたところだ。
一瞬どきりとしてしまった。
それほど大胆に見てはいない。
きっとバレていないはずだ。
そんな根拠のない自信を抱きながら、ディアナのほうに顔を向ける。と、無表情の顔に出迎えられた。
「きみは胸が好きなのか?」
「いっ」
思わず引きつった声をあげてしまった。
「いきなりなに言ってんだ。べつにそんなわけは――」
「誤魔化しても無駄だ。女はな、男の視線にはよく気づくものだ。ちなみに出会ってからずっと気づいていた」
ふふっと笑うディアナ。
どうやらバレバレだったらしい。
これはもう潔く謝るほかなかった。
「わ、悪かった……」
「べつに責めているわけではない。一応、自分の体には自信がある。視線を集めてしまうのも無理はないだろう」
「そこまで言い切られるといっそ清々しいな」
「だが、いやな視線というものはある。というよりいままで男の視線で不快でなかったものはほとんどない」
ディアナは「ただ」と続けて柔らかく笑う。
「きみのはいやな感じはしない」
唯一、許されたということだ。
嬉しいことこのうえない。
舞い上がってしまったせいか。
つい欲求が口から勝手に出てしまう。
「つまり見ても構わない、と」
「い、いきなり目が怖くなったぞ」
「勘違いしないでくれ。これは魔術研究に必要なだけだ」
「ど、どうしてそうなるのか激しく謎だっ」
「魔術の深淵に至るには、すべてを知らなければならない。つまり、女性のことを深く知ることも魔術に通ずるということだ」
「もっともらしいことを言っているが、さすがのわたしも騙されないぞ」
どうやら言い訳は通じなかったらしい。
と思いきや、ディアナが目をそらしながらぼそぼそと言いはじめる。
「ま、まあ……見るだけなら問題は……ない。さすがに触るのはダメだが……」
言いながら、ディアナが左腕で軽く毛布を持ち上げる。
灯を消してから時間も経ち、暗闇に目が慣れたからか。
あらわになったその先を鮮明に捉えられた。
鎖骨から流れるように作りだされた深い谷間。
そこから下りれば豊かな乳房が服越しに主張していた。
しかも横向きになったことでベッド側に崩れている。
おかげで触ってもいないのに柔らかさがありありと伝わってきた。
ディアナと手を組んだのは《迷宮の創造者》打倒のため。
つまり戦闘の相棒というだけだ。
それがいったいどうしてこうなったのか。
まったくもって予想だにしない展開だった。
しかし、だからといって享受しないわけにはいかない。
この身は魔導師であり男なのだ。
しかと目に焼きつけんと注視する。
間もなく、すっと左腕を下ろされた。
あわせて毛布が落ち、〝研究対象〟が見えなくなる。
「終わりだっ。これ以上は恥ずかしい……」
「い、いいだろう。今日の研究は終わりだ」
「まだ言い続けるつもりなんだな、それ」
くすくすと笑みをこぼすディアナ。
見破られる嘘だとわかっていてもついてしまう。
そうしないと彼女の顔をまともに見られなかった。
「なあ、ジェイク」
なにやらディアナが改まったように話しはじめる。
「わたしが《迷宮の創造者》の殲滅を願う理由……聞かないのか?」
「いずれって言ってただろ。話したくなったら話してくれればいい」
なにかしら深い事情がある様子だった。
無理に聞く必要はない。
「きみは優しいな。やはりただのエロ男ではなかったようだ」
「エ、エロは余計だっ」
またもディアナにくすくすと笑われてしまう。
本当に昼間の野生的な彼女とは大違いだ。
おかげで反応に困らされてばかりだった。
「その……わたしが話していないのにずるいかもしれないが……」
「ん、ああ。俺はべつに言っても構わないぜ」
とくに隠しているわけでもない。
ましてや相棒となった相手に話せない内容でもなかった。
「俺に1番最初に魔法を教えてくれたのが祖父なんだけどさ。その人が言ったんだ。〝魔導師たるもの気高くあれ〟ってな」
「素晴らしい教えだ。ただ、意味が広いな」
「もっと細かく言えば、魔導師には普通の人間にはない強い力がある。そんな強い力を気高い意志を持って使えってことだ」
「そしてきみは人の平和のため、《迷宮の創造者》打倒に力を使うと決めたんだな」
「ま、そんなところだ」
祖父のことは誰よりも尊敬している。
魔導師としてだけでなく、人としての模範でもある人だ。
「そんなきみが追放されるとはな……本当にすまない」
ディアナが顔をかげらせながら言った。
「どうしてディアナが謝るんだよ」
「王族として、わたしに力があれば庇えたかもしれない」
「っても、そんときゃ俺と同じで子どもだったろ」
「それはそうかもしれないが……」
「ま、事情が事情だから無理もない」
これは完全に自分の責任だ。
ディアナが気に病む必要はない。
申し訳ないとばかりに眉尻を下げていたディアナ。
だが、しばらくして難しい顔のまま思案しはじめた。
「しかし、大罪人の使っていた魔法だからというだけで忌避するのは引っかかる」
「……理由として弱いよな」
「そう、それだ! 理由が弱い!」
ディアナがぐいっと顔を寄せてきた。
もともと近かったので息が当たるほどの距離となった。
にもかかわらず彼女はまったく気にしていない。
つまり天然というわけだ。
本当にタチが悪い。
――動揺したら負けだ。
そんなわけのわからないことを考えながら、ジェイクは話を継ぐ。
「と、当時のことはわからない。だからこれは俺の推測だが……罠魔法を使えるのが、そいつだけだったからじゃないかって」
「妬み……か」
