第27話 広げる①
帰りのくろしおの中で、スマートグラスに通知が入った。
浦和アキ:『明日の昼、空いてますか』
それだけだった。浦和は私が回りくどいやり取りを嫌うことを知っている。
『空いてる』
『場所は追って送ります』
短いやり取りを終え、私は窓の外に目を向けた。
浦和が用件を書かないのは、会って話すつもりだからだ。おそらく、izanagi復帰の件。この前の研究室での勧誘を、彼女は諦めていない。
車内を見回す。姫乃と早智が別々の車両に座っていることには気づいていた。何かあったのだろうが、聞く気はない。聞いても私に解決できる問題ではないだろうし。
車窓を流れる緑が、トンネルに吸い込まれて消えた。
翌日の正午。
浦和が指定してきたのは、桜ノ宮のホテルに併設された喫茶室だった。平日の昼間だからか、客はまばらだ。重厚なソファと、磨き上げられた木製のテーブル。
「先輩、こちらです」
奥のテーブルで、浦和が手を上げた。
「わざわざこんな場所を指定するなんて、国家プロジェクトを担ってると違うわね」
「先輩がここのアップルパイが好きなの覚えてましたから」
浦和が鞄から小さな箱を取り出した。ちょっとお高いチョコレートだ。一粒500円くらいする。
「……ありがとう」
「和歌山、どうでした?早智さんのSNSで写真見ましたけど、すごい綺麗なビーチでしたね」
「まあ、悪くなかったわ」
「駒路さんも楽しそうでした。先輩と一緒に泳いでる写真——」
「早智、何を上げてるのよ」
「えへへ、先輩の水着姿、レアですよね」
浦和が嬉しそうに笑う。昔からこういう、どこか犬っぽいところがあった。
私はコーヒーを一口飲んで、カップを置いた。
「——で。別に世間話をするために呼んだわけじゃないでしょ」
浦和の表情が、少しだけ硬くなった。
「……はい。実は——」
その時、浦和の視線が私の背後に向いた。
高い天井に反響する、革靴の足音。振り返ると、広い店内の奥から二つの人影が歩いてくるところだった。
「やあ、園田准教授。待たせたね」
阿久津教授だった。そして、その隣を歩いているのは——。
「博覧会の下見ぶりだね、園田さん」
鷲尾誠一郎。電楽堂の会長が、悠然とテーブルに近づいてきた。
店内を見回す。平日の昼間で客はまばらだと思っていたが、よく見れば私たちの周囲のテーブルには誰もいない。最初から、この一角は押さえられていたということか。
「……なるほど。最初からこういう段取りだったわけね」
私は浦和を見た。彼女は気まずそうに目を逸らす。
「浦和くんを責めないでやってくれたまえ。彼女には先輩を呼び出す役を頼んだだけだ」
阿久津が私の向かいに腰を下ろす。鷲尾はその隣に。浦和は所在なさげに、私の隣へ移動した。
「で、本題は?」
私は単刀直入に切り出した。回りくどい前置きに付き合う気はない。
「相変わらず、せっかちだね」
鷲尾が穏やかに笑った。ウェイターがコーヒーを運んでくる。鷲尾と阿久津の分。手際よくカップが並べられ、ウェイターは足音もなく去っていった。
「園田さん。君の技術には、本当に感心しているんだよ」
「……どうも」
「あのドームライブの映像は、何度も見た。観客一人ひとりの視線に反応して、一万体の騎士がそれぞれ違う動きをする。あれは、今の世界で君にしかできない芸当だ」
鷲尾がコーヒーを一口含み、満足げに頷いた。
「izanagi3.0は、君の技術を最大限に活かせる環境を用意している。今の君の環境では、せっかくの性能が……まあ、宝の持ち腐れと言っては失礼かな」
「あなたに褒められても別に嬉しくないわ」
「辛辣だね」
「だって、そうでしょ。最初から目指す方向性が違うんだから」
私はコーヒーカップを置いた。
「鷲尾さん。あなたにとってizanagiは何?」
「……急に哲学的だね」
「いいから答えて」
鷲尾は少しだけ目を細めた。
「——そうだな。人々の生活を豊かにする、社会インフラと——」
「別に嘘を並べなくてもいいわ」
私は鷲尾の言葉を遮った。
「だって、私はその方向性の違いでizanagiを追い出されたんだから。あなたがizanagiを何だと思ってるか、身をもって知ってるのよ」
鷲尾の笑みが、一瞬だけ固まった。
「……なるほど。では、率直に言おうか」
「最初からそうして」
「izanagiは、世界で最も優秀な広告プラットフォームだ。人間の視覚を通じて、最適な情報を届けるインフラ。——それ以上でも、それ以下でもない」
「でしょうね」
私は鷲尾の目を見た。
「私はね、開発に携わってた頃から散々言ってきたでしょ。米中の後追いは嫌だって」
「……覚えているよ」
「結局、自国のプラットフォームは普及したけど、あの二国との違いなんて一切ない。広告で稼いで、データを集めて、ユーザーを囲い込む。——やってることは同じ」
