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第6話

暗闇の中で身を寄せ合っていた五人の男女は、俺の言葉に呆然と顔を上げた。彼らの瞳には、疲労と飢え、そして死の恐怖が色濃く刻まれている。松明の火はとうに尽き、冷たい石の床でただ終わりを待つしかなかったのだろう。


「た、助けに来て……くれたのか……?」


リーダー格の男が、ひび割れた唇を震わせて尋ねてきた。俺は淡々と頷き、持参した水袋と携帯食料を彼らの足元に放り投げる。


「契約通り、確実な生還をご提供します。まずは腹に入れて、歩ける状態になってください」


彼らが貪るように水と食料を口にする間、俺は周囲の警戒を怠らなかった。脳内の3Dマップは常に更新を続けている。魔物の気配は遠ざかっているが、迷宮の構造は生き物のように変化する。油断は死に直結する。


十分後、息を吹き返した彼らを立たせ、帰還の途についた。


俺の足取りに迷いはない。かつて単独で踏破した際に把握した罠の配置はすでに脳内マップへ刻み込まれているが、迷宮は常に姿を変える。俺は疲労困憊の彼らがついてこられる歩調を維持しつつ、微細な環境の変化から新たな危険を察知し、一切の戦闘を避ける最適解のルートをリアルタイムで構築し続けていた。


迷宮の壁は不規則な凹凸を持ち、まるで巨大な生物の胃袋の中にいるような錯覚を覚えさせる。湿った空気が肌にまとわりつき、腐敗臭と鉄の匂いが混ざり合った独特の悪臭が鼻を突く。だが、俺にとってはこの悪臭すらも、安全な道筋を割り出すための情報の一つに過ぎない。


その道中、俺は立ち止まっては壁の表面を削り、特定の青黒い苔を小瓶に集めていた。


「おい、こんな時に何をしてるんだ? 早く地上に戻ろうぜ」


背後から焦燥に駆られた声が飛んでくる。極限状態から抜け出したばかりの彼らにとって、一分一秒でも早く迷宮を出たいのは当然の心理だ。だが、俺は振り返らずに答えた。


「これも業務の一環です。お客様はただ、私の足跡を正確になぞることだけを考えてください」


冷たい声で告げると、男は不満げに口を閉ざした。彼らには理解できないだろう。この一見無意味な採取行動が、生存確率を飛躍的に高めるための重要な作業であるということを。


その後も俺の指示通りに進み、俺たちは無傷で迷宮都市の入り口へと帰り着いた。陽の光を浴びた瞬間、五人はその場に崩れ落ちて涙を流した。


俺は彼らに一瞥をくれ、静かにその場を立ち去った。仕事はまだ、半分しか終わっていない。


◆ーーーー◆


数日後、俺とリゼが構える救助事務所のドアが、乱暴に蹴り開けられた。


「ふざけるな! いくら何でもこの請求額は異常だ!」


怒鳴り込んできたのは、先日救出した中堅探索者たちのスポンサーである恰幅の良い商人だった。彼の背後には、すっかり生気を取り戻した五人の冒険者たちが気まずそうに立っている。


商人は赤黒い顔で、羊皮紙の束を机に叩きつけた。彼の指には悪趣味な宝石の指輪がいくつも光っている。


「相場の数倍だと? 足元を見るのも大概にしろ。こんな不当な要求、支払う義務はない!」


俺は椅子に深く腰掛けたまま、黙って彼を見返した。感情を乱す必要はない。命の危機が去った途端に金の出し渋りをする輩が現れることは、最初から計算済みだ。むしろ、ここで一度反発させることで、周囲に俺たちの本気度を知らしめることができる。


隣に立つリゼが一歩前に出た。彼女の顔には、完璧に作り込まれた営業スマイルが貼り付いている。


「お客様、ご不満は理解いたします。ですが、こちらは事前にご提示し、ご署名いただいた契約書でございます」


「あんな極限状態でサインさせたものが有効なわけがないだろう! ギルドに訴えてやる!」


「どうぞご自由に。ただし――」


リゼの目が、スッと細められた。その瞬間、机上の赤い羊皮紙が脈打つように発光を始めた。紙面が血のように赤いのは、ギルドにおける最高危険度の緊急救助と、命の対価を象徴しているからだ。


商人の太い腕に、火傷のような赤い紋様が浮かび上がる。


「な、なんだこれは! 熱い、熱いぞ!」


「それは『真紅の契約書』の強制執行プロセスです。お支払いを拒否される場合、ギルドの権限によってお客様の全資産は即座に差し押さえられます。口座の凍結、所有物件の没収、すべて自動的に行われますよ」


