第5話
乱暴な音を立てて扉が開け放たれる。
「頼む、助けてくれ!」
転がり込むように入ってきたのは、中堅探索者たちのスポンサーを務める商人クライヴだった。上等な絹の服は泥と汗で汚れ、普段の余裕は見る影もない。
彼は息を荒らげ、受付のテーブルに身を乗り出してきた。
「うちの連中が、中層で帰還経路を見失ったんだ。もう丸二日、連絡が途絶えている!」
「落ち着いてください。状況は?」
「彼らは腕利きの連中だ。だが、地殻変動で通路が塞がり、パニックに陥ったらしい。中層の第十二階層付近だ。あそこは地形が変わりやすく、一度迷えば抜け出せない。頼む、あんたの腕を見込んでのお願いだ!」
中層。
その言葉を聞き、俺は手元の書類からゆっくりと視線を上げた。
彼をソファに座らせ、見習いのティオに水を持ってくるよう目で指示を出す。ティオが慌てて厨房へ駆け出していく。
クライヴが震える手でグラスを受け取り、荒い息を整えるまでの短い間。俺はここ数日の目まぐるしい変化を脳内で整理していた。
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中層といえば、奇しくも俺がガルドから戦力外通告を受け、理不尽に追放された場所だった。
あの探索は最深部攻略に挑んだ帰路での出来事だ。つまり、俺は最深部付近までの道を既に踏破しており、そこから中層を経て地上に至る道筋は、俺の頭の中に完全に構築されている。
直接的な武力を持たない俺を、彼らは後ろに隠れているだけの臆病者だと嘲笑した。だが、自力であっさりと生還し、冒険者引退の手続きを行った俺にとって、中層への案内など庭を散歩するようなものだった。
かつて無力だった頃、俺は準備不足で仲間を死なせた。それゆえに、危険因子を徹底的に計算する。確証のない道は、どれほど急かされても絶対に選ばない。その徹底した現実主義が、俺を確実に地上へと導いたのだ。
実は、クライヴとはこれが初対面ではない。
この数日、彼の紹介で浅層の軽い道案内などの依頼がいくつか舞い込んでいた。そのおかげで、受付のノラと見習いティオを雇い、事務所の業務は本格的に回り始めている。
ノラは愛想よく客をあしらい、ティオは不器用ながらも書類整理に奔走している。
「ドランさん、このロープの耐久値でこの価格はあり得ません。原価の三割引きで手を打ちましょう」
リゼは武具商ドランと容赦のない値切り合戦を繰り広げ、相手が泣きを入れるまで価格を叩いて備品を揃えた。
「メアリさん、規定の第十三項には抵触していませんよ。受理をお願いします」
ギルド窓口のメアリは、俺たちが提出する強気な活動申請書を見るたびに、胃薬を水で流し込んでいる。ギルドの規定すれすれを攻めるリゼの書類作成能力に、彼女は反論の余地すら与えられないのだ。救助された客が常連として残り、この拠点には確かな人の輪ができつつあった。
そして今日。俺が追放されてから三日後の昼下がり。
ギルドの掲示板は、帰還予定日を超過した者たちを示す赤札で溢れかえっていた。その中には、ガルドが率いるかつての所属パーティの名前もあった。
彼らは俺の残した古い手帳を頼りに進んでいるはずだ。だが、迷宮は生きている。過去の記録など、数日もすればただの紙切れに変わる。
周囲の冒険者たちは信じられないものを見るような目でざわめいていたが、俺にとっては予想通りの結果だった。迷宮の過酷さという真の脅威が牙を剥き、俺の案内能力がいかに彼らの生存に不可欠であったかが、誰の目にも浮き彫りになっている。
それゆえに、今が機だった。
俺はリゼの提案を受け、自身の知識を正当な対価に換える遭難者救助専門ビジネスを本格的に立ち上げる決意を固めた。
