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眠り姫を探せ  作者: 奈瀬理幸
本編
14/16

告白

 眠り姫事件から数えて、二回目の土曜日。あたしたちは日の出とともに城の西に広がる湖へ来ていた。ナゼール先輩に呼び出されたのだ。

 まだ薄暗いうち、あたし、ルジェナ、ウェイウェイの枕元には羊皮紙の折り鶴が届いていて、パタパタと羽ばたきながらあたしたちが起きるのを待っていた。リカルダとシンシアとエリザベスはまだ眠っている。閉じていたがる瞼を強引にこじ開けながら、折り鶴を捕まえて折り目を開くと、ブルーグリーンのインクで書かれた文字が並んでいた。


『後輩のみなさん、おはよう。鯨の尾寮、七年生のアーサー・ナゼールです。この前はどうもありがとう。君たち、もし時間があれば湖へおいで。夜間の外出は校則違反だから先生方は得点をあげられないけれど、代わりに僕からお礼をさせて。ヒッポカンポスに乗せてあげるよ』


 読んだらバッチリ目が覚めた。あたしとルジェナとウェイウェイは急いでベッドから這い出し、ローブの下に厚いセーターを着込むと、マントを羽織り、鷲の翼寮を出た。





 明るくなりたての湖畔(こはん)には、ロレンシオとヘンゼルがもう来ていた。そして、ナゼール先輩がいた。先輩の頬には今日も水が一筋流れ、前髪には波紋が広がっていた。


「お、おはようございます!」


 あたしたちは駆け足から急停止し、息を弾ませながら挨拶する。校庭の空気は冷たくて、吐き出した息はたちまち白く広がった。


「おはよう。……急だったかな?」


 先輩があたしたちを気遣うような、少しすまなそうな表情になる。あたしはみんな、ぶんぶん首を振った。

 先輩が桟橋の上に立つ。


「じゃあ呼ぼうか。しぶきがかかるかもしれないから、下がっていて」


 あたしたちは湖の岸から距離を取り、わくわくして見守った。





 先輩は桟橋を歩いていく。先端まで行っても迷わず足を踏み出し、そのまま湖に降り立った。すごい。水中人族って水面に立てるんだ。それから先輩はしゃがんで、湖面にヒタと手を当てた。


 少しの静寂のあと──不意に湖が泡立った。ぶくぶくいっている。

 泡はだんだん大きくなる。どんどん大きくなる。ごぼごぼ、勢いよく音が響いて──、


 ザッザーン……!


 水が大きく盛り上がり、しぶきを上げてそそり立った。ぐんぐん伸びて見上げるほどになり──動きが止まった。水は、砂浜を潮が引くように流れ落ちていき──中からヒッポカンポスが現れた。



 ヒッポカンポスとは、海に棲む馬だ。馬の上半身に、魚の下半身を持った生き物である。

 先輩が呼び出したのは、ブルーグリーンの毛並みと鱗が輝く、立派なヒッポカンポスだった。こんなのが学校のプールに飼われていたなんて……。



 小山(こやま)のように大きく、そして長い。太い首、風に(なび)く豊かなたてがみ。筋肉の隆々とした体を水が滑り落ち、鱗は朝日を受けて光っている。前足の蹄の横からは、サーベルのようなヒレが伸びていた。

 ヒッポカンポスはその青光りする巨大な尾びれで、ピチピチなんて可愛いものじゃない、ざざん、ざざん、と豪快な音を立てて水面を叩き、幾重にも波を起こしている。

 その迫力ある登場を、あたしたち五人はあっけにとられてただ見ていた。





「おはよう、ソードシュプール。機嫌はどう?」


 冷えた秋の空気だ。耳を澄ませたら、先輩の声が風に乗って聞こえてきた。

 湖の上に立ったまま、先輩は声をかけている。ヒッポカンポスはお辞儀をするように首を曲げ、大きな頭をすり寄せた。先輩によく懐いているみたいだ。

 先輩は「よしよし」とか「いい子だね」とか言いながら、ヒッポカンポスに手綱をかけている。先輩の赤い珊瑚製の杖がすいすい動いているのが岸から見える。


「あ、呼ばれた」


 ヘンゼルが言った。先輩が水面から手招きをしていた。あたしたちは急いで桟橋へ向かう。





「さあソードシュプール、みんなに挨拶を」


 桟橋を端ぎりぎりまで行くと、先輩が手綱を引いて近づいてきた。一歩ごとに水面(みなも)に波紋が生まれていて、本当に湖面を歩いていた。

 ヒッポカンポスが、ブオン、と派手に鼻を鳴らす。先輩はあたしたちに微笑んだ。


「僕のペットだよ。この子の下半身はメカジキなんだ」


 ……ペットっていう大きさじゃない。どっちかっていうと、先輩のほうがペットみたいだ。上級生に向かってちょっと失礼だけど……。


 あたしたちは無言で、崖を見上げる気持ちで、ヒッポカンポスを見上げる。

 普通の馬より何倍も大きな馬の顔があたしたちを見下ろしていた。ちょっと、いや、とてもいかつい。でも、ダークブルーの大きな目は、まぶたを半分閉じて長いまつげがバサバサしているせいか、優雅で穏やかそうに見えた。


