若い王子
さて一方、若い王子は身体は随分赤くなっていたが、まだ本来の身体ではない。『カブト族』は戦いを繰り返す度にその身体の深みを増す。まだまだ経験が足りない。『ギラファ』が連れて来た二人のうち、『サギリ』は華奢な身体に猛毒を持っている奇怪昆虫人だ。『ゲンゴ』はエビネ国を見限り、いまや『ギラファ』の仲間となっていた。
彼はこのひ弱な王子に『ナノリア』を治めることなどできないと思っていた。『キング』にも信頼されていた重鎮だ。彼は以前、王に言われていたことがあった。
「『ゲンゴ』、もしわしに王子が生まれ、それが力不足なときは、遠慮せず叱咤してやってくれ。この国は優しいだけでは治めることはできない。強いだけでももちろん無理だ、国民みんなの力を合わせることができるように強く、優しくできねばな。そのためには、まず誰よりも強くならねばならない。良い大臣、重鎮が集まるのに足りる王子であればいいのだが」
「シャアアッ」
『サギリ』がカマを振り上げ王子に飛びかかった。その長い針のような爪には毒がたっぷり塗られている。『セブリア』のミズカマキリらしく細身の身体と長い足で忍者のように素早かった。そのカマを素手でつかみ王子は『サギリ』を投げ飛ばした。しかし空中で『サギリ』はくるりと回転し、なんなく着地する。見かけ以上に身が軽い、王子は肩に痛みを感じた。『サギリ』の爪から飛び散った毒が、硫酸のように王子の肩当てを溶かしたのだった。王子にはとくに武器はない、カブト族はツノ以上の武器は持たないのだ。使い物にならなくなった肩当てを引きちぎると王子はジャンプした。
「たあっ」
王子の拳が続けて繰り出され、そのひとつが『サギリ』の腹を捉えた。
「グェップ」
『サギリ』の口から緑の液が溢れた。『ゲンゴ』がすかさずパンチを王子の横っ面に打ち込んだ、この一発は強烈だ。王子は横に吹っ飛びしばらくは頭がくらくらした。
王子を狙った『サギリ』の吐いた液が側の岩を溶かした、いやな匂いがした。
「チッ、余計なことしやがって、溶かし損ねたわ!」
『サギリ』が舌打ちした。
「こんな若い王子に何ができる、さあかかってこい。ドロドロに溶かしてやる」
「シャアアッ」
『サギリ』が霧状にした毒を吹き付けた。広範囲に広がる霧は威力は減ったが、避けることは不可能だ。王子は腕を交差してその後ろに顔を隠し、毒を吹き続ける『サギリ』にまっすぐに突進していった。
「バカなヤツだ、そのうち腕が解けてしまうぜ」
「腕など、惜しくはない。この国をお前たちの勝手にはさせない」
王子はそのまま、至近距離まで近づき、『サギリ』の胸元に最後の一撃を放った。すでに解けはじめた腕からは白い煙が上っている。
「ギャッ、狂ってやがる……」
そう言い残すと彼は、ぽっかり空いた胸から溢れ出す毒液に溶けていった。王子はなおも、向き直ると『ゲンゴ』に『ファイティング・ポーズ』を取った。
「王子、何故戦うのだ。そんなに傷ついても守るものがあるのか?」
「国民、と言ったらお前は笑うか?』」
『ゲンゴ』は答えなかった。いや、聞くまでもなかった、キングと同じ答えだ。王子は力のすでに入らない腕で、『ゲンゴ』の胸を打った。『ゲンゴ』は笑った。
「そんな力のないパンチで国民みんなを守れるものか」
『ゲンゴ』は左右の拳を握りしめた。王子が溶け始めた拳で力のない正拳付きをして来た。
「ハンマー・パンチ」
『ゲンゴ』は左右から力を込めたパンチを放った。
「グシャッ」
潰れたのは何と『ゲンゴ』の顔だ、彼は口から乳白色の液体を吐いた。その液体がかかった王子は、毒の進行が止まった。それだけではない。やっと王子は覚醒したのだ。
「王子、父上を越えなさい……」
『ゲンゴ』は王子にしっかりと抱かれたまま、そう言うと息絶えた。王子は、その身体にまたひとつ黒い深みを加える。
「やれやれ、だらしないなぁ。結局みんなやられちゃって」
『テンテン』と由美子を交互に相手にしながら、『ブラック』はそう言った。
「そろそろ覚悟しなさい、『リンリン』」
『テンテン』はランスを身長ほどに伸ばし、ゆっくり頭上で回転させた。
ふと虹のほこらの中を見回した。『メイメイ』は『サキ』とともに傷ついた『バイス』、『スタッグ』、そして王子を介抱している。大臣と『ハガネ』は死にものぐるいでかかってくるシカバネカナブンに取り囲まれている。『ギラファ』はやっと息を吹返し、砕けた片方の大アゴを押さえていた。
「外で戦うわよ、『テンテン』」
先に飛びだしたのは、由美子だった。『テンテン』も続いて広い外へ出た。封印が解かれたために、暗黒が立ちこめていた空にはすでに稲妻が止み、風が吹きはじめていた。
「テンテン」の目には遠く黒い塊が見えた、それが『ラクレス』『コオカ』の率いる本隊。おそらく奇怪昆虫人が集結したのだろう。空を覆い尽くし飛んでくるのは、カラスヤンマの群れだ。地上にはハンミョウが派手な羽根を怪しく光らせて進んでくる。後ろのほこらからは『シカバネカナブン』が呼応して次々と出て来た、数に任せた挟み撃ちだ。
「王子よ、あれを見ろ。これだけの軍勢から、ひ弱な国民を守ってどうする?誰一人戦おうとしない腰抜けどものために」
『ギラファ』が笑う、王子はそれでも立ち上がる。その前に静かに『メイメイ』が進み出て来た。




