牛祭(一)
序、
牛が泣く。
争いを予見して、
牛が泣く。
どんなに願っても、
牛には、
止められない。
牛が死ぬ。
悲しみの果てに、
牛が死ぬ。
涙が枯れ果てた時、
牛は死に、
新たな世界が始まる。
牛の屍の上に、花が咲く。
一、
一年が周った。また梅雨の気配がする。曇天の下、草木がいきいきと吐息を漏らし、雨の訪れに期待している。
ーーー梅雨の花といえば、薔薇だよね。
夏芽は校門の隣の薔薇園に居た。薔薇は何故、こんなにも儚く、しかし立派で、美しいのだろうか。
ーーー優子さんみたい。
波奈野目優子は人食い女ーー妖怪である。着物姿がよく似合うのだが、洋風な家に住んでいる。薔薇も、和も洋も合う花だ。夏芽は赤い薔薇に優子の微笑みを重ねていた。
ふわっと風が吹く。夏芽はスカートを押さえた。
「あんた、夏芽よね?」
背後から声がする。女の声だ。
慌てて振り向くと、そこには見知らぬ女が居た。校門に背を向けてもたれかかっている。
こんなことを思うのもおかしな話だが、なんとも「珍妙な」女であった。
ーーーゴスロリってやつかな?
黒の革ジャンにミニスカート。ヘソ出しスタイルである。黒のロングブーツは革製で、日の光を反射している。ブーツが大分厚底なのか、女性にしてはかなり背丈がひょろ長い。背中側のウエスト部分には派手な真っ赤なリボン。髪は金髪で、高い位置からのツインテールだ。
こんな田舎には珍しい、派手な服装の女。年齢は、夏芽より少し上ー夏芽が高校三年生だから、大学生くらいーーーだろうか。
夏芽は少し呆気に取られてしまった。
「ねえ、無視?」
女は眉をひそめた。
「あ、すみません。はい、私、夏芽と言います」
夏芽は慌てて返した。女は夏目の全身を舐めるように見ると、
「ふうん…。フツウじゃん」
と言った。
ーーー初対面なのに、悪口…?
夏芽が言い返せず呆然としていると、女は続けた。
「あんたの好きなものってなに?」
「え?」
「だから、あんたは何が好きなのかなって」
突然の展開について行けない。夏芽がまた何も言えないで居ると、
「聞いてんでしょ!」
女は声を荒らげた。
「ちょっと考えさせてくださいって!」
「忙しいの、待てないのよ!早くして!」
夏芽は少し考えてから、
「うーん、お祭り、かなぁ」
と言った。
「このまち、もうすぐお祭りなんです。夏が始まる前に、山開きのお祭りがあって。御射祭って言うんですけど」
「へー」
夏芽が言い終わるのを待たずに、女はにたっと笑った。
「お祭りねぇ…」
「そんなことより、お姉さん、私のこと知っているんですか?」
夏芽が言うと、女は校門から背を離し、腕を組んだ。
「あんた、有名だもん」
心当たりがあった。夏芽は、一年前のこの時期から、妖怪世界と関わりを持ってしまったことで、様々な事件に巻き込まれ、その事件たちを、半妖半人の綺堂壱紀と共に解決に導いてきた。親友の唐沢たかねが散々言いふらすので、一部では「夏芽には不思議な力がある」と非ぬ疑惑の煙が立っているらしい。
夏芽は落ち込んだ。
「また変な噂が立っているってことですかね」
女はくすくすと笑いながら、
「変な噂どころじゃないって。ヤバイヤツだって聞いてるよ」
「ヤバイヤツ…」
「ヤバイヤツが居るっていうから見にきたのに、案外フツウで、がっかり」
女は言うと、夏芽に背を向けた。
「じゃ、壱紀っちによろしく言っといて」
ーーー壱紀っち?
女は半身でまた夏芽を振り返ると、腕を大きく回した。風が吹く。
次の瞬間、女は消えていた。
ーーー消えた!
夏芽は驚いて腰を抜かした。
ーーー何、今の!