「さて。ほかの人に見つからないように魔法をかけよう」


 先輩があたしたちに向かって赤珊瑚の杖を振る。


山荷葉(サンカヨウ)に雨だれを──」

「……透明になる呪文よ」


 ルジェナがこそっと教えてくれる。初めて聞いた。ルジェナは本当に博識だ。何年生で習えるんだろう。習得したらかなり便利そうだ。


「みんなは三年生だね。水棲魔法より酸素ボンベを飲んだほうがいいだろう。そして君たち二人はもう一つ」


 あたしとウェイウェイとヘンゼルは、先輩から銀色のカプセルを受け取った。

 ルジェナとロレンシオは、下半身を人間の脚にする魔法をかけてもらっている。ヒッポカンポスにまたがりやすくするためだ。

 ルジェナの全身人型の姿は、久しぶりに見た。去年までの履修科目、「飛行訓練」の授業以来だ。いつもはヘビのお腹と尻尾だから、新鮮。

 ロレンシオのほうは、そうでもない。彼は、ホーンビーストゲームの選手を訓練する「角獣術部」の部員だから、新聞部の取材で部活中たまに見かけている。どちらかといえば「文」寄りだけど、文武両道なロレンシオだし、そのうち角獣術部から麦の穂寮のスポーツチーム「金色波(こんじきは)」へ加入したりするのかもしれない。


 そのあと二人もカプセルを貰って、あたしたちは「いっせーの」で口に入れて飲み込んだ。


「苦しくないかい?」


 先輩が、一番近くにいたロレンシオのあごを指でクイと上げ、喉の様子を確かめている。あたしたちは顔を見合わせたけど、全員大丈夫そうだ。


「よし、完了。──ソードシュプール、沈んでくれ」


 先輩は湖を振り返って、ヒッポカンポスに向かって合図した。





 ヒッポカンポスが湖面すれすれまで大きな体を沈めて、桟橋のすぐそばまで泳いできた。背中に水を薄く乗せて、あたしたちを待っている。あたしたちは先輩の手を借りて、桟橋からヒッポカンポスの上へ降りた。

 浅く波の寄せる背中。真ん中に一本、大きな背ビレが立っている。さっき先輩が言ってたから、これはメカジキの背ビレなのかな?

 あたしたちは、ヘンゼル、あたし、ウェイウェイ、ルジェナ、ロレンシオの順でヒッポカンポスに座った。水に濡れてつやつやしているブルーグリーンの毛並みは温かくすべらかで、触り心地が最高だ。体の後ろ半分に並ぶ毛と同じ色をした鱗は、すべすべして硬そうだ。


 あたしたちが全員乗ったのを確認して、先輩も首のすぐ後ろに跨がった。


「出発するよ。──ソードシュプール、泳いでいいよ」


 先輩の言葉を待っていたように、ヒッポカンポスはいなないた。鯨の歌声のようないななきだった。そして、ざぶんと水へ入った。





 水が勢いよくぶつかってくる。開けていられない気がして、あたしは目をつぶった。どんどん潜っていくのがわかる。この湖、こんなに深かったんだ……。


 しばらく顔を下に向けていたけれど、ふと、体が軽くなったと感じた。水に支えられている。顔の周りで、髪が泳いでいるのがわかった。ぶつかってきていた波も、今は撫でられているように優しい。

 ぎゅっと閉じていた目を薄く開けてみる──平気そうだ。思い切ってまぶたを全開にし、顔も上げてみた。すると、そこには素敵な光景が広がっていた。





 湖の中には、金色の光が何条もの柱となって差し込んでいる。大きかったり小さかったりたくさんの気泡が、ぷくぷく震えながら上へと昇っていく。

 袖から、裾から、水が服の中へ入り込む。水に押されてローブが膨らみ、体から浮き上がる。波に煽られてネクタイもめくれる。冬も間近の朝、水に包まれているのに不思議と寒くはなかった。

 斜め上を見上げてみると、遥か高い水面はきらきら揺れていて、遠くに太陽があるのがわかった。


 水の中には花も咲いている。青や白の小さな花、集まって咲いている黄色い花、一輪ずつ揺れているピンク色の花、大きな紫色の花──。

 ヒッポカンポスは、水の中を駆けるように泳いでいく。たてがみが波にしなっている。

 体が軽い。あたしたちは、広い水の中にふわふわ漂っているような気持ちよさを堪能した。

 眼下に広がるのは水草の草原だ。緑色の草がゆらゆら揺れている。

 水はずっと先まで見渡せる。水色で、青くて、透明だ。


 



「掴まって」


 前から先輩の声が響いた。ヒッポカンポスが水面を目指して加速していく。あたしたちはその広い背中にしがみついた。

 ヒッポカンポスはぐんぐん上昇する。水面へどんどん近づいていく。なんの躊躇もなく、そのまま湖面を突き抜けて──。


 ザッパーン……!


 太陽の光に照らされて、光の中、そこら中に飛び散った水しぶきが反射して、世界がきらきらして見えた。

 ヒッポカンポスは高く高くジャンプする。一番高く上がったとき、あたしは太陽に向かって手を伸ばしてみた。


 太陽って、届かないってわかっているけれど、ときどき掴めそうに思えてしまう。眩しいことを知っているのに、わざわざ見上げてしまう。植物の生長に欠かせない太陽は、エルフ族も大好きだ。


 あたしたちは降下する。ヒッポカンポスがまた湖の中へ、ざぶん! と大きく波を立てて飛び込んでいく。

 水の中に入ると、先輩が聞いてきた。


「どうする? もう一度跳びたいかい?」

「もちろんです!」


 振り返った先輩に、波の音に負けないよう、あたしたちは大きな声で答える。

 先輩が手綱をぐいと引き寄せて、ヒッポカンポスが高らかにいなないた。

 湖の中を一度深く潜り、再び水面へ向かってぐんぐん昇っていく。

 あたしたちの目線の先、湖面と一緒に揺れていた太陽の光がどんどん大きくなる。あたしたちは太陽へ近づいていく。

 あたしたちはもう一度ヒッポカンポスにしがみつき、みんなで体を前に倒して、ジャンプに備える──。



 ヒッポカンポスが、さっきより大きく跳び上がった。しぶきが舞って、光が弾ける。あたしたちは胸に大きく息を吸う。

 昇り切ったらまた降下して、一度水面に着水──湖面を蹄で強く蹴り、尾ビレを大きくしならせて、ヒッポカンポスは三度目、空中高く舞い上がる。


 ギュン、と大きく反ったかと思うと、なんと、宙で一回転した……!

