第29話 広げる③
世界AR博覧会OSAKA2032。
会場となった舞洲の国際展示場には、朝から世界中の人間が押し寄せていた。英語、中国語、ヒンディー語、フランス語——あらゆる言語が飛び交うロビーを、私は白衣のまま歩いていた。
普段なら浮くだろうが、ここでは誰も気にしない。全員が自分の目的に夢中だからだ。
izanagiブース。
私たちに割り当てられたエリアは、会場の中でも一等地だった。世間からの注目度と、スポンサーである電楽堂の資金力。両方があってこその場所だ。
「志保ちゃん、機材の最終チェック終わりました」
早智が駆け寄ってくる。その後ろに、姫乃の姿があった。
——おや。
二人が並んで歩いている。少し前まで顔も合わせられなかったはずなのに。
あの日のことを思い出す。
◇◇◇
合宿から三日後。研究室の扉が、ノックもなしに開いた。
「志保先生、いますか?」
姫乃だった。
「体調不良」を理由に三日も顔を見せなかった姫乃が、車椅子を漕いで入ってきた。その顔には、もう迷いがない。
早智がサーバーラックの前で固まった。姫乃も、一瞬だけ動きを止める。
気まずい沈黙。私は二人を交互に見て、何も言わずにコーヒーを啜った。
「……姫乃ちゃん、体調は」
「治りました」
姫乃が早智の言葉を遮った。
「志保先生、早智さん。私、間違ってました」
「何を?」
「合宿で決めた『海』ってテーマ、変更してもいいですか?」
姫乃の目が、真っ直ぐに私を捉えている。迷いを吹っ切った人間の目だ。
「……何かあったの?」
「ちょっと、嫌な奴にアドバイスされただけです」
嫌な奴。誰だろう。まあ、聞かなくていいか。
「だから——」
姫乃は早智の方を向いた。
「早智さん」
「……なに?」
早智の声が、少しだけ硬い。
「私が選ばれても、嫉妬しないでくださいね」
一瞬、空気が凍った。
「……何それ。喧嘩売ってるんですか?」
「売ってますよ。負けるつもりもありませんから」
早智が目を見開いた。それから——ふっと、肩の力を抜いた。
「……姫乃ちゃんって、ほんとに性格悪いね」
「知ってます」
「私は言った通り、志保ちゃんファーストだから。それは変わらないよ」
「ええ、それでいいです。私がこのチームの怪物として志保先生たちを翻弄しますから」
姫乃は悪びれもせずに言い切った。
「次のライブ、私が選ばれるべくして、選ばれた人間なんだと見せつけてやります」
早智は黙って姫乃を見つめていた。それから、呆れたように笑った。
「……ほんと、猫被るのやめちゃったじゃん」
「私はこっちのほうが好きだけど?」
私はコーヒーを飲み干して、二人を見つめて笑った。
——これが、この二人なりの和解か。不器用すぎる。でも、悪くない、かな。
◇◇◇
「志保ちゃん、ニヤニヤしてますよ」
早智の声で、現実に引き戻された。
「してない」
「してます。さっきからずっと」
「……気のせいでしょ」
早智の指摘を無視して、私はブースの方へ歩き出した。
◇◇◇
開場から一時間。私のもとには、ひっきりなしに人が訪れていた。
G社のAPAC部門責任者。華騰科技の副社長。その他、名刺の肩書きを見るだけで目眩がしそうな人間たち。
全員が同じことを言う。「あなたの技術に興味がある」「ぜひ一度、詳しくお話を」「弊社と組みませんか」——。
悪い気はしない。でも、彼らが欲しがっているのは「園田志保」という人間ではない。私が持っている技術だ。それを自社の利益のために使いたいだけ。
鷲尾と、本質的には変わらない。
「園田准教授」
噂をすれば、だ。振り返ると、鷲尾誠一郎が立っていた。隣には阿久津。そして——浦和。
「今日の発表、楽しみにしているよ」
鷲尾が、穏やかに微笑む。
「浦和くんから報告を受けた。契約の件、感謝するよ」
「ええ、どういたしまして」
私は微笑み返した。
事前にizanagi3.0で組み上げた設計。結果は良好——いや、良好なんてもんじゃない。控えめに言って最高傑作。我ながら惚れ惚れする出来だ。
だからこそ、今日のizanagiブースでの講演も、3.0に関するパートは私に任された。阿久津は不服そうだったが、技術を一番理解している人間が説明するのは当然の判断だと思う。