私は肩をすくめた。
「だから、あんなところを追い出されて清々してるわ」
「園田准教授」
阿久津が口を挟んだ。
「あの時の判断は、間違っていたと反省している。君のシステムを見て、そう思った」
私は阿久津を一瞥した。
「へえ。あなたの口からそんな言葉が出るなんて」
「皮肉を言いたいのはわかるがね。事実だよ」
「それで?」
私は視線を鷲尾に戻した。
「確かに、君の技術は米中にはないものだ」
鷲尾が引き継ぐように言った。
「後追いではない、日本発の独自技術。——君がずっと目指していたものだろう?だからこそ、戻ってきてほしい。君の技術を、正当に評価できる環境に」
私は鷲尾の目を見た。
反省している、か。この男たちがそんな殊勝な人間じゃないことは、嫌というほど知っている。
「——お断りします」
「やはり、答えは変わらないか」
鷲尾は落胆した様子もなく、コーヒーカップを手に取った。
「ところで、園田さん。君たちは今、ドームでパフォーマンスをしているそうだね。——ああ、何と言ったかな、牛久くんのところの球団」
「……ええ」
「牛久くんとは古い付き合いでね。先日も食事をしたよ」
鷲尾の声は穏やかだった。世間話をしているだけ、という体裁。
「彼も君たちの活動には期待しているようだ。ただ——」
コーヒーカップがソーサーに置かれる。小さな音が、やけに大きく響いた。
「来季の契約については、まだ何も決まっていないと聞いている」
「……何が言いたいの」
「別に。ただ、ドームというのは維持費がかかる。スポンサーの意向も、いろいろと絡んでくる。——君も知っての通り、うちは球団のスポンサーを務めているからね」
鷲尾が、穏やかに微笑んだ。
「使い続けられるかどうかは、様々な事情次第だということさ」
「……脅迫?」
「まさか。ただの世間話だよ」
鷲尾はカップを置き、ゆっくりと立ち上がった。
「博覧会、楽しみにしているよ。君がどんなものを見せてくれるのか。そのあとにでも、君の身の振り方を聞かせて貰おうか」
阿久津も続いて立ち上がる。二人は会計を済ませる素振りもなく、悠然と出口へ向かった。
残されたのは、私と、気まずそうに俯く浦和だけだった。
沈黙が重い。浦和は何か言いたそうに口を開きかけては、また閉じる。
「……先輩、私——」
「いいわよ。あなたの立場もわかるから」
私は残ったコーヒーを飲み干した。冷めていて、苦い。こんなことなら、アップルパイも注文してやるんだった。ホールで。
その時、店の入口から足音が戻ってきた。
「園田准教授」
阿久津だった。鷲尾の姿はない。
「会長は先に戻られた。——ただ、君の開発環境を見ておけと仰せでね」
「……今さら?」
「博覧会の件もある。izanagi3.0との連携を検討する上で、現状を把握しておきたい。浦和くんも一緒に来たまえ」
断る理由を探したが、見つからなかった。博覧会の件で正式に依頼を受けている以上、技術的な確認を拒否する筋合いはない。
「……好きにすれば」
大学の研究室に戻ると、早智がサーバーラックの前で作業をしていた。
「あ、志保ちゃん。おかえりなさ——」
私の後ろから入ってきた阿久津と浦和を見て、早智の表情が固まる。
「……お客さん、ですか」
「ええ。不本意だけど」
阿久津は遠慮なく室内を見回し、サーバーラックや機材をチェックし始めた。浦和は所在なさげに入口付近に立っている。
「姫乃は来てないの?」
「今日は用事があるらしいですよ」
「そう……」
「しかし、園田准教授」
阿久津がサーバーラックを一瞥しながら言った。
「こんな環境でよくやっているものだね。君も肩肘張らずに、素直にizanagiへ移ればいいものを」
「……」
「再オファーともなれば、待遇も以前より良くなるだろう。鷲尾会長も君の才能は高く評価している。——悪い話ではないと思うがね」
——なんだか、無性に腹が立ってきた。
さっきの鷲尾の態度。「牛久くんのところの球団」と、名前すら覚えていないふりをした、あの顔。そしてこの阿久津の嫌味。おまけにホテルではアップルパイも食べられなかった。
「浦和。チョコ、貰うわよ」
「あ、はい。どうぞ」
私はデスクに座り、箱を開けて一粒つまんだ。口に放り込む。濃厚なカカオの風味。もう一粒。もう一粒。
「先輩、そんなに一気に——それ、洋酒入りですよ」
「……ん?」
箱の裏を見る。小さな文字。『アルコール分:3.2%』。
「…………志保ちゃんにお酒与えたんですか」
「チョコレートなら大丈夫かなって」
「阿久津教授」
「はじまっちゃった……」
私は早智の言葉を遮って立ち上がった。椅子が派手な音を立てて後ろに下がる。
「さっきから黙って聞いてれば、何なの」
一歩、阿久津に詰め寄る。自分の足元がふわふわしているのがわかった。でも、止まらない。