 まるで駆けるように、空に大きく螺旋を描いて、ヒッポカンポスは湖へ飛び込んだ。轟音が朝の空気を貫き、湖面は割れ、水がめくれ上がる。あたしたちは一瞬にしてそびえ立った水の壁に囲まれて、沈んでいく──。


「見て、ウォータークラウン……!」


 ルジェナの声にみんなで空を見上げる。あたしたちを中心に、大きなウォータークラウンが生まれていた。水の壁は、大きな水の冠だったのだ。こんなに綺麗なもの、見たことない!


 ヒッポカンポスは、湖の中へずんずん潜っていく。ウォータークラウンの中心に吸い込まれながら、遠くで照る太陽が見えて、しぶきがきらきらと輝く。綺麗だ、とっても綺麗だ。



 知らないことのまだまだあるこの世界は、美しい。何度冒険しても色鮮やかだ。

 湖へ飲み込まれながら、あたしはこの美しさを守り、伝える人になりたい──そう思った。その役は、きっとエルフにぴったりだろう。

 水をくぐり、ヒッポカンポスの躍動を肌で感じながら、あたしは将来自分がやりたいことがわかった気がした。









 日曜日の夕方。あたしはマローネ・アルテンブルクさんのお部屋に来ていた。

 マローネさんは、フクロウ小屋の管理人。フクロウたちの住む塔の掃除や、餌の準備などをお仕事としている。

 マローネさんのお部屋には、白い羽がたくさんある。ふわふわ飛んだり、床を舞ったり、上から落ちてきたりする。柔らかくて軽いけど、これはフクロウたちの羽ではない。


「──で、その眠り姫がなんと、人族のホワイト先輩だったんです。しかも、あたしたちと同じ鷲の翼寮! すごいですよね!?」


 白い羽がふわふわしている中で、あたしは眠り姫事件について興奮気味に話していた。

 木のテーブルの向こうで、マローネさんが頷いた。シャンパンゴールドの綺麗な長い髪に光の輪が輝く。


「その話で持ちきりみたいね──覚えてるわ。六年前よね。当時、全校生徒からエネルギーを採取して試したのよ。私は適合しなかったし、すぐ卒業してしまったのだけど。みんな心配してたし、ドキドキしてたわ。人族とエネルギーが適合するなんて滅多にないから、役に立てるかもしれないって。──そう……鬼火石が必要だったのね。やっと目覚めてよかったわ」


 テーブルの上の大きなカフェオレボウルの中に、白い羽がふわふわ落ちていく。マローネさんは杖をさっと振って、羽をもう一度宙高くに舞い上がらせた。何を隠そう、この羽はマローネさんのものである。


 マローネさんは女性のヴァルキリーだ。ヴァルキリー族とは、鳥ではないけれど鳥のように自在に空を飛ぶ種族。人間の体に、背中から大きな翼が生えている。非魔法族の絵画や小説に「天使」、「エンジェル」、「キューピッド」なんていわれてよく出てくるのが、このヴァルキリー族である。

 翼があるから、ベルナルディータ先生みたいなハーピー族や、レッドグレイヴ校長先生の迦陵頻伽(カラヴィンカ)族、セイレーン族と似ているけど、ほか三つの種族は体の胸元から下が鳥。ヴァルキリー族は体は全部人間と同じで、翼だけが鳥のものである。マローネさんの大きな翼は純白で、まさに天使っぽい。



 マローネ・アルテンブルクさんは、ウィザースプーンの六年前の卒業生、OGだ。眠り姫事件が起きたときは、最高学年の七年生だった。前任のスクーグスロー族のイーノック・ウォーディントンさんが玄孫(やしゃご)のご誕生を理由に退職されたので、新しい管理人としてやって来たんだ。三年前、あたしたちが入学した年である。

 大きな翼を持つ彼女は、フクロウたちには小屋のなかで一番大きな鳥に見えるらしく、ボスのような位置づけだ。掃除中、みんな大人しくマローネさんを見つめて、いい子にしている。


 プリシラは、構ってちゃんと一匹狼気質の混ざり合った性格だ。そのためあたしは、預けに行ったり迎えに行ったり、フクロウ小屋通いが多い。ほかの生徒より絶対多い。それで、フクロウ小屋管理人のマローネさんともすっかり顔馴染みで、今ではお茶をする仲なのである。

 今日も、マローネさん特製のお茶とお菓子でお呼ばれ中。


 今日のお茶は、スパイスと蜂蜜のチャイ。カルダモンとシナモンとナツメグを贅沢に使った、濃いめのチャイだ。生姜も入っているから、飲むと体がポカポカする。寒い日にはもってこいだ。

 茶葉と、軽く叩いて香りを立たせたスパイスをグツグツ煮出し、たっぷりのミルクとお砂糖を加える。コツは、おたま(レードル)で上下によくかき混ぜて、空気を含ませること。

 スパイスの香りが充分に溶け込んだら、蜂蜜を入れてもう一度混ぜ、漉し器(ストレーナー)で濾して、カフェオレボウルに注ぐ。仕上げに、ピンクペッパーを数粒浮かべれば、出来上がり。