女が居た場所は、まだ少し旋風が吹いているようだった。
ーーーもしかして、妖怪…?それに…。
壱紀とは、綺堂の下の名前である。綺堂の知り合いということだろうか。
ーーー本人に直接聞いてみよう。
夏芽は立ち上がった。
珍妙な女は、珍妙でありながらも、美しかった。
ーーーあの人も、薔薇みたいな人だったなぁ…。
夏芽は旋風が止んだ地面を見ながら思った。
*
風が吹く。
不自然な風だ。
綺堂は自宅二階にある書斎の窓から外を見ながら、なんだか嫌な予感がしていた。
ーーーまた夏芽さんの気配がするな。
夏芽が妖怪世界に来る時は決まって「何か事件が起きた時」である。
綺堂は腕を組んだ。
その時、玄関の戸が鳴った。
「来たか」
綺堂は一言呟くと、頬をつまんで笑顔を作った。二階の窓から階下を覗く。そこにいたのは、意外な人物だった。
「…夜崎拾?」
拾は綺堂の声に気づいて、顔を上げた。
「よぉ、綺堂壱紀」
夏芽のために作った笑顔を慌てて解くと、綺堂は眉間にシワを寄せた。
「何の用だ」
「おめぇに話があってよ。ちっと顔貸せや」
綺堂は少し考えてから、
「良いだろう。入れ」
と夜崎拾を家に招き入れた。
ーーー夏芽さんの気配だと思ったが、拾の気配だったか…。
綺堂は首を傾げた。
ーーー間違えたことなど一度も無いのに、おかしいな…。
階段を登る足音がゆっくりと迫ってくる。戸を開けて、拾は綺堂の前に姿を表した。
派手な花柄の着物姿に顔の包帯。髪は胸にかかるほどの長髪。見るからに「珍妙な」男である。拾は書斎に入ってすぐのところであぐらをかくと、
「またなんか起こるぜ」
と言った。
「“なんか”とは、なんだ」
綺堂が聞き返す。拾は少し間をおいてから、
「近頃、変な女が彷徨いているらしい」
と言った。
「俺と同じように、“妖怪にあてられた”らしくてよ」
綺堂は拾から少し距離をおいて、正座をした。
「お前が、妖怪にあてられていたって?」
拾は少し微笑んだ。
「別に今更、他人のせいにしようなんて思っちゃあいねぇよ。でもな、事実は事実だぜ」
綺堂は腕を組んだ。
「どちらでもいいが、最近この世界がおかしいのは本当のようだな。人間界でも、こんなに立て続けに妖怪関係の事件が起きて良いはずがない」
「何が起こっているのか、そんなこたぁ俺にはどうでも良いがな。あいつには、借りがあるんだ」
「夏芽さんか」
「ああ」
拾は頭をかいた。
「春代ちゃんと夏芽には、しばらく合わせる顔がねぇ。だから直接会って忠告するのは、今回は辞めておく。代わりに、おめぇに伝えに来たってわけだ」
「変な女、とか言っていたな。そいつが夏芽さんに危害を加えようとしているのか」
「それは、まだわかんねぇ。でもよ」
拾は窓の外を見た。
「おめぇに頼めば、なんとかなるんじゃないかと思ってな」
意外だ。綺堂はすぐに言葉が出なかった。つい先日まで対決していた相手が、こんなに簡単に自分を頼ってくるとは。
「妖怪世界で今一番強えのは、きっとおめぇだからよ」
「それは、そうかもな」
綺堂壱紀は一見人間に見える。しかし真の姿は、妖怪の長「ぬらりひょん」の血を半分受け継いだ、半妖半人だ。
拾はまっすぐ綺堂を見た。
「あいつらを、救ってやってくれねぇか」
綺堂は腕組みを解いて、
「当たり前だ」
と言った。
「お前なんかに頼まれなくても、僕は夏芽さんを守るよ」
拾はニコッと笑うと、
「頼むな」
と言って、立ち上がった。
「それだけ伝えにきた。俺はもう帰る」
拾はそのまま踵を返し、綺堂の書斎を後にした。
ーーー変な女…。
綺堂は心の中で呟いた。警戒しなければならない。
拾は玄関を出るとすぐ、消えた。謎の多い男だ。綺堂や由宇奇と違って、妖力を積極的に使うタイプである。妖怪世界と人間世界、両方で生活する身であるにも関わらず「隠す」ということが一切できない。
その時、玄関の戸が鳴った。
綺堂が窓から玄関を見下ろすと、そこに居たのは夏芽だった。
ーーーやはり夏芽さんもこちらに向かっていたのか。
綺堂はもう一度笑顔を作り直すと、窓をガラリと開けて、
「夏芽さん」
夏芽は声に気づくと、顔を上げた。
「綺堂さん、こんにちは」
「やぁ、夏芽さん。君がこちらに来るということは、何かあったようだね」
「そっちに行っても良いですか?」
「もちろんだよ」
夏芽は玄関を入ると、例のごとく階段を登って書斎まで到達した。書斎に入り、すぐのところで夏芽は静かに正座をすると、綺堂を見上げる。綺堂も夏芽に合わせて腰をおろした。
「さっき、変な女の人に会って」