「発表の後、改めて今後の方針を詰めよう。君の技術がizanagi3.0に正式に実装されれば、世界が変わるぞ」
「そうですね。世界が変わるといいですね」
鷲尾は満足げに頷いて、去っていった。阿久津がその後に続く。
浦和だけが、一瞬だけ私と目を合わせた。小さく、本当に小さく頷いて、二人の後を追っていく。
——さあ、始めようか。
◇◇◇
発表会場。数など把握できないほどの人、人、人。会場はすでに満席だった。
最前列に鷲尾と阿久津。その近くに、G社と華騰科技の関係者。後方には各国のメディア。立ち見まで出ている。
舞台袖では、姫乃と早智、ぬかしーさんが控えている。姫乃と目が合った。小さく頷く。
私はステージに上がり、マイクを手に取った。
「皆さん、こんにちは。本日の技術説明を担当します、園田志保です」
会場を見渡す。数えきれない視線が、一斉にこちらを向いた。
「私を知っている方は疑問に思うかもしれませんね。元izanagi開発チームの人間が、なぜizanagiのブースで発表しているのかと」
軽く肩をすくめてみせる。
「ご安心ください。復帰したわけじゃありません」
会場から小さな笑いが漏れた。
「私が新たに開発したシステムと、izanagi3.0環境下での共同研究——その関係で、私が登壇することになりました」
鷲尾の方を一瞥する。彼は満足げに頷いている。
「それでは早速、本題に入らせてください」
背後のスクリーンに、ロゴが浮かび上がる。
「私が開発した新システム——『Aggressive Reality』」
会場がざわめいた。AR。拡張現実と同じ略称。でも、意味はまったく違う。
「皆さんご存知の『Augmented Reality』——拡張現実。現実を『拡張』するという発想。でも、私はずっと疑問に思っていたんです」
私は一歩、前に出た。
「拡張って、何を拡張してるんでしょう?現実の上に情報を重ねる?便利なナビゲーションを表示する?最適化された広告を届ける?」
鷲尾の目が、わずかに細くなった。
「それは『拡張』じゃない。ただの『追加』です。現実の上に、余計なものを乗せているだけ」
私は胸を張って宣言する。
「私が作りたかったのは、そんなものじゃない」
スクリーンに、私たちが行ってきたパフォーマンス、ドームライブの映像が流れ始めた。折り畳まれる世界。立ち上がる騎士たち。車椅子が玉座に変わる瞬間。
会場が静まり返った。全員が、スクリーンに釘付けになっている。
「このシステムは、従来のARとは根本的に異なります。ユーザー一人ひとりの視線をリアルタイムで解析し、その人だけに最適化された体験を提供する。一万人が同じ空間で、それぞれが違う方向を見ていても、全員に対して個別の演出で対応できる」
私は、鷲尾の目を真っ直ぐに見た。
「——それが『Aggressive Reality』。侵略的現実。現実に対する、私たちからの宣戦布告です」
◇◇◇
技術説明を終え、私は、最後のスライドを表示させた。
「最後に、一つ重大発表があります」
会場の空気が、わずかに張り詰めた。
「『Aggressive Reality』は、本日より——」
私は一拍、間を置いた。
「——全世界に向けて、サブスクリプション配信を開始します」
ざわめきが広がる。私は構わず続けた。
「G社、華騰科技をはじめ、すべての企業、全てのユーザーに対して同一条件でライセンスを提供します。izanagiへの実装も、もちろんその一環です」
鷲尾の表情が、凍りついた。
「独占契約ではありません。私の技術は、特定の誰かのものではない」
私は、会場全体に向けて宣言した。
「『Aggressive Reality』は、世界に開かれた技術です。使いたい人が、使いたいように使えばいい。——こんな、おもしろい玩具を独り占めなんてもったいない!」
会場が沸いた。拍手と、どよめきと、あちこちで飛び交う興奮の声。
最前列で、G社の責任者が隣の人間と何か話している。華騰科技の副社長が、部下に指示を出している。メディアのカメラが一斉にこちらを向いた。