 何度も見てるから作り方は覚えてるけど、マローネさんが淹れてくれたものが一番美味しいんだよね。


 そして、お菓子。今日は焼き菓子だ。チョコレートでコーティングした素朴な厚焼きビスケットに、岩塩がパラリとかかっている。噛みしめれば噛みしめるほど美味しい。こちらもマローネさんのお手製。


 あたしはビスケットをザクザク噛んだ。それから温かいボウルを両手で包み、チャイを飲む。そうそう、マローネさんは隠し味にブランデーを垂らしてくれるから、チャイはほんのりお酒が香るんだ。大人っぽい、素敵な気分になれる。最高。





 こんなふうに、マローネさんはいつも、美味しい飲み物と美味しいおやつをご馳走してくれる。メニューは季節ごとに違っていて、遊びに来るのがとても楽しみなんだ。


 まだ肌寒い春には、エルダーフラワーティーとバノフィータルト。

 セイヨウニワトコの木に咲くクリーム色の小さな花、エルダーフラワー。爽やかな香りの花を乾燥させたハーブティーは、喉や鼻の風邪を予防してくれる。

 一緒に食べるのは、寒さと宿題に耐えたご褒美のようなバノフィータルト。バナ(・・)ナとトフィー(・・・)のタルトだ。バターと砂糖を煮詰めて作った柔らかいキャラメル、「トフィー」に、バナナを並べ、ホイップクリームをこんもり乗せる。バナナとキャラメルの風味が濃厚で、とっても美味しい。あたしがマローネさんのお部屋に遊びに来るのは週末が多くて、これを食べると来週も頑張ろうって思える。


 夏休み前には、果物のセット。レモネードとイートン・メスだ。

 レモン果汁と蜂蜜を冷たい水で割ったレモネードは、氷を浮かべてゴクゴク飲む。

 イートン・メスとは、苺と焼きメレンゲとホイップクリームを重ねて盛ったデザートだ。これは、焼きメレンゲをスプーンでざくざく崩しながら食べる。口の中でサクサク崩れてしゅわーっと溶けるメレンゲ、摘みたての真っ赤な苺、ふわふわのホイップクリームはたっぷり。イートン・メスを食べると、これから暑い夏が来る! って感じがする。


 新学期には、ジンジャーエールと糖蜜(トリックル)タルト。

 糖蜜タルトとは、シロップ状のお砂糖とレモン汁、細かく削り下ろしたパンをまぜあわせて、タルト生地に流して焼いたもの。糖蜜タルトは城の大食堂のデザートメニューの定番でもあって、みんなの大好物だ。甘い甘いタルトと、ぱちぱち弾ける生姜エキスの効いたソーダは、相性抜群。糖蜜タルトを食べると、ウィザースプーンに帰ってきたー! と実感する。


 冬には、モルドワインとチョコレートがけの果物。

 モルドワインは、アルコールを飛ばした赤ワイン。スターアニスやクローブ、シナモンなどのスパイスを入れて、小鍋でくつくつ温める。ちょっと大人な気分を味わえるホットな飲み物だ。

 冬は、お菓子にもお酒が香る。

 砂糖漬けの輪切りオレンジを、リキュールに浸して、チョコレートにくぐらせたオランジェット。チョコレートの甘さと、オレンジ皮のほのかな苦みと、リキュールの香りを一度に噛みしめるのがたまらない。

 それから、キルシュ漬けのさくらんぼを、砂糖衣とチョコレートで包んだチェリーボンボン。これはお酒をこぼさないように、一口で食べる。中のさくらんぼは、冬になったばかりの頃は柔らかな果肉が残っていて、冬の終わりに近づくとすっかり溶けてシロップに変わる。チョコレートの薄い膜をぱりんと噛めば、お酒がとろりと流れ出て、香りもふわあっと広がる。それは、まさに至福の一粒。


 ──という具合に、たくさんご馳走になっている。すごいのは、どれもマローネさんの手作りだということ。マローネさんは、お菓子作りもとにかく上手いんだ。





 ほかにも、マローネさんのお部屋には胸がときめくものがたくさんある。

 ずらりと並んだガラスのキャニスター。殻つきクルミやコーヒー豆、角砂糖、マカロニ、レンズ豆、ピクルスなんかが入っている。

 戸棚高くには、スパイスの小瓶が整列。

 棚の下には重そうな瓶が輝く。ルバーブのジャム、錦糸瓜(そうめんカボチャ)のジャム、柚子の皮のマーマレード。蜂蜜漬けのスパイスに、塩漬けのグリーンオリーブ。それから氷砂糖漬けのスモモやレモン、林檎、マルメロなどなど。

 そして床下には、梅や苺の果実酒、たっぷりのバターとシロップを染み込ませたフルーツケーキ、ラム酒漬けのドライフルーツが眠っているのをあたしは知っている。

 頭上を交差する梁からは、柿や無花果、プルーンを結んだ紐が垂れ下がっている。これからドライフルーツになっていくのだ。



 そして、美味しい食べ物だけじゃなくて、植物もたくさんある。鉢植えも、ドライフラワーもあって、ハーブの香りにも満ちていて、どこを見ても楽しい。

 ベランダには、ロウソクの炎のような形のノゲイトウや、中央の葉が赤紫に色づきはじめた葉ボタンが咲いている。窓際では、赤と緑の葉を広げたポインセチアが夕日に当たっている。

 柱には、ドライラベンダーのブーケが釘に引っかけられている。マローネさんはこれでいい匂いのサシェを作ってくれる。あたしも一昨年貰った。ラベンダーの素敵な香りをずっと嗅いでいたかったから、枕に入れて寝ている。


