やばい
それから、彼らは周りを警戒しながら歩き回っていた。
魔物は、自分自身や仲間の気配を辿るのが好きなのだそうだ。
だから、一匹いれば、近くにもいる可能性が高いし、弱った魔物は仲間を呼ぶ場合まであると言う。
まだ、アッシュたちには魔物の気配がついているから、近づいてきている気配があれば、出来るだけ街から離れたところで迎え撃たなければならない。
亜優は、そんな彼らをぼんやりと眺めるだけ。
アウトドアの料理の腕なんかないし、アウトドアじゃなくてもそんなに料理は上手じゃない。
植物の見分け方も、火のおこしかたさえ知らないので、ただただ彼らを待って無為に時間を過ごすだけ。
お昼や夕方の食事時になると、ようやく少し手伝えることができる。
材料を洗ったり、切ったりは多少はできる。
それさえも、教わりながらだったから、本当に助けになったかどうかは分からないけれど。
世話になるだけで、ほぼなにもできない申し訳ない一日が過ぎた。
明るい日差しに目をこすりながら起き上がると、亜優以外は皆起きていた。
そして、無言で、猛スピードで荷物をまとめていた。
「ごめんなさい!片付けですね」
あんまり急いでいるので、何があったのだろうと思いながら飛び起きる。
昨日のようなだるさはない。
運動したことが、逆に疲れになってよく眠れたのかもしれない。
体が動くのなら、片付けの中に入らなければと思う。
亜優が慌てて荷物を持ち上げると、アッシュからその荷物を取りあげられる。
「いや……気が急いているだけだ。もう少しゆっくりしてもいい」
苦笑しながら、他のメンバーを眺める。
「ようやく帰れるんだ」
照れくさそうに笑いながら、噛みしめるように言葉にした。
彼らにとっては長い旅だったのだ。
亜優は一昨日街を出たばかり。
連れて来られた馬車は魔物に襲われたが、亜優は全く見ていない。
馬車の惨状も直接見ていないし、魔物に遭遇もしていない。
だから、実際には『ようやく帰れる』という想いは薄い。
亜優がいまいち彼らの心情を測りかねていることが分かったのだろう。
アッシュは、それでも優しく笑う。
「亜優、君のおかげだ」
「え?何もしていませんよ?」
彼の言葉に目を瞬かせる。
何もしていないどころか、足手まといでしかない。しかも、命を助けられたのは、亜優だ。
「でも、亜優が来た途端、魔物の姿が消えた」
そう言われても、全く身に覚えがない。
「偶然だと思います。そろそろ一日くらい会わない日があったっていいんじゃないですか?」
首を傾げる亜優に向かって、アッシュは笑って彼女の頭を撫でた。
「それでも。幸運の女神みたいに感じているんだよ」
――女神。
そんなことを現実で言われる日が来るだなんて。
「しかも美人だしな!」
笑いながら数人が通り過ぎる。
――美人。
さらに、そんなことを言われたこともない。
全員が嬉しそうに、でも焦ったように荷物を片付けている。
その様子を見てから、もう一度アッシュに視線を戻す。
「本気で、私の事美人なんて言っているんですか……?」
亜優が呆然とする。同じくアッシュまで呆然とする。
「本気で自覚してないのか?さすがに無自覚はないだろ?」
「……そんなに可愛いのに」なんて、彼が聞かせるつもりがない小さな呟きまで、亜優の耳は拾ってしまって、頬が熱くなる。
美人……とは、未だかつて言われたことは無い。
この世界に来た時、繋ぎを着ていたが、基本的に亜優はパンツルックだ。
あれだけ見事に無視された容貌だったはずだ。
長い黒髪と言えば聞こえはいいかもしれないが、実際は忙しくて伸ばしっぱなしだっただけの、傷みまくった髪だ。結ばないと見られたものじゃない。
化粧だって興味がなくて、社会人として最低限の化粧しかしてなかった。もちろん、肌荒れだってあるし、それをケアしようともしていなかった。
綺麗になる努力なんて全くしていない亜優は、実年齢よりも老けて見られていたはずだ。
眼鏡が手放せないほど目も悪くて……そういえば、暴れた時に眼鏡飛んで行ったな。
あれ、気にする暇もなかったけど……目の前に手を掲げて見る。……見えるな。
安さだけで選んだ何の変哲もない眼鏡をかけないと、ほんの数センチ先もぼやけるほどだったのだが。
視界の隅に、自分の髪の毛がさらりと横切る。
自分の黒髪を一房手に取る。
傷み……なんて全くない、艶やかな真っ直ぐな髪がある。くるんと跳ねるほどつやつやの黒髪だ。
元々、色は白くて……でも、なぜこんなに肌がすべすべなのか。
自分の肌が触り心地が良い。
「あれ?」
「あれ、じゃないよ。そこまで無自覚だったら、危ないよ?」
少し頬を染めたアッシュに見下ろされて、亜優はさらに頬を染めた。
「気を付けます……」
この世界に来てから、鏡を見ていない。
もしかして、こちらの空気は、亜優に非常によく合うのかもしれない。
髪や肌の調子が、毎日お風呂に入っていた時よりも良くなっているってどうなんだ。
「うん」
妙な雰囲気が漂ったところで、声がかかる。
「アッシュ!さすがにそろそろチェックしてくれ!いちゃつきすぎだ!」
リキトのからかうような声に、もう顔を上げられない。
自分の顔が真っ赤になりすぎだと自覚して恥ずかしすぎて両手で顔を隠すように覆った。
「……うん。やばい。マジで」
アッシュは独り言のように呟きながら、リキトの方に歩いていった。