リゼの声はどこまでも丁寧だったが、その響きには一切の容赦がなかった。商人は腕を押さえて床にうずくまり、脂汗を流している。


「わ、わかった! 払う、払うからこれを止めてくれ!」


「賢明なご判断、痛み入ります」


リゼが指を鳴らすと、紋様の光がスッと消えた。商人は逃げるようにして小切手を切り、冒険者たちを引き連れて事務所から転がり出ていった。


「完璧な取り立てだな」


「当然です。所長の能力を安く買い叩こうとする輩には、相応のペナルティを課さなければなりません」


リゼは冷酷な笑みを浮かべながら、回収した小切手を金庫に収めた。彼女はすでに、階層や遭難者の身分に応じた詳細な料金表を作成し、事務所の壁に掲示している。命の値段をドライに換算し、合法的に搾取する。俺たちの救助専門ビジネスは、こうして本格的な幕開けを迎えたのだ。


◆ーーーー◆


騒ぎが収まった後、俺は作業机に向かい、迷宮から持ち帰った青黒い苔を乳鉢ですり潰していた。


「所長、その苔は一体何なのですか? 以前から頻繁に採取されていますが」


経理帳簿から顔を上げたリゼが、不思議そうに尋ねてくる。俺はすり潰した苔を小皿に移し、特殊な薬品を一滴垂らした。苔は瞬時に赤紫色に変色し、微かな熱を帯びる。


「これは迷宮内の微細な魔力溜まりを感知するマーカーだ。変色の度合いで、そのエリアが安全地帯か、あるいは魔物が湧きやすい危険地帯かを見分けることができる」


迷宮の構造は常に変化する。一度通った道が帰りも安全とは限らない。リスクのある経路を避けるためには、こうした環境データの蓄積が不可欠だった。


「なるほど。所長の正確なルート構築は、そうした地道な調査に裏打ちされているのですね」


「ああ。だが、これを理解できない連中もいる」


俺の脳裏に、かつて所属していたS級の集まりのリーダー、ガルドの顔がよぎった。


彼は俺の採取行動を、戦闘を避けるための臆病な癖だと見下した。戦えない俺を寄生虫と罵り、中層の危険地帯で理不尽に追放したのだ。圧倒的な武力こそが絶対的な価値であると信じて疑わない彼らには、裏で払っている多大な労力など見えはしない。


だが、彼らに見下されていた地道なデータ収集こそが、俺をあの絶望的な中層から生還させ、この救助ビジネスを立ち上げる元手となった。最深部付近から地上に至るまで、俺の頭脳に刻み込まれた膨大な帰還ルートの記憶は、今や迷宮都市で最も価値のある商品だ。武力に頼らずとも、確かな知識と準備さえあれば、迷宮の脅威をコントロールし、命を金に換えることができる。


「準備不足や無謀な行動は、確実に命を落とす原因になる。俺はもう、誰の命も理不尽に失わせるつもりはない」


俺が静かに告げると、リゼは深く頷いた。


「ええ。所長の技術は、正当な対価を払う者にのみ提供されるべきです」


彼女は手元の書類を整理し、ふと真剣な表情になった。


「そういえば、ギルドの掲示板の様子がおかしいと報告が入っています。追放から三日が経ちましたが、帰還予定日を超過したパーティの赤札が急増しているそうです」


迷宮探索において、冒険者の死亡原因の九割は戦闘での敗北ではない。帰還ルートの喪失による遭難だ。複雑な迷宮内で道を見失えば、手持ちの食料やポーションは急速に尽き果てる。


「迷宮の構造変化が激しくなっている時期だからな。行きはよいよい、帰りは恐い、というやつだ」


「ええ。そして……その赤札の中には、最深部へ向かったはずのガルドたちの名前もあるとのことです」


リゼの言葉に、俺は手を止めた。


迷宮の過酷さという真の脅威が牙を剥き始めている。俺の案内能力がいかに彼らの生存に不可欠であったか、今頃になって骨の髄まで理解していることだろう。物資が枯渇し、魔物の襲撃に怯えながら、暗闇の中で迷走する絶望。かつて俺が味わった無力感を、彼らも今、噛み締めているはずだ。


「彼らからの依頼も、いずれ来るでしょうか」


リゼが探るような視線を向けてくる。俺は乳鉢を片付け、冷たく言い放った。


「もし来たら、命の値段を限界までふっかけるだけだ。契約書にサインしない者は、絶対に助けない」


感情論での無償救助などあり得ない。俺たちはビジネスをやっているのだ。


窓の外から、ざわめきが聞こえてきた。ブラインドの隙間から覗き込むと、先ほどの取り立ての噂が早くも広まったのか、事務所の前に新たな依頼人たちが列を作り始めている。


「どうやら、忙しくなりそうですね」


リゼが楽しげに微笑む。俺は軽く肩をすくめ、次なる顧客を迎え入れるために立ち上がった。


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