 たくさんの仕切りがある大きな大きな棚には、ドライフラワーが詰まっている。

 一番上にあるのは、緑色が残るもの。ギザギザ繁った葉の先に丸い花をたわわに咲かせたバーゼリアの小枝、赤紫色の小さな花のワックスフラワー、黒ずんだしぼみかけの実をつけるヒペリカム、ユーカリの丸いハート形の葉と壺のような形をした実、細長い葉のヒバの枝、表裏で緑と白に色が変わるギンドロの葉。

 二番目の段に置かれているのは、白いもの。野ウサギのしっぽのようなぽわぽわしたラグラス、フワフワしたススキのようなシロガネヨシ、綿の木。

 真ん中の段には、ころんと転がりそうなものたち。たてがみを生やした星のようなプルモーサムの花殻(はながら)、マツカサウオに似た蕾が白銀に光るジェイドパール、色の抜けたルリタマアザミ、猫じゃらし( エノコログサ )、スモークツリーの枝、こんもりモサモサしたフォルモーサ、小さな花が集まってふわふわ丸い花をつけるスターリンジャー。

 下の段には、茶色のものが並んでいる。干したまつぼっくり、栗の(いが)、蜂の巣のような蓮の実、羊の角のように両側に丸く反り返ったシープホーンの実、とげとげしたモミジバフウの実、十字に開いたブナの実の殻、ぱっくり三片に割れたツバキの実。

 それから棚に立て掛けられている、金色と緑色の二色に分けて束ねた大麦の穂。

 クリスマスが近くなると、これらでリースやスワッグを作ってくれるのだ。今年はどんなのだろう。楽しみだなぁ。


 そして、薪ストーブの上に乗った、お湯を沸かしているわけではないヤカンからは、水色の煙がモクモク吹き出て宙に漂っている。その隣、アルコールランプの小さな炎の上に浮かんでいるのは、紫色の液体が入った丸底フラスコ。何に使うのか知らないけれど、そんなことは気にならないくらい居心地がいい。



 舌に美味しくて目に楽しいものに囲まれて、全部の季節の植物に溢れていて、綺麗な天使(・・)のお姉さんとお喋りできて、あたしはここが大好きだ。





 いろんな物があるマローネさんの部屋は、プリシラにとってもかなりいい遊び場だ。今日も一緒にお邪魔している。

 山桜製の椅子の背では、爪や嘴を研ぐ。山桜は硬いから、フクロウの爪研ぎや嘴の掃除にちょうどいい。

 でこぼこに積まれた薪の山は、ピョンピョン登る。両足を揃えて、翼をほんのちょっとだけ羽ばたかせて、ジャンプで登っていく。着地のときには爪が当たって「チャッ」と音を立てるから、プリシラのほうを見なくても、聞いているだけでだいたいどこで何をしているかわかる。


 ほかに、棚に並ぶ乾燥した植物の中から、気に入った物を引っ張り出して、噛んだり、引きちぎったりして遊ぶ。プリシラの一番のお気に入りは、干したばかりの紅薔薇だ。

 フクロウは肉食なので、おもちゃにも赤い物を好む。赤が生肉の色に似ているからだ。プリシラは紅薔薇を一本手に入れると、まずは床の上を引きずり回して歩く。そのあと足でぎゅっと掴み、嘴を使って花びらを一枚ずつむしっていく。

 干しかけの薔薇の花は、生花よりは水分が抜けていて、ドライフラワーよりは丈夫で、かじり甲斐がある。引っ張ればプチッと取れたり、噛めばパリパリとひび割れたりする。

 プリシラは真っ赤な花びらを嘴でむしり取り、噛み心地を確かめるようにしばらく咥えたままでいる。それから首を降って勢いよく「ペッ」と飛ばし、床の上に落とす。

 そうして気が済むまで遊んだら、残った茎をポイッと捨てて飛び去る。プリシラが遊び終えた床には、赤い花びらの残骸がまき散らばっている。


 マローネさんはプリシラにもおやつをくれる。レタスの葉とか、苺とか。季節の葉ものや果物だ。今日は、皮を剥いた薄切りのリンゴ。プリシラはさっきまでパリパリ、サクサク食べていた。

 フクロウはものを食べるとき、目をつぶる。眼球を守るためだ。あたしのお皿からベーコンを奪うときも、マローネさんの手からリンゴをもらうときも、まぶたを閉じ、嘴で噛んで取る。これは本能なんだけど、差し出したものをよく見もせずに受け取ろうとするのが、こちらを信頼しきっているように見えるので、可愛いんだ。



 プリシラがテーブルの上に戻ってきた。羽音はないけど、風圧であたしの髪がぶわっとめくれる。テーブルに乗っていたマローネさんの白い羽もふわっと飛んでいく。

 あたたまった体と、チクタク聞こえる時計の音。ストーブの中で燃える薪、もわもわ漂う煙と白い羽。いい香りの静かな空間で、あたしは頬杖をついて、ぼーっとプリシラを眺める。

 片足立ちになってくつろぐプリシラ。もう片方の足は足裏の中に爪を丸めて軽く握り、体を少しななめに傾けて、嘴をちょいと上げてまぶたを閉じている。こんもり、ふっくら、ふんわり。プリシラはすっかりくつろぐと、てっぺんに二本の羽角(うかく)だけがぴょんと飛び出た、楕円のシルエットになる。フクロウの一番の可愛さが、今ここに出来上がった。


 プリシラのお腹の羽が、膨らんだり戻ったりしている。それに合わせて、あたしも息を吸って、吐いてみる──人にはちょっと浅い。

 今週も忙しかった。今日は久しぶりにゆっくりできている。浅く静かに呼吸を繰り返すうち、穏やかな時間が過ぎていく。





 チリンチリン──ベルが鳴った。


「こんにちは。鯨の尾寮三年のシュヴァリエ──」


 ホッホーウ!