「なんだって!」
座ったばかりの綺堂は立ち上がった。
「何かされたのかい!?」
「あ、いえ、何もされてないんですけど」
夏芽は頭をかいた。
「ただ、その人が綺堂さんの名前を言っていたので、気になって来てしまいました。お知り合いなのかな、と。ちょっと、意外だなって…」
「知り合い?」
綺堂は顎に手を当てた。
「どんな女だい」
「なんだか、ゴスロリちっくな服装で、金髪のツインテールで、とっても可愛い人でしたよ。私より少し年上かな。でもあんな派手な見た目の人、こんな田舎にはなかなか居ないので…声をかけられた時は困惑しました。“壱紀っちによろしく言っといて“と言われたので、てっきり綺堂さんのお知り合いなのかなと思ったんですが」
綺堂はしばらく記憶を辿った。しかし、金髪ツインテールの知り合い女性は居ない。
「少なくとも、僕自身は知らない人物のようだ」
「人違いですかね」
夏芽は慌てた。
「そっか、綺堂さんって名字は珍しいけど、お名前の方は普通に居そうですもんね。別の人だったのかも。すみません、早とちりしちゃって。ただ…」
夏芽は眉を寄せた。
「少し、嫌な予感がしたので…」
「夏芽さん」
綺堂は言った。
「そういう嫌な予感ってのは、意外と当たるもんだから、君がここに来たことは、間違いではないよ」
「そうでしょうか…」
「それに、先ほどーーとある人物から忠告が入ってね」
綺堂はなんとなく、拾の事を隠した。
「“変な女”に気をつけろ、と言う事だった。もしかしたら、その“変な女”というのは、夏芽さんが出会ったその人物かもしれない」
風が吹いて、窓がカタカタと揺れた。綺堂はなんとなく、嫌な予感がしていた。
*
いつもと変わらない教室の風景。しかし、夏芽は違和感を感じて、たかねに声をかけた。
「たかね、大丈夫?」
「夏芽ぇ」
机に突っ伏していたたかねは夏芽を見上げると、目を潤ませた。
「大ピンチだよ…」
「大ピンチ?」
夏芽が聞き返すと、たかねは頷いて続けた。
「お祭りがね、御射祭がね、できなくなっちゃうかもしれないって」
「え!」
夏芽は驚いて声を上げた。
「なんで?」
「うちのお父さんがね、お祭りの実行委員長なんだけどね。『ブク』って言葉聞いたことある?身内に不幸が出てしまうとその年は『ブク』って言ってね、お祭りに参加できないの。実行委員内でね、不幸が続出しちゃって、ブクだらけになってしまってね。みんなお祭りに参加できないって言うのよ。お神輿の担ぎ手とかも少なくなって来ちゃって、もしかしたら今年はお祭り中止かもしれないんだって」
「そんな…!」
夏芽はショックで崩れ落ちそうだった。子供の頃から楽しんで参加していた、七月一日の山開き祭り「御射祭」が、今年は開催できないかもしれないというのだ。
「夏芽もショックだよね。お祭り好きだもんね」
「そうだけど、そんなことより、そんなに身内に不幸って続くものなの?」
「今回はね、なんともう六月半ばの今の時点で十人のお家で不幸が起こっちゃってるの」
「十人?多くない?」
「それも不思議でね。六月になってから立て続けに十人、それぞれのお家で亡くなったのよ。一ヶ月も経っていないの。だから、呪われているんじゃないかって、そういう話にもなっていてね」
「呪い?」
たかねは微笑した。
「夏芽の得意分野って感じになって来たでしょ」
「そんな風には思ってないよ!」
「でもみんな、本格的に『呪い』の可能性も視野に入れているみたいで、今度祈祷もしてもらうみたいなの。そもそも御射祭は御射山の山開きのお祭りだから、すごく不吉だよね…」
「山開きのお祭りができなかったりしたら、その年の登山者さんたちが心配だよね」
「山の災害とかもね」
たかねは項垂れた。
「ここのところ毎日不幸のお知らせが入っているから、もしかしたら次はうちなんじゃないかとかも考えちゃってね。ほら、おばあちゃん、高齢でしょ。今の所すごく元気なんだけどね、ちょっと心配で」
たかねの祖母は高齢ゆえ、少し認知症気味だが、料理も上手ではつらつとしている。しかし、周りでここまで不幸が続くと、確かに心配である。
「綺堂さん、何か知らないかな?」
たかねは言った。
「そういう『呪い』とかにも詳しそうじゃん、綺堂さん。最近会った?」
「うん、今月の初めにね、ちょっとだけ会ったんだけど、その時は特に何も言ってなかったなぁ」
「また近々会いに行くんでしょ?」
「そうだね、こういうことが起こっているし、綺堂さんに相談した方がいいかも」
そこまで言って、夏芽ははっとした。
