26.トンズラ
「落ち着け、落ち着け、落ち着け……」
米斗は必死で千具良の背中をさすっていた。酷くなる揺れ、止まらない千具良の鼓動。それを止めるには、とにかく彼女の心拍数を安定させればよいのではと考えた結果だ。
そんな程度の方法しか思いつかなかったが、幸運なことに、米斗の肩に顔を埋めた千具良の体の震えが、徐々に治まってきた。
その証拠に地面の揺れも緩急していき、数十秒で完全に収まった。
五感を研ぎ澄まして鎮静を確認し、米斗は安堵の息を吐く。体の力が、がっくりと抜けた。とりあえずだが、地球崩壊の危機は逸脱できたのではないだろうか。
米斗にもたれかかり、千具良はぐったりと倒れ、動かなくなった。
気を失っている。極限まで張り詰められた緊張の糸が切れたのだろう。千具良の背中を、再び軽くさすった。
「米斗、いるのか!?」
背後からの、名前を呼ぶ声が響く。聞き覚えのある声に、米斗は振り返った。
「兄貴、ここだ!」
公園に入ってきた兄――北斗は、目の前に広がる光景に、一瞬足を止める。だが目線の先に弟の姿が入るや否や、一目散に側へと駆け寄ってきた。
「米斗! 有栖も一緒か、お前たち、怪我は?」
「俺は大丈夫だ。千具良が気を失ってる。体中、怪我をしているんだ、病院へ連れて行かないと」
米斗は千具良を背負い、立ち上がった。
「しかし、この騒ぎだ、町中がパニックを起こしている。病院も立て込んでるだろうな……うおっ!?」
どうするかと考えていた北斗が、突然吹き飛ばされた。北斗は側の桜の木に額をぶつけて、気を失った。
「あ、兄貴?」
「あらー、やっちゃった。急いで突っ走ってきたから、つい勢い余って……」
北斗のいた場所には、替わって吉香が立っていた。しまった、と頭を掻いている。急いで走ってきたわりには息は乱れていない。それが人型ロボットの凄さなのだろうかと、米斗は密かに思った。
「それより、あんたたち、早く袴田道場へ。ここにももうすぐ警察や消防車や野次馬たちが押し寄せてくるわ。騒ぎに巻き込まれないうちに、トンズラしちゃいましょう」
吉香は素早く気絶した北斗を担ぎ上げた。女子高生が大の男をいとも楽々と。何も知らない人間が見たら、どんな想像を巡らせるだろう。
「グズグズしてないで、行くわよ!」
吉香に先導され、千具良を背負った米斗は公園を後にした。
遠くでパトカーのサイレン音が鳴り響き、近付いてくる。間一髪、上手い具合に逃げ出せたようだ。そう思うと、なんだか犯罪者にでもなった気分になる。公園でのびていた銀行強盗たちも、おそらく死んではいない。すぐに捕まるだろうが、あの惨状の原因を説明することは、きっとできないだろう。
袴田道場の門をくぐり、裏庭へ直行する。初めてきたときは地下の無駄に長い通路を通ったが、地上を通れば目と鼻の先。あの戸呂音の隠し部屋である庵の軒先までやって来た。
「師範代理、ただいま戻りました」
吉香が声をかけると、庵の裏から戸呂音が姿を現し、駆け寄ってくる。
「ご苦労様です。あら、北斗さん、どうなさったのですか?」
「すみません、誤って轢いてしまいました」
「まあ大変。早く庵の中へ運んで、寝かせてあげて下さい。千具良さんも気絶していらっしゃるのですか。では手当をして、意識が戻るまで待ちましょう」
庵の中に布団を並べて敷き、北斗と千具良を寝かせた。米斗も手首の傷を清潔にし、応急処置をしてもらった。
「米斗さん、あなたに先にお話をしておきましょう。これは大事なことですので。吉香さん、お二人の介抱をお願いします」
吉香は頷いた。米斗は戸呂音に先導され、庵の裏にある隠し階段を下りていった。