「──と、カラフトのニコレイです。もしかして、ミス・フォースターは来ていませんか?」

「あっ、ヘンゼルたちだ。はーい!」


 マローネさんの部屋の扉の外で、人間の声と、フクロウの鳴き声がした。ヘンゼルとニコレイだ。あたしはヘンゼルと、プリシラたちの散歩に行く約束をしていた。

 あたしは返事をして、立ち上がる。もうチャイとビスケットは平らげている。


「マローネさん、ご馳走様でした。散歩に行ってきます」

「行ってらっしゃい。気をつけてね」


 あたしは腕を差し出す。すぐさまプリシラが飛び乗ってくる。今ニコレイの鳴き声を聞いて、プリシラは「ヴィー!」と雄叫びを上げ、翼を半開きにして待っていたのだ。

 マローネさんに見送られて、あたしは扉から出た。


 マローネさんのお部屋の前で、ヘンゼルが待っていた。厚い外套を着ている。ウィザースプーンの夜はすごく冷え込むんだ。肩にはニコレイを乗せている。

 ニコレイとは、ヘンゼルの飼っているフクロウの名前だ。種類はカラフトフクロウ。頭が大きくて目が真っ黄色な、大型のフクロウである。羽は灰色。優しく穏やかな性格で、じゃじゃ馬なプリシラとも仲良くしてくれている。

 外はもう寒い。プリシラの羽ばたきで当たる風が冷たい。あたしはヘンゼルたちに駆け寄った。息もすぐに白くなった。


「ごめん、探した?」

「ううん。ここだろうなって思ってたよ。行こうか」

「うん」


 早く早くと急かすプリシラと、ぱちぱちまばたきを繰り返すニコレイをそれぞれ乗せて、あたしとヘンゼルは城から出ていった。









 あたしたちはウィザースプーンの東に広がる森へ、プリシラとニコレイを放しに行った。

 毎週末の夕暮れ時の散歩だ。プリシラとニコレイは、森の中を滑空したり、追いかけっこをしたり、野ネズミをおやつに捕まえたりする。

 あたしとヘンゼルは、二羽が自由に遊べるよう、放鳥中は森に入らずに二人でおしゃべりしている。というか、生徒は夜の森にはあまり近づいてはいけない。森に棲む野生の魔法生物の安全のためと、迷子防止のために、無闇な森への侵入は、特に夜間、規則違反とされている。


 森の入り口の前にある大きな切り株に座って、あたしたちはいつものように時間をつぶした。ここではその日の授業の復習をしたり、新聞部の締め切り前にはヘンゼルに原稿を手伝ってもらうこともあるし、試験前なんかは一緒に勉強したりもする。

 今夜は冷えて寒い。暖を取れるように、ヘンゼルが得意な火の魔法で白い炎を灯してくれた。

 すっかり日常に戻っていた。





「読んだよ。いい記事だった」


 ヘンゼルが言った。

 眠り姫を探して夜の城を駆け回った冒険から、十二日が経っていた。


 眠り姫に関する出来事は、なんと大々的に公表された。せっかくですので新聞部に記事を任せます、とマルグリット先生直筆のメモまで送られてきた。今じゃ学校中がこの話題で持ちきりだ。

 記事の執筆担当はあたしだった。配達された号外は、過去最高の購読数となった。配達員のフクロウたちも、駆り出されたプリシラも大忙しで飛び回り、発行部数は新記録を樹立した。

 シトライン部長もクリスマス副部長も、部員のみんなもすごく喜んでくれた。新聞部の重要性を校内に知らしめることとなったからだ。

 あたしも嬉しかった。もともとそういうつもりで始めたことだったから。でも、生徒たちみんなの食い付きぶりと、反対に全然動じなかった七年生の先輩たち、そして珍しく噂話を咎めない先生方に、何よりびっくりした。





 発行した新聞記事は、こうだ。


『ウィザースプーン城、眠り姫を守り抜く。


 創立 千二百十七年を迎えた我がウィザースプーン魔法魔術学校で、奇跡ともいえる忘れがたき出来事が起こった。


 去る二〇一二年、当時第一学年だったミス・キャサリン・ホワイト(鷲の翼寮生)は、天文学の授業中、リリン・デーモンの襲撃を受けた。

 幸い一命は取り留めたが、彼女は覚めぬ眠りに就くこととなってしまった。

 ウィザースプーン教師陣は彼女の蘇生を試み、彼女が昏睡から目覚めるまで城南側に建つ(みぞれ)の塔に花園を設け、守護することを決定した。


 月日の流れること六年。今月の六日(火曜日)未明。

 七人の聡明かつ勇敢な生徒が、多大なる規則違反を伴い、ミス・キャサリン・ホワイトの蘇生に成功した。

 六年という歳月を経て、我がウィザースプーンは、眠っていた希望の星をもう一度迎える喜びを分かち合うこととなったのだ。


 現在鯨の尾寮七年生のミスター・アーサー・ナゼールは、毎夜花園へ通い、その身を削ってミス・ホワイトに尽くしてきた。彼の献身ぶりはわれわれに種族を超えた友愛を示してくれた。

 また、同じく七年生星の影寮所属のミス・クラリッサ・アイゼンシュタットは、闇に紛れて忍び寄る邪悪な生き物にひるまず立ち向かい続けた。彼女の勇気、知識、直向きさは、われわれ魔法使いが目指すべき最上の姿である。


