↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
17/30

第17話

だが、思考を止めるわけにはいかない。


俺は深く息を吸い込み、迷宮特有の腐敗臭が混じる冷たい空気を肺の奥まで送り込んだ。


胃の腑を焼くような恐怖を、無理やり奥底へと押し込める。


視界の端で、巨大な甲虫型の魔物が顎を鳴らした。その硬質な音が、死へのカウントダウンのように響く。


戦闘力がない。それは事実だ。だが、俺には迷宮のすべてを記憶し、計算する頭脳がある。


俺はひび割れた石畳を蹴り、崩落した岩の死角へと身を滑り込ませた。


脳内の3Dマップが高速で回転し、塞がれた道の代わりに新たなルートを構築していく。


俺は腰のポーチから、道中で集めていた灰色の鉱石と、青白く発光する苔を取り出した。


かつてガルドたちから無意味な採取行動だと嘲笑されていたものだ。


だが、この二つをすり潰して混ぜ合わせると、強烈な魔力攪乱の匂いを発する。


俺は手早くそれらを調合し、崩落した岩の隙間へと力いっぱい投げ込んだ。


「……来い」


数秒後、岩の隙間から濃密な煙が噴き出した。


魔物たちの動きがピタリと止まる。


攪乱された嗅覚と魔力感知が暴走し、彼らは最も近くにいる別の魔物を敵と誤認した。


鼓膜を破るような咆哮が上がり、甲虫型の魔物が隣の個体の首に顎を食い込ませた。


血飛沫が舞い、巨大な体躯がぶつかり合う。


俺はその狂乱の隙間を縫うように、事前に計算した安全なルートを駆け抜けた。


崩落の瓦礫を乗り越え、魔物の死角を正確に突く。


ただひたすらに、生存への細い糸をたぐり寄せる。


その先で、俺は崩落に巻き込まれて孤立していた別の中堅パーティを発見した。


彼らもまた、逃げ場を失い、絶望の中で身を寄せ合っていた。


「こっちだ。足音を殺してついてこい」


俺は短く指示を出し、彼らを先導した。


魔物のテリトリーを避け、罠の作動範囲をミリ単位で回避していく。


右の通路は完全に塞がれていたが、左の迂回路に残されたわずかな隙間を利用する。


やがて、腐敗臭が薄れ、中層の安全地帯であるキャンプの灯りが見えてきた。


「助かった……あんたがいなけりゃ、俺たち確実に死んでたぞ」


中堅パーティのリーダーが、へたり込みながら荒い息を吐いた。


周囲にいた他の冒険者たちも、次々と生還する遭難者たちを見てどよめいている。


他の冒険者パーティが次々と遭難する中、俺だけが確実なルートで彼らを救出している。


「またアレンが助けたのか」


「あいつ、ただの荷物持ちじゃなかったのかよ。ギルドの救世主じゃねえか」


称賛の声がキャンプに響く。


俺は手元の羊皮紙を取り出し、彼らに突きつけた。


「感謝は受け取りますが、救助費用は規定通りいただきます。命の値段は絶対に値引きしませんから」


彼らは苦笑しながらも、迷うことなくサインした。


これでまた、莫大な富が俺の口座に振り込まれる。


周囲の見る目が完全に変わったのを感じる。


だが、俺の仕事はまだ終わっていない。


◆ーーーー◆


迷宮最深部。


かつてない静寂と、這い寄るような死の気配が支配する空間。


ガルドは砕けた大剣の柄を握りしめ、虚ろな目で壁を睨んでいた。


「クソッ……どうしてこうなった……」


彼の手には、アレンから奪った古いマッピング手帳が握られている。


完璧な攻略本だと思い込んでいたそれは、迷宮の構造変化の前ではただの紙切れに過ぎなかった。


食料はとうに尽き、水も残りわずか。


自慢の武力も、度重なる魔物の襲撃と飢えの前には無力だった。


「ガルド……もう、限界よ……」


治癒士のミレーヌが、壁に寄りかかりながら弱々しく呟いた。


彼女の顔色は土気色になり、魔力も完全に枯渇している。


「アレンさんがいれば……こんなことには……」


彼女の瞳には、追放を止められなかった自己嫌悪と深い絶望が宿っていた。


安全なルートを歩くことが、どれほど尊いことだったのか。


失って初めて、その知識の偉大さを痛感しているのだ。


「黙れ! あんな臆病者の名前を出すな!」


ガルドは声を荒らげた途端に激しくむせ返り、無様にその場へうずくまった。


盾役のギルバードは、冷ややかな視線でリーダーを見つめていた。


彼は静かに立ち上がり、ガルドから距離を置く。


これ以上、この男に従っても犬死にするだけだ。


ギルバードの心の中で、明確な決別の意志が固まっていた。


パーティの結束は、とうの昔に崩壊している。


ただ、暗闇の中で死を待つだけの時間が過ぎていく。


◆ーーーー◆


中層キャンプのギルド出張所。


俺は通信魔導具の前に立ち、ギルド職員から渡された書類に目を通していた。


「黄金の剣」のスポンサーである貴族、バルバロスからの緊急依頼書だ。


『領地の資産をすべて担保にする。報酬は言い値でいい。どうか、彼らを救出してくれ』


悲痛な文字が並んでいる。


バルバロスにとって、巨額の投資をしてきたSランクパーティを失うことは、家の没落を意味する。


背に腹は代えられないのだろう。


俺は懐から、血のように赤い羊皮紙を取り出した。


ギルド公認の最高位魔法契約書。通称「真紅の契約書」。


いかなる法外な条件でも、署名すれば絶対的な強制執行力が働く。


「言い値でいい、か。なら、彼らの命の価値を、最大限に評価してやろう」


俺は契約書に金額と条件を書き込み、静かに微笑んだ。


戦闘力がないと見下された案内人が、彼らの命運を握っている。


これ以上の証明はない。


俺は必要な物資を補充し、再び最深部へと向けて歩き出した。


今度は焦る必要はない。


安全なルートを悠々と進み、道中でレア素材を回収する余裕すらある。


迷宮の構造はすでに脳内で完全にアップデートされている。


数時間後。


俺は最深部のコアに近い広間へと到達した。


魔物の気配を完全に遮断する安全地帯を確保し、岩陰から静かに歩み出る。


そこには、飢えと恐怖でボロボロになり、死の淵を彷徨うガルドたちの姿があった。


「お迎えに上がりましたよ、お客様」


俺の足音と声に、ガルドたちがゆっくりと顔を上げる。


極限状態の彼らの瞳に、信じられないものを見るような驚愕の色が浮かんだ。


俺は真紅の契約書を手に、彼らを見下ろした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。