その喧騒の中で、鷲尾だけが動かなかった。
いや——動けなかったのだろう。
その目の奥に、燃えるような怒りが見える。私はそれを正面から受け止めて、静かに微笑んだ。
「以上で、発表を終わります。ご清聴ありがとうございました。この後は、私たちチーム・リラによる最新パフォーマンスをお見せします」
私はステージを降りた。
◇◇◇
舞台裏の通路。発表を終えた余韻に浸る間もなく、足音が近づいてきた。
速い。荒い。怒りを隠そうともしていない足音。
「園田ぁぁあ!」
鷲尾だった。
普段の余裕は跡形もない。目は血走り、顔は紅潮している。その後ろで、阿久津が青ざめた顔で立ち尽くしていた。
「どういうつもりだ」
「どういうつもりも何も」
私は肩をすくめた。
「承諾しましたよ、izanagiへの実装。——独占とは一言も言ってませんけど」
「ふざけるな!」
鷲尾の声が跳ね上がった。通路に反響する。
「浦和から『承諾を得た』と報告を受けた!契約の準備は整っていると——」
「ええ。浦和は嘘をついてないでしょう?」
私は首を傾げてみせた。
「私の承諾は得た。契約内容については、私の希望通りに進めてくれた。——責任者として仕事が早い」
鷲尾の顔が、鬼の形相に変わった。
「貴様……っ!」
「鷲尾会長には感服しましたよ」
私は微笑んだ。
「まさか、私の技術に『生きた広告』なんていう使い道があったなんて。考えもしなかった」
「何を——」
「だから、全世界に開放することにしたんです。私には思いつかないような使い道を、世界中の人に考えてもらおうと思って」
鷲尾の目が、見開かれた。
「きっと、会長よりもっと面白いことを思いつく人がいますよ。——世界は広いですから」
「黙れ……っ!」
腕を掴もうと手を伸ばしてきた。その瞬間、横から腕が割り込んだ。
「なにをしている!」
警備員だった。いつの間にか、二人がすぐ後ろに立っていた。
「他のお客様のご迷惑になりますので、お静かに願います」
「離せ!私を誰だと思っている!電楽堂の——」
「お静かに」
警備員の声は丁寧だったが、有無を言わせない響きがあった。
鷲尾が抵抗する。もう一人の警備員が、反対側の腕を取った。
「ご案内いたします」
「離せと言っている!園田!これで済むと思うな!」
連れ出されていく鷲尾の背中を、私は黙って見送った。
最後まで何か叫んでいたが、もう聞こえない。聞く必要もない。
その場に残された阿久津が、私を見た。何か言いたそうに口を開きかけて——結局、何も言わずに踵を返した。小走りに、鷲尾の後を追っていく。
静かになった通路に、空調の音だけが響いている。
「……お疲れ様でした、先輩」
声がして振り返ると、浦和が立っていた。
「あなたも大変だったでしょ。これから、もっと大変になるかもしれないけど」
「大丈夫ですよ」
浦和は小さく笑った。
「私には頼れる先輩がいますから。——また何かあれば、連絡しますね」
そう言って、浦和は去っていった。izanagiの技術責任者として、何事もなかったかのように。
私としても、頼れる味方が敵陣の中にいる。それだけで、少しだけ肩の荷が軽くなった気がした。
◇◇◇
舞台袖を見ると、姫乃たちが待っていた。
「先生!」
姫乃が、目を輝かせている。
「やってやりましたね!」
「まあね。場は温めてあげたから、あとはよろしく」
「鷲尾会長、連行されてましたよ。警備員に両脇抱えられて」
早智が、スマートグラスを見ながら言った。
「もうSNSに動画上がってます。『電楽堂会長、博覧会で大暴れ』って」
「仕事が早いわね、野次馬たちも」
「これがリアルざまぁってやつですか」
ぬかしーさんが、感心したような声を出した。
「ぬかしーさん、そういう言葉知ってるんだ」
「ネットの絵師ですよ?当然です」
私は笑いを噛み殺した。
でも、まだ終わりじゃない。
私は姫乃を見た。車椅子の上で、背筋を伸ばしている彼女を。
「さあ——」
「はい」
「次は、姫乃の番よ」
姫乃が、不敵に笑った。
「見ててください。先生が私を買って良かったって、思い知らせてあげますから」
——ああ。
私が買った怪物が、今日、世界に牙を剥く。