 このたびの一連の事件をきっかけとして、生徒諸君には仲間を愛し守ることの大切さを今一度感じてもらいたい。

 七年間をただ闇雲に過ごすのではなく、学びの日々を楽しみ、友との時間を歓迎し、各々が自らの意志で実り多き学生生活を送ることを、我々は願ってやまないのである。


 二〇一八年 十一月十二日 月曜日

 ウィザースプーン魔法魔術学校 フクロウ新聞部 発行

 執筆者 アイリーン・フォースター(鷲の翼寮 第三学年)』


 ちなみに、行方不明だった部印も隅にちゃんと押してある。なぜだか、部室の天井を十字に横切る梁の上にちょこんと置いてあったのを、シトライン部長が一番可愛がっている配達員のシロフクロウ、コットンキャンディが発見したのだ。





「ありがとう。……思いっきり書いちゃったけど、先輩たち、これでよかったのかな」

「いいんじゃない? そういうことは気にしないような人たちみたいだった。それに、こういう事件って、できるだけ多くの人が知っておくべきだよ」



 そうだね、と頷きあっていると、近くで何かが動く気配がした。

 顔を上げると、少し離れた落ち葉履き用の箒置き場に、人影が見えた。生徒だ。誰だろう?


「──アレクセイ?」


 あたしにつられて振り返ったヘンゼルが言う。そうだ、あれはアレクセイだ。箒置き場の壁の前で仁王立ちしている。なんだかずいぶん物々しい雰囲気だ。

 あたしとヘンゼルは顔を見合わせた。見かけたからには声をかけるべきだろうか。

 二人して腰を浮かしかけたら、もう一人誰かがやってきた──シンシアだ。


「シンシ、わっ──」


 呼びかける気満々で立ち上がろうとしたあたしを、ヘンゼルが箒置き場とは逆の切り株の影へ、素速く引っ張り込んだ。


「なに、どうし──」

「しーっ、静かに……」


 ヘンゼルが唇に人差し指を立てる。あたしは黙った。な、なにごと?

 ヘンゼルが今度は耳に手を当ててみせた。聞けってこと? あたしも耳を澄ます──。



「──好きだ、シンシア。俺たちヴァンパイアだろう。年も同じだ。恋人になれないか」



 聞こえてきた声に、あたしは目を丸くし、口をあんぐり開けてしまった。ヘンゼルの肩を叩き、二人のほうを指差し、喋りそうになって慌てて口を押さえる。

 ヘンゼルはうんうんと頷き、何度もシーッと囁く。

 それからあたしたちは切り株の角から目だけを出して、箒置き場の様子をそーっと伺った。



 シンシアの顔は見えなかったけど、あの溢れそうに大きな瞳を見開いて、線の細い肩を縮こめている様子が目に浮かぶようだった。


「好きな奴がいるのか? 俺が嫌いか?」


 アレクセイが聞く。シンシアは首を横に振っている。


「なら考えてみてくれないか」


 シンシアの声は聞こえない。あたしたちが見守っていると、アレクセイは一歩後ろへ離れた。

 

「迫って悪かった。真剣なんだ。考えて、答えをくれないか」


 あ、シンシアが頷いた。そして、くるりと振り返って歩いていこうとする──。

 ここで見つかったら台無しだ。あたしとヘンゼルは急いで首を引っ込めた。切り株から頭がはみ出ないように背中を丸め、地面に座り込む。全力で気配も殺した。でも興奮を心の内には留めておけなくて、喋る代わりにお互いをポカポカと叩き合った。


「シンシア」


 たぶん去りかけただろうシンシアに、アレクセイが声をかけている。


「大事にするよ。優しくする。……イエスでもノーでも」

「……ありがとう……」


 消え入りそうだったけれど、シンシアが確かにそう答えるのが聞こえた。


「戻るか。送る」


 そして二人はいなくなった。









 二人が行ってしまったのを確認してから、あたしたちは切り株の上によじ登った。


「ねぇ、なんで今!?」

「アイリーンの記事じゃない? ロマンチックだったもん」

「あたし!? あ、ううん。違った、先輩たちのエピソードのせいね?」

「だと思うよ」


 どうしよう。知らないうちに恋のキューピッドになっちゃった。


「どうなるのかな」


 二人はもういなかったけど、あたしは小声でヘンゼルに意見を求めた。シンシアとアレクセイ──うまくいくといいんだけど。

 ヘンゼルが少し考える素振りを見せる。


「うーん……どのみちみんな将来は自分の種族に帰ってそこで結婚するんだ、学生時代に相手を見つけておくのもありだと思うよ」

「そうだよね?」


 あたしは熱心に頷いた。

 あの二人、くっついたらどうなるんだろう。あの微妙な距離感が見ていて楽しかったけど、カップルになったらお似合いのツーショットのほうを見られるのかな。

 あんなに格好いいヴァンパイアのカップルだったら、部活での活躍もあるし、二人のファンはもっと増えるかもしれない。





「……アイリーンはどう思う? 異種族(・・・)カップルについて」


 他人事ながら楽しみで、少し勢いづいたため息を巻くあたしに、ヘンゼルが、対照的な真面目ぶった表情で聞いてきた。


「どうって……」


 あたしは先輩たち──人族のホワイト先輩、あたしと同じエルフ族のアイゼンシュタット先輩、水中人族のナゼール先輩──のことを考えた。それから、九尾狐(クミホ)族と鬼火族(インニース)──ウェイウェイのご先祖様のことも。

 血筋と恋愛のどちらをとるか、迫られる時代は過ぎ去っていい。純血主義は押しつけられるものではないのだから。混血化の進む現代では、それは矜持と寛容を持って語られるものだと思う。


「純血を守るのも大事かもしれない。種の維持は、世界の多様性を存続させるために、どうしても必要だもの。でも、もっと世界は広がるべきだと思う。それに……愛の制限なんてなくなるべきだよね。好きって気持ちは、生き物の一番の勇気の源だよ。──あっ、勇気だけじゃないけど」


