◆第三話『深淵へと至るには』
外は、すっかり夕刻の色に染まっていた。
通りに並ぶ建物群が深い赤で塗られている。
ジェイクは歩きながら肩越しに振り返る。
後ろからは当然のようにディアナがついてきていた。
「いつもあんな感じなのか?」
「は、はは……頭に血が昇るとどうしても、な」
ばつが悪そうに目をそらすディアナ。
一応、悪いことをしたという自覚はあるらしい。
「行く先々であんな調子じゃまずいだろ」
「そこはほら、きみが御してくれればいいだろう?」
「……だから、どうしてもう組むことになってるんだよ」
「きみも頑固だな」
「あんたに言われたくないな」
すでに呆れをとおり越してしまっている。
おかげで逆に興味が湧いてきた。
「なあ、できればもうダンジョンに潜りたくないって言ってたよな」
「ああ。暗いところはあまり好きじゃないし、じめじめしたところも嫌いだ」
「ほとんどのダンジョンに当てはまるだろそれ。それでも潜るのをやめるつもりがないってことは……なにか深い理由でもあるのか?」
そう質問した途端、ディアナの雰囲気が変わった。
「迷宮の創造者……この世界に存在する奴らをすべて根絶やしにするためだ」
その名前を聞いて反応しないわけにはいかなかった。
――《迷宮の創造者》。
邪神が生みだした災禍の魔物だ。
その名のとおりダンジョンを造りだす力を持っている。
また、配下の魔物を強化する力をも有している。
言わば、そのダンジョンの王とも言える魔物だ。
そこかしこに点在するダンジョンも、もとは《迷宮の創造者》の管理するダンジョンからあぶれた魔物によって造られたとも言われている。
それほどまでに影響力のある存在だ。
当然、その強さは並の魔物とは比較にならない。
ジェイクは立ち止まったのち、彼女と向かい合う。
「正気か? 魔導師が100人がかりでも勝てるかわからない相手だぞ」
過去に何度も王国が討伐のために軍を送っている。
だが、成功したのは片手で数えられる程度のみだ。
それほどの脅威とあって《迷宮の創造者》の存在を少しでも感じとったならすくみ上がる者が大半なのだが……。
このディアナはどうか。
いっさい臆した様子がない。
「それでもわたしは奴を倒さなければならない。それがわたしの使命だからだ」
「そっちの事情は……話せないってわけか」
「いずれ、ということでどうだろうか」
手を組んでいないいま、ただの他人だ。
込み入った話を明かさないのも無理はない。
「あれだけ用意周到に準備しているきみのことだ。《迷宮の創造者》対策もしているのだろう?」
「当然だ。っていうか、俺も《迷宮の創造者》を倒すために戦ってるからな」
たった1人の魔導師がダンジョンを潰すと言っただけで笑われるほどだ。通常のダンジョンの主とは比較にならない、《迷宮の創造者》を打倒するなんて口にした日には、3日3晩どころではすまないほど笑い者にされるだろう。
だが、どこからも笑い声は聞こえてこない。
たったひとつ、真剣な目が向けられているだけだ。
……きっとディアナも同じ気持ちだったのだろう。
「きみは、わたしが《迷宮の創造者》を倒すと言っても驚くどころか笑いもしなかった。もしやと思っていたが……やはりそうか」
同志を見つけた喜びからか。
ディアナが顔を綻ばせながら一気に歩み寄ってくる。
「ならば、なおのこと力を合わせれば――」
「俺のことは知ってるんだろ」
「……禁忌と言われた罠魔法に手を出した異端の魔導師……ジェイク・オルトレーム」
王女ならば知っていてもおかしくはないことだ。
ただ、名前まで正確に覚えているとは思わなかった。
そんなこちらの動揺を見透かしたように彼女は話を続ける。
「当時、わたしと同じ12歳ながら、最年少での王宮魔導師入り間近と噂された天才魔導師だからな。よく覚えている」
「けど、いまじゃ、誰もが俺の正体を知れば目の色を変える」
「昔、王国に叛逆した魔導師が愛用した魔法を使ったから、か」
王家やそれに連なる者が数十人規模で殺されたという。
とはいえ、もう百年以上も前の話だ。
当時の被害者はほとんど残っていない。
あるとすれば罠魔法は忌むべき魔法という印象だ。
おかげで手を出したことにより、王宮魔導師入りの話は消失。王立魔導学院から除名。さらに王都から追放という処分を受けた。
すべて予測できた事態だった。
それでも罠魔法を選んだ理由はただひとつ。
ダンジョンを潰すにはもっとも効率的な魔法だったからだ。
「俺と一緒にいれば、あんたまで同じような目で見られるぞ」
「やけに頑固だと思っていたが……そんなことを気にしていたのか」
「そんなことって……俺はあんたのことを思って――」
「わたしがなんと呼ばれているのか知っているだろう」
自嘲するように口元を緩めながら聞いてきた。
夕陽を背景にした彼女をまじまじと見ながら答える。
「……《殺戮王女》」
「そうだ。おかげでこの鎧の意匠も、真っ赤な髪も……全部返り血だと噂されるようになってしまった」
「馬鹿な噂だな」
「だろう。単純に赤色が好きなだけなのにな。髪だって完全な地毛だ」
ディアナが自身の髪を触りながら淑やかに笑った。