「魔導師には自尊心の塊みたいな奴がかなり多いからな」
魔法の才能には血筋が強く影響している。
ゆえに魔導師の世界では家柄で判断されることが多い。
実際、王立魔導学院でもその色は強くあった。
「そして、そこから長い年月をかけて忌むべきものとしての印象を強めていったというわけか……なんとも陰険なやり方だな」
「あ~、さっきも言ったが、あくまで推測だからな」
一応、釘は刺しておいたが、ほぼ確信していた。
ディアナもそれを感じ取っているようだった。
「それにしても罠魔法とはそれほど難しいものなのか?」
「正直、別物って言ってもいいぐらい違う。そうだな……ディアナ、離れたところにある椅子を倒すとしたらどうやって倒す?」
「なにかを投げる」
「だよな。普通はそうする。そしてそれが通常の魔導師のやり方だ。手から《ファイアボール》なり魔法を放って遠くのものに影響を与える」
「きみの場合はどうするんだ?」
興味津々といった目を向けてくるディアナ。
ジェイクは得意気に笑みながら答える。
「脚に糸を巻きつけてから引っ張って倒す」
「予め近づいているのはずるくないか?」
「ただ、それが罠魔法だ。ま、ちょっとした方法で離れたところからでも仕掛けられる方法はあるが、これについては置いておこう」
いずれディアナにも見せる機会が訪れる。
そのときに説明すればいいだろう。
「しかし、それならわたしのやり方のほうがてっとり早い気がする」
「でも、こっちは好きなときに倒せる。しかも少ない労力でな」
「な、なんだかまたずるい気がしてきたぞ」
ディアナは納得がいかないといった様子だ。
ただ、彼女の疑問はすぐにもとに戻った。
「……だが、手間が多いのはやはり問題だな」
「そのとおり。実際、これを魔法に置き換えるとかなり複雑な術式になる。実際に一般的な魔導師が真似しようとすれば、準備してる間に陽が暮れて魔物に殺されるな」
「だが、ジェイクはあっさりやってのけていたじゃないか」
「罠魔法のために体内の回路を作り変えたからな。代わりに普通に魔法を撃てなくなっちまったが」
あっさりと言ってのけたからか。
ディアナが目をぱちくりとさせていた。
「そんなことができるのか?」
「天才だからな」
「清々しいほどに言い切ったな」
愉快だとばかりにくすりと笑うディアナ。
「とはいえ、さすがの俺でもモノにするのに時間がかかってしまった」
「そのおかげで最高の相棒を手に入れられたのだから安いものだろう」
「自分で言うかよ」
ふふん、と得意気な顔を向けてくるディアナ。
やはり自信を持つことにかけて彼女の右に出る者はいない。
と、そんなことを考えていたとき。
ディアナが窺うような目を向けてきた。
「追放した者たちを恨んだりはしないのか?」
「思うところがないって言えば嘘になる。でも、ある程度はこうなるだろうってわかってて選んだ道だからな。後悔はしてない」
王宮魔導師入りが確実となった日。
祖父の書斎でたまたま見つけた書物。
それが罠魔法の基礎を紡いだものだったのだ。
初めは好奇心から本を開いた。
だが、気づけばページをめくる手を止められなくなっていた。
どれほど罠魔法が有益かを知ってしまったからだ。
「それにもし、俺がこの罠魔法で《迷宮の創造者》を倒しきったら、あいつらがどんな顔するかって考えるのも面白いしな」
魔導師の世界には頭の固い連中は多い。
罠魔法がどれだけ有用かを示してもすぐに考えを改めることはないだろう。それでも示すのと示さないのとでは、今後の罠魔法への扱いも少しは変わってくるはずだ。
ディアナがどこか羨むような顔を向けてきた。
「きみは本当に強いな」
「しょげてたところでなにも始まらないしな」
そもそもは罠魔法で罪を犯した魔導師。
また、異端として決めた者たちが発端だ。
悪いのはいまの魔導師たちではない。
彼らに怒りの矛先を向けたところで意味はない。
仮に怒っていたとしても、その労力を魔術研究に向けたほうが有益だ。
「……き…は……と……らないな」
なにやらディアナがぼそぼそと呟いていた。
「ん? なんて言った?」
「やはり、きみに声をかけて正解だったと言ったんだ」
先ほど呟いたことと違うような気がする。
が、向けられたディアナの微笑があまりにも魅力的で聞き返す余裕がなくなってしまった。ジェイクはそのまま天井に体の正面を向きなおす。
「さ、さっさと寝るぞ。また腹が鳴るかもしれないしな」
「それは困るな。これ以上、きみに恥ずかしいところは見せたくない」
そう苦笑しながら、ディアナも寝る体勢に入ったようだ。
もぞもぞと少し動いたのち、音がしなくなった。
寝つきがいいのか、あるいは眠かったのか。
かすかな寝息もすぐに聞こえてきた。
相棒となった矢先に寝床をともにするなんて予想もしなかった展開だが……互いを知るには最高の機会となった。
自信満々でからっとした性格とあってか。
話していて嫌味な感じがまるでなかった。
距離感もまるで初対面とは思えないほどだった。
彼女の言うとおりだ。
もしかすると最高の相棒を見つけたのかもしれない。
ふと眠気が一気に襲ってきた。
本日はダンジョン攻略で魔力をたくさん使った。
きっと体が休みを求めているのだろう。
心地良い気分で意識がまどろみの中に落ちていく。
やがて完全なる暗闇へと至ろうとした、そのとき。
ドンッと鈍い音が隣の部屋から聞こえてきた。
続けて怒鳴り声が壁を突き抜けてくる。
「ふざけんじゃねえぞ! あの中にいくら入ってたと思ってんだ!」