「『こんな環境』? 『肩肘張らずに』?」
「園田准教授、落ち着きたまえ——」
「落ち着いてる」
落ち着いてない。わかってる。頭のどこかでは、わかってる。でも口が勝手に動く。
「ただ聞いてるの。あなた、私の研究室に来て、何様のつもり?」
自分でも声が大きくなっているのがわかった。頭の奥が、じんわりと熱い。
早智と浦和が顔を見合わせた。——ああ、アルコールが回ってきたんだなと。二人の目が、そう言っていた。
「園田准教授、君は誤解している」
阿久津が両手を広げて見せた。
「我々は純粋に、君の才能を惜しんでいるんだ。こんな場所で埋もれているのは——」
「嘘ね」
「——国家的な損失だと」
「だから、嘘だって言ってるの」
私は阿久津の言葉を遮った。
「あなたたちが私の才能を惜しんでる?笑わせないで。才能を惜しむ人間が、私を追い出したりしないでしょ」
「あれは、その、当時の判断として——」
「うだうだ言い訳しなくていい」
ああ、良い感じだ、思考は妙に冴えていた。いや、冴えているような気がしているだけかもしれない。
「阿久津教授。はっきり聞くわ」
私は一歩、さらに詰め寄った。
「鷲尾は、私の技術で何をするつもりなの」
「……それは」
阿久津の顔に、明らかな動揺が走った。
「米中の後追いは嫌だって言った私を、あなたたちは邪魔者扱いした。大規模障害の責任を押し付けて、スケープゴートにして、追い出した。——そうでしょ?」
「あれは、組織としての判断で——」
「そう、組織の判断。私の才能なんかどうでもよかった。むしろ目障りだったはずよ」
私は阿久津の目を睨みつけた。
「それが今さら、頭を下げて戻ってきてほしい?おかしいでしょ。筋が通らない。——何か理由があるはず。私のシステムじゃなきゃできない、何かが」
「……それは」
「答えなさい、阿久津。鷲尾は私のシステムで何をするつもりなの」
「言えない。国家機密に抵触する案件でね。私の一存では——」
「国家機密?」
私は鼻で笑った。
「阿久津、普段はどうでもいいことまで『これは国家機密だ』って偉そうに吹聴してるくせに。都合が悪くなると急に口が重くなるのね」
「だから、それは——」
阿久津が言葉に詰まる。額に汗が滲んでいる。
その時だった。
「生きた広告、って言ってましたよ」
浦和の声が、あっさりと割り込んできた。
阿久津が弾かれたように振り返る。
「浦和くん!何を——」
「鷲尾会長が会議で言ってたんです。園田先輩のシステムを使えば、『生きた広告』が実現できるって」
浦和は阿久津の制止を無視して、私の方を見た。
「先輩のシステムは、ユーザーの視線にリアルタイムで反応しますよね。一万人が同じ空間にいて、それぞれ違う方向を見ていても、全員に対して最適な演出を返せる」
「……ええ」
「その技術を広告に応用すれば——ユーザー一人ひとりに、最適化された広告体験を提供できます。視線の動き、反応、興味の度合い。それに合わせて、リアルタイムで広告の内容を変化させる」
浦和は淡々と続けた。
「ユーザーが何を見ているか、何に興味を持っているか、どこで視線が止まったか。すべてを解析して、その人だけに最適化された広告を、その人だけの演出で届ける。——それが『生きた広告』です」
「浦和くん、君は今、重大な機密漏洩を——」
「知りませんよ、そんなの」
浦和が、肩をすくめた。
「私は先輩の後輩ですから。先輩に聞かれたら、答えるに決まってるじゃないですか」
浦和の目が、真っ直ぐに私を見ている。
「——それに、先輩がいないizanagiなんて、私には意味がないので」
阿久津が絶句する。浦和は構わず続ける。
「先輩。先輩の技術は、世界で唯一なんです。米中のどの企業も、まだこのレベルには到達していない。だから鷲尾会長は先輩を欲しがっている。——先輩じゃなきゃ、できないから」
私は、浦和の言葉を反芻した。
生きた広告。一人ひとりに最適化された広告体験。視線の解析。リアルタイムの演出変化。
——なるほど。そういうことか。
「……ふうん」
頭の奥はまだ熱い。でも、不思議と思考はクリアだった。アルコールが回っているはずなのに、むしろ余計なものが削ぎ落とされて、本質だけが見えている気がする。
「生きた広告、ね。確かにそれなら金になるわ。鷲尾らしい発想」
「先輩——」
「でも、おもしろくない」
私は、口角を上げた。
「私の技術で『生きたAR』を作りたいなら、広告なんかじゃない。もっと別のものを企画しなさいよ」
阿久津が、怪訝な顔をする。浦和が息を呑む。早智が、どこか嬉しそうに笑っている。
「博覧会で見せてやるわ」
ああ、面白くなってきた。
「本物の『生きたAR』ってのが何か。——鷲尾に伝えておいて。楽しみにしておけって」