ギルドで見せた荒々しい一面とは大違いの表情だ。
「でも、そんな噂が立つぐらいだ。実際に何人か殺ったのか?」
「殺すわけないだろうっ。きみまであんな噂話を信じているのかっ」
心外だとばかりの顔を向けられた。
が、うろたえずに淡々と事実を突きつける。
「いや、さっきの喧嘩っ早いところを見せられたらな」
「うっ」
「脅しだろうが、殺るなんてことも言ってたしな」
「ぐぅ……っ」
「あんなんだから誤解されるんだろ。実際、あれは何人も殺ってる顔だったぞ」
噂も相まって真実味がより増したのは間違いない。
ディアナが上目遣い気味に恐る恐る訊いてくる。
「そ、そんなにひどい顔だったのか?」
「そりゃもう。俺が小悪党だとすれば、そっちは大悪党だ」
ついにディアナが絶望したように俯いた。
ジェイクは思わずふっと笑ってしまう。
「嘘だ。少し盛った」
「ひ、人が悪いぞっ。本気にしてしまったじゃないかっ」
「でも半分ぐらいは本当だからな」
またしても落ち込むディアナ。
ころころと表情が変わって面白い。
「ま、安心してくれ。あんたがそういう人間じゃないってことは話してよくわかった」
「会ったばかりだというのに信用してくれるのだな」
「その会ったばかりの奴に手を組もうって誘ってきた奴はどこのどいつだ」
「わたしは人を見る目だけは自信があるからな」
ふふん、とディアナが胸を張る。
その瞳にはいっさいの穢れがなかった。
彼女は強い意志のもとに動いている。
いま、こうして誘ってくるのも目的の一環なのだろう。
きっと彼女は諦めない。
いや、こちらが本気で拒否感を示せば諦めるかもしれない。ただ、そうではないと本能で感じとっているのだろう。そんな気がする。
ジェイクは大きなため息をついた。
「わかった。わかったよ……」
「もしかして組んでくれる気になったのか?」
「正直、あんたがいてくれたほうが助かるのは事実だしな」
遠距離攻撃を放ってくる魔物。
並みの罠魔法ではびくともしない硬い魔物。
また《迷宮の創造者》戦を想定したとき――。
足止めをしてくれる壁役がいることに越したことはない。
「きみならば、きっと応じてくれると思っていたっ!」
ディアナが興奮した様子で駆け寄ってきた。
こちらの手を取り、ぶんぶんと上下に振ってくる。
あわせて彼女の胸が大きく揺れていた。
決して色香に惑わされたわけではない。
戦力として役に立つと考えた結果だ。
ジェイクは目線を上下に動かしながら、そう自身に言い聞かせた。
「ま、まあ、そういうことだから……よろしく頼む。王女殿下」
「きみは本当に意地悪な奴だな。その身分はもう捨てたようなものだ。ディアナでいい」
言って、気持ちのいい笑みを向けてきた。
身分を捨てたと言っても気品の違いは感じられる。
それでも彼女の親しみやすさが、誘いを受ける理由となったことは間違いなかった。
「了解だ。ディアナ」
「ああ、よろしくだ。ジェイク」
がっちりと握手を交わした。
わずかな硬さはあるが、やはり女性の手だ。
独特の柔らかさを感じられた。
「さて、晴れてわたしたちは相棒となったわけだが、ここでひとつ頼みたいことがある」
「どうした、改まって?」
ディアナが目をそらしつつ、言いよどむ。
よほど言いづらいことのようだ。
彼女はわずかに顔を赤らめながら、意を決したように口を開く。
「その、きみが泊まっているところにわたしも厄介になってもいいだろうか?」
「……あ、ああ。そうか、そうだよな。まあ、これからは一緒に行動するわけだし、宿が一緒に越したことはないな」
理解するのに少し時間がかかってしまった。
同じ部屋に泊めてくれ、と言われていると勘違いしてしまいそうになったのが理由だ。が、そんなことはあるはずがないとすぐさま捨てた。
「そうではなく、同じ部屋にということだ」
まさかの答えだった。
「い、いや。なにを言って――」
「先ほどギルドを損壊させただろう。あれの弁償でほとんど使ってしまってな。今夜の宿代すらも払えなくなってしまった」
あはは、と苦笑いを浮かべるディアナ。
まさかの返答に思わずぽかんと口を開いてしまう。
「金がないって……王女なんだろ」
「国から支援はいっさい受けていない。すべて自分で稼いでいる」
「だ、だったらべつの部屋をとればいいだけだろ。ディアナが弁償した件は俺も無関係ってわけじゃない。それぐらい俺が払い……たいところだが、俺もいま余裕がなかった」
ダンジョンを潰した報酬を受け取れるのは後日だ。
あとは今夜の宿代ぐらいしか残っていなかった。
「わたしは厄介になる側だ。きみがいやと言うのなら――」
「いやとは言ってないだろっ」
「ならば、お願いできないだろうか……?」
さすがのディアナも照れがあるようだ。
夕陽のせいと言うには無理があるほど頬が赤らんでいる。
ジェイクはごくりと喉を鳴らした。
王立魔導師学院を追放されてからというもの、魔術の研究に没頭してきた。だが、いまだに魔術の深淵は見えていない。
当然だ。
深淵への道は、すべてを知る者にのみ開かれるものだからだ。
――つまり、これは魔術の深淵へと至るために必要なことだ。
そう自身に言い聞かせながら、ジェイクはゆっくりと頷いた。