森を歩く
亜優は体に力が入らない。
手伝おうにも、怖くて近づけない。
「亜優、荷物を見ておいてくれ」
そう言って、彼らは穴を掘り始める。
荷物なんて、見ていなくても誰も取らない。亜優たちのほかには、誰もいない。こんな場所まで来る人なんていないのだ。
だけど、できないくせに手伝おうとする亜優に、仕事を与えてくれた。
亜優は、感謝して、お言葉に甘えて彼らの荷物の真ん中に座る。
彼らはあっという間に大きな穴を掘り、馬車の中の死体を埋めた。
ライトが、馬車の中から物を運び出そうとしたところで、アッシュが止める。
「ライト、物もダメだ。魔物の血が、少しでもついている可能性があれば、街には入れられない」
ライトは眉を下げて、荷物を見る。
「小さなものでもダメですか?遺品を家族に渡そうかと思ったんです」
「それでも、だ。俺たちは、街を守るために存在する。……小さくても危険は避けるべきだ」
アッシュの声は厳しく響く。
けれど、声を裏切る表情で、彼もつらいと思ってくれていることは伝わる。
「分かりました」
ライトは、悲しそうな表情で、小さくため息を吐くと、馬車の中に荷物を戻す。
そして、全員で祈る。
彼らは、亜優に対して祈るように促さなかった。
この馬車に乗っていた人たちが、亜優をこの森に捨てたことを知っている。自分を殺そうとした相手に祈りなど必要ない。
だが、彼らにとっては、ただの死者だ。
討伐隊にとっての、守るべき対象。
亜優に配慮しながらも弔うその姿は、格好いいと思う。
だから、亜優も少しの間だけ目を閉じて願った。
――どうぞ、安らかにあれと。
こわれてしまった馬車のそばに彼らのお墓を作った後で、亜優たちは街道を辿り街へと向かう。
屈強な彼らに囲まれて歩くのは安心感がある。
決して安全とは言い難いのだろうが、どうにも危険を感じられない。
元々が日本人だ。
危険と出会うような場面もあったことがないから、こんなふうにただ歩いているだけだったら警戒をし続けるのは難しい。
魔物に襲われた馬車を見たって、実際に死体は見ていない。
目の前にあると思えば怖かったものも、喉元を過ぎればなんとやらだ。
昨日まで同僚として働いていた人たちを埋めてきたという、実感がない。
いや、ないというより、意識したくない。
テレビの中のニュースを見るように、自分と関係ない場所で起こったものだと思いたい。
亜優は周りを見回す。
こうして歩いていれば、ごくごく普通の森の散策だ。
森なんて、ほとんど歩いたことは無かったけれど、ここは、本当に写真で見るようなきれいな場所だった。
柔らかな草が生え、小さな花も咲いている。緑は陽光を遮って穏やかに揺れる。時折、川と呼ぶのもおこがましいような小さな小さな小川が清涼なせせらぎを聞かせてくれる。
森は危険だ。不気味だ。近づいたら最後だと、この世界に来てから、まず学んだ。
それだけ、この世界の人たちは街道以外の場所へ出ることを恐れていた。
そこから外れることができるのは、高価な護符を持つ一部の人たちだけだ。
だから、もちろん亜優も初めての森なのだが、聞いていたような不気味さは全く無い。
どちらかといえば、穏やかで、小鳥のさえずりが聞こえる綺麗な森だ。
魔物の気配というものがそもそもどんなものかも分からない亜優だからそんな風に感じているのかと思っていたが、
「……気持ちいい」
ライトが、呆然とした様子で歩きながら呟いていた。
「そうですね。綺麗な森ですね」
ライトの独り言に答えるように同意を示すと、他の人たちから困ったような視線を浴びた。
「あ~~……不謹慎でした」
そうだ。さっき、殺された昨日までの同僚を見たばかりだった。そこで呑気に森の美しさを感じている場合ではない。
「違う。そうじゃなくて……この森を、綺麗と表現するなんてと思って……」
アッシュがたどたどしく説明する。
ここを綺麗だと表現することがおかしいと言っているのだろうか。
細い白樺のような樹が立ち並び、下にはそんなに背が高くない綺麗に茂った草花。
時折虫の羽音がする程度で、凶暴な獣がいる様子がない。
しかも、良い天気で、ぽかぽかと亜優の体をお日様が暖めてくれる。
「……綺麗な場所じゃないですか?」
どうしてだろう。彼らは、この状態を不気味だと表現するのだろうか。
なんてカルチャーショック。
「…………ああ、綺麗だ。穏やかな、森だ」
アッシュは同意しているとは思えない声で呟いて空を見上げる。
同意していると言うより、彼は驚愕で声が出ないという感じだろうか。
気がつけば、討伐隊の全員が、初めて見る場所を歩いているような顔をしていた。
周りを見回して、時にはしゃがんで花を撫でる。
武骨な手が小さな花をめでているのが微笑ましくて、思わず何も言わずに眺めてしまった。
誰もがただ森を眺めながら歩くことが大切らしい。
亜優だけが、その感動をうまく理解できない。
ただ、彼らは何かに感動しているようなので、亜優はもう何も言わずに歩いた。
三か月もここに居るというのに、今歩いている場所は初めての場所なのだろうか。