階層ごとの基本料金に加え、対象者の身分や資産状況に応じた特別割増料金を設定する。貴族や高位の探索者であればあるほど、命の値段は跳ね上がる仕組みだ。自らの能力に見合った価格をふっかける準備は、すでに整っている。
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「……というわけなんだ。金なら払う。どうか彼らを助けてやってくれ」
水を飲み干したクライヴが、懇願するような目を向けてくる。
俺は静かに頷き、隣に立つ相棒に視線を送った。
「落ち着いてください、クライヴ様。救助は可能です」
リゼが冷徹な笑みを浮かべ、机の上に血のように赤い羊皮紙を滑らせた。真紅の契約書だ。
ギルドの絶対的な強制執行力を持つ魔法契約書。署名した者の全財産や将来の報酬に対する強力な差し押さえ権限を持つ、悪魔の証明書である。
そこに記された金額を見て、クライヴの顔から血の気が引く。
「なっ……相場の数倍じゃないか! いくらなんでも足元を見すぎだ!」
「感情論での無償救助は絶対に引き受けません」
リゼの慇懃無礼な声が、事務所に響く。
「確実な生還という価値に、この値段が見合わないと仰るなら、どうぞ他を当たってくださいませ。もっとも、二次遭難のリスクを背負って中層まで行ってくれる業者が、他にいるとは思えませんが」
迷宮において、確実な生還は何よりも重い。中層での遭難は時間との勝負だ。物資が枯渇すれば、餓死か魔物的餌食になるしかない。
その事実の前に屈し、クライヴは震える手で羽ペンを握り、契約書にサインした。
「毎度あり。すぐに出発しよう」
俺は準備していた装備を手に取り、即座に迷宮へと向かった。
湿った空気と鉄の匂いが鼻を突く。
中層の入り口に足を踏み入れた瞬間、俺の意識は完全に仕事モードへと切り替わった。不規則な凹凸を持つ壁は、まるで巨大な生物の胃袋の中にいるような錯覚を覚えさせる。
一度通った道を、脳内で完璧に立体構築していく。風の微かな流れ、石畳の僅かな傾斜、壁に刻まれた魔物の爪痕。それらの情報を統合し、罠の配置や魔物のテリトリーを予測する。
俺は頻繁に立ち止まり、壁に生えた苔の向きや、足元の石の温度を確認する。一見すると無意味な採取行動に見えるかもしれない。だが、この微かな情報こそが、迷宮の構造変化を読み解く鍵となるのだ。
戦闘は一切行わない。ただひたすらに安全な道をなぞり、遭難した者たちのもとへ一直線に進む。
「右の通路は魔物の気配が濃い。左の迂回路を使う」
呟きながら踵を返し、湿った風が吹き抜ける細い横穴へと身を滑らせた。
一人での移動は驚くほどスムーズだった。無駄な足音を立てることもなく、危険地帯を正確に避けて歩みを進める。
天井から滴る水滴の音が、不自然に途切れた。スライム系の魔物が頭上に潜んでいる証拠だ。俺は音を立てずに壁際へ寄り、その下を通り抜ける。
床に仕掛けられた感圧式の落とし穴や、壁に偽装された毒矢の射出装置。俺はそれらを数歩手前で察知し、踊るような足取りで回避していく。
やがて、暗い通路の奥にうずくまる複数の影を見つけた。
物資が尽きかけ、絶望の淵にあった中堅探索者の面々だ。五人の男女が、身を寄せ合うようにして震えている。松明の火はとうに尽き、暗闇の中で魔物の足音に怯え続けていたのだろう。頬はこけ、唇は乾燥してひび割れていた。
幻覚でも見ているのかというように、彼らは目を瞬かせた。一人が震える声で何かを呟く。
彼らは怯えた目でこちらを見上げ、武器を構える気力すら失っているようだった。
俺はゆっくりと歩み寄り、冷徹な声で告げた。
「お迎えに上がりました、お客様」