 あたしはヘンゼルが鯨の尾寮だってことを思い出して、付け加えた。



 ウィザースプーンの四つの寮には、それぞれ寮訓がある。


 (むぎ)()寮に選ばれし者、賢く謙虚であれ。

 (わし)つばさ寮に住まうもの、雄々しく自由であれ。

 (ほし)(かげ)寮に相応しき者、(かげ)りなく真摯であれ。

 (くじら)()寮に来たるもの、心広く平等であれ。


 濃かれ薄かれ、生徒は寮ごとにそれぞれ寮訓にあるような気質を備えているのだ。それは寮生の誇りでもあり、戒めでもある。





 ヘンゼルは黙りこくっている。


「どうしたの、ヘンゼル」

「……アイリーン。大事な話があるんだけど、聞いてくれる?」


 ヘンゼルは神妙な顔をしていた。


「うん。もちろん。何?」


 異種族カップルって響きからして、何か重要なことを話すのかと、あたしは切り株の上でちょっと姿勢を正した。

 ヘンゼルも背筋を伸ばして座り直し、あたしを真正面に見る。ブラウンの瞳がこちらを見つめている。


「……あのね。好きなんだ、僕も──君のことが」

「えっ、なんで!?」


 あたしは素っ頓狂な声で、まず聞き返してしまった。申し訳ないんだけど、ムードもへったくれもない。目をこれでもかってくらいに見開いているのが、自分でもわかる。

 絶句しているあたしに、ヘンゼルが順を追うように話してくれる。


「初めは一目惚れだった。その金髪(ブロンド)に、黄緑の目(マスカットアイ)……見るなっていうほうが無理だよ」


 何かを喋ろうとして、あたしは口をぱくぱくさせる。


「あ、あたし、そ、そばかすある、けど……」

「僕もだよ。同じところがあって嬉しかった」


 ヘンゼルが笑って、自分の頬を指差す。あたしと一緒で、ヘンゼルのほっぺたにもそばかすが散っているんだ。


「あ……あたしのほうが……背が高いよ?」


 あたしはエルフなのだ。エルフは背が高い種族なんだ。どのくらいかというと、同じ学年の男子だったらその半数よりは高いんだ。そして、ヘンゼルはそんなに背が高いほうではない……。


「僕、去年から四センチ伸びた。これから成長期に入ると思うよ」


 ヘンゼルが頭の前に手を水平にかざし、上に上にと動かした。

 あたしはたぶん、まだ口をぽかんと開けている──なんて言おう、何を聞けばいいんだろう?


「……中見知って、幻滅とかしなかったの……?」

「え……なんで」


 ヘンゼルに真顔で聞かれた。あたしも、言ってからちょっと失敗だったなって、すぐに思った。自分が思う自分の中身についてなんて、あんまり誰かに深く語りたくないけれど……。今は尻込んでる場合じゃない。あたしは自分に発破をかけるように、喋った。


「だってあたし……勉強できないし!」

「僕だってできないよ」

「運動も得意じゃないし!」

「それは僕のほうができないんじゃないかな」

「得意魔法とか、ないし!」

「植物の扱いが上手いじゃないか」

「エ、エルフなら、みんなそうだよ……」


 ヘンゼルは笑顔で、一つずつフォローしてくれる。


「僕が好きなのは君だけだよ。君しか目に入らないんだ」


 どうしようかな、打ち止めだ。


「えっと……なんで今……? ──ああ、あたしの記事? あっ、違うか、眠り姫で──」

「違うよ……!」


 あたふたするのを諦めて、あたしは地に足のついたような質問に替えた。それをヘンゼルが困ったような顔で遮る。


「……あ、違くはないかな……。きっかけはそう。ただ、今言わないと、誰かに先を越されちゃいそうだから……。エルフ族はモテるんだよ」


 あたしはゴクリと唾を飲んだ。

 ヘンゼルがあたしの目を覗き込む。真剣な顔だ……。


「僕は、目に見える形で永久の愛を約束することはできない……。人族だから、寿命がくる。せいぜい百年だ。君の長い人生で、僕は彼方(かたな)昔の一瞬にしかならないかもしれない。それでも、そんなこと構ってられないくらい、君が好きなんだ」


 エルフ族は、寿命が長い……というか不死だから、子孫を残すことにあんまり関心がない。何事もなければ、自分たちがいつまでも存在し続けるからだ。そうなると、自然やほかの個体との共存が大切だから、恋愛より、長く友情を築くほうが大切だという考え方をする。

 そんなあたしの人生のなかで、これほど熱く告白を受けることって、この先あるのかな……。


「僕は君の、一番最初の恋人になりたいんだ。アイリーン」


 ヘンゼルに見つめられている。彼の瞳はブラウンで、髪は明るい茶色だ。

 ──あたし、茶色って好きだな。木の幹の色だし、土の色でもある。

 小難しく考えるのはやめよう。


「一番の、でいいよ」


 ちょっと気恥ずかしかったけど、あたしは顔を上げて、返事をした。

 ヘンゼルがにこりと笑う。あ、この笑顔も好きだ──。



 この「好き」って気持ちを大切にしていくのが、「恋人になる」ってことだと思う。きっとこれからあたしは、誰かを大好きになっていく喜びを噛み締めていくんだ……。

 それはなんだか一つの冒険の始まりみたいで、あたしは心がとてもわくわくしてくるのを感じ始めていた。



 小さな白い炎に照らされて、地面に伸びる二人の影が夕闇に溶けていく。それは、あたしたちに違いなんてないんだと、一番そっと教えてくれているみたいだった。









  <完>


あと一話、登場人物一覧を掲載いたします。

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