「お祭り…」
今月の初めに出会った、奇抜な見た目の女。彼女との会話が思い出される。
『だから、あんたは何が好きなのかなって』
『うーん、お祭り、かなぁ』
ーーーまさか、ね。
「夏芽、どうしたの?」
たかねが夏芽の肩を揺する。
「急にぼーっとして」
夏芽は慌てて、
「ううん、なんでもない」
と言った。
流石に、あの女が“祭りを阻止するために何人もの人間を殺めている“なんてことは、あり得ないだろう。それに、理由があるとしたら“夏芽がお祭りが好きだから”だ。馬鹿らしい。そもそも、彼女とはあの場が初対面だ。綺堂も面識が無いと言っていた。
ーーー考えすぎも良く無いよね。
夏芽は変な思考を吹き飛ばそうと、首を振った。
「話は変わるんだけど」
たかねは急ににやっとした。
「綺堂さんとは、どうなったの?」
「え?どうって?」
「だから、付き合ってるんでしょ?」
「はぁ?」
夏芽は顔を赤らめた。
「付き合ってないし!」
「嘘つけえ。なんか付き合ってる風じゃん」
「本当に付き合ってないのよ!」
夏芽は全力否定した。
「じゃあ聞き方変えるけど」
たかねは髪を耳にかけた。
「綺堂さんのこと、好きなんでしょ?」
「はぁ?好きとかじゃないし!」
「じゃあ何?」
たかねはにやにやしながら夏芽を見た。夏芽は少し考えてから、
「尊敬はしてるのよ」
と言った。
「でも、恋愛感情とかは無いから!」
「なんで?結構かっこ良くない?」
「だって」
夏芽は下を向いた。
「多分、すごく年上だと思うんだよね」
「そう?三十歳くらいじゃない?」
綺堂壱紀は、妖怪「ぬらりひょん」の子供だと言っていた。「ぬらりひょん」は、大分昔から語り継がれている妖怪だ。もし綺堂の言っている事が事実だとしたら、綺堂の年齢は、下手したらああ見えて百歳を超えているかもしれない。
「流石に、おじいちゃんと恋愛は無理かなぁ」
「おじいちゃん?急にどうしたの?」
「あ、ううん。こっちの話」
たかねには綺堂が半妖半人であることは話していない。何故なら、多分信じないからだ。だから、綺堂の年齢について話す意味がない。
「たかねは、年上好きだよね。何歳くらいまでが恋愛対象なの?」
「そうね、相手がかっこ良ければ、何歳でも大丈夫かな」
流石、たかねである。夏芽は感心した。
「私もそのくらいおおらかな気持ちが持てればなあ」
「年齢次第なんだ」
「そりゃあ、ある程度はね」
夏芽は項垂れた。
「兎に角。近いうちに綺堂さんに会って、今回の『ブク事件』については聞いてみるから、たかねもそんなに不安がらずに待っていて」
「うん、ありがとう。今までの事もあるから、結構頼りにしてるんだよね」
たかねは笑った。親友は、笑っている方が可愛らしい。
明日にでも、綺堂に会いに行こう。いや、今日の下校の際に、少し寄ってみよう。行動は早いにこした事はない。
夏芽は決意した。
「じゃ、そろそろ帰ろうか」
たかねは椅子から立ち上がった。
「早く帰って、宿題しないと」
「たかねが宿題?珍しい!」
「だって、高校三年生だよ。流石にやばいって!」
二人は進路の話をしながら教室を出た。階段を下る。
「夏芽はもう学校決まった?」
「行きたい所は、だいたい考えてるところよ」
「いいなあ。選び放題だもんね。私は、選択肢が少ないのよ」
「自業自得でしょ」
「まぁ、そうなんだけど」
話しながら校門を出る。夏芽は誰かに見られている気がして、振り返った。校門の隣の薔薇園には、誰も居なかった。しかし、不思議な事に、薔薇がほとんど枯れていた。
「この前はすごく元気だったのに…」
「ここの薔薇、毎年綺麗だけど、今年は育てるのに失敗しちゃったのかな」
たかねはあっけらかんとして言った。
「そんな事よりね、宮本先輩にこの前会ったの!」
「そうなんだ。元気そうだった?」
「相変わらずイケメンだったよ」
二人は校門を後にした。
生ぬるい風が吹く。
*
「うー様」
女は甘い声で男を呼んだ。
妖怪世界の片隅に、巨大な豪邸がそびえていた。辺りでは活火山がゴーゴーとマグマを唸らせている。豪邸は和洋折衷の建物で、漆黒に染まっていた。
「うー様のいう通りにしてきたよ」
女は男に寄り添う。
男は、フフフ、とかすかに笑った。
「よくやったね。あとが楽しみだよ」
男の声はかすれていて低く、地響きのように内臓に響く。
ーなんて心地のいい声なの。
女は男の肩にもたれかかった。
ーこのヒトのためなら、なんだってできるわ。
マグマの唸る地の果てで、男と女は寄り添いあった。




