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第21話 評価②

 阿久津教授と浦和さんって方が研究室に入ってきた瞬間、空気が変わった気がする。


 浦和アキさん。先生の後輩にあたるらしい。


 私は車椅子の定位置から、その光景を見守ることしかできなかった。


「……何の用?」


 志保先生の声が、硬い。


「まあまあ、そう警戒しないでくれたまえ」


 阿久津教授が、わざとらしく両手を広げた。


「今日は、君にとって悪くない話を持ってきたつもりだよ。——izanagiへの復帰の話だ」


 志保先生の表情が、一瞬だけ凍りついた。


「……復帰?」


「ああ。園田志保という人材を、もう一度izanagiに迎え入れたい」


「追い出した側が、よく言うわね」


 先生の声には、隠しきれない棘があった。けれど、阿久津教授はそれを受け流すように肩をすくめた。


「過去のことは水に流そうじゃないか。今、izanagiは岐路に立っている。君の力が必要なんだ」


「私の力?」


「浦和くんから説明してもらおう」


 阿久津教授が一歩引き、浦和を前に押し出す。


 彼女は、真っ直ぐに志保先生を見つめた。その目には、懐かしさと、苛立ちと、何か別の感情が混ざっているように見えた。


「先輩」


 浦和の声が、少しだけ震えていた。


「……なんで、こんなところにいるんですか」


「こんなところ?」


「大学の准教授。零細研究室。野球場の余興——」


 浦和は、唇を噛んだ。


「先輩の技術は、そんなところで消費されていいものじゃない。私はずっと……ずっと、おかしいと思ってた」


 その声には、抑えきれない感情が滲んでいた。


「izanagiから先輩を追い出したのは、間違いだった。あの後、プロジェクトは順調に見えていました。でも、実際は違う。技術的な革新が止まって、海外勢に追い抜かれつつある。——当然です。先輩がいないんだから」


 志保先生は、黙って彼女の言葉を聞いていた。その表情からは、何を考えているのか読み取れない。


「私は先輩の下で働きたかった。先輩のビジョンを、一緒に実現したかった。なのに——」


 彼女は一度言葉を切った。深く息を吸い、吐く。


「戻ってきてください、先輩。izanagiに、先輩が必要なんです。——私が、必要としてるんです」


 沈黙が落ちた。


 そして——志保先生が、呆れたようにため息をついた。


「……浦和。私、こういう泣き落としみたいなの嫌いなの、知ってるでしょ」


「っ——」


 浦和の顔が、一瞬で赤くなった。


「芝居がかった台詞並べて、情に訴えれば私が動くとでも思った? あなた、私の後輩やってて何を学んだの」


「……っ、わかってますよ、そんなこと」


 浦和が、開き直ったように顔を上げた。さっきまでの殊勝な表情が消え、代わりに不貞腐れたような——けれど、どこか素の表情が覗いている。


「でも、本音ですから。私が先輩を必要としてるのは事実です。……ただ」


 浦和は、肩をすくめた。


「先輩がそういうの嫌いなのも知ってるので、もっと分かりやすい餌も持ってきました」


「餌?」


「ええ。先輩が絶対に食いつく餌です」


 浦和の目が、挑戦的に光った。


「izanagi ver.3.0の開発版。——触ってみます?」


 浦和が鞄から取り出したのは、小型の演算ユニットだった。見たこともない形状。最新鋭の機材であることは、素人の私にもわかる。


「ちょっと触っていい?」


 志保先生の声が、急に弾んだ。


 その一言が——なぜか、私の胸を冷たく刺した。


「どうぞ、先輩。好きなだけ試してください」


 浦和が嬉しそうに頷く。志保先生はスマートグラスを装着し、演算ユニットを研究室のシステムに接続した。


 次の瞬間——研究室の空間が、変貌した。


 無数の騎士が、虚空から立ち上がる。青い鎧を纏った、あのドームライブで使った騎士たちだ。


「へえ……」


 志保先生の指が、宙を滑る。


 騎士が、増えていく。


 二千、四千、六千——。


 チーム・リラの今の環境では、二千体を超えたあたりで処理落ちが始まる。世界がカクつき、動きが鈍くなる「限界点」。先生はいつも、その壁と戦ってきた。


 けれど今、目の前の騎士たちは——。


「一万体、安定稼働。物理演算の干渉もなし」


 志保先生の声から興奮が伝わる。


「……いいじゃない、これ。阿久津も少しは金の使い方を覚えたわね」


 先生の瞳が、見たことのないほどキラキラと輝いていた。


「クロック周波数は?」


「従来比で約三倍です。並列処理の最適化も——」


「ああ、それで描画エンジンとの同期が……なるほど、この設計思想は面白いわね」


 志保先生と浦和が、専門用語で盛り上がり始める。私には、何を言っているのかわからない。


 ただ、二人の間に流れる空気だけが、痛いほど伝わってくる。共有された言語。共有された興奮。共有された——過去。


「志保先生……」


 呼びかけようとした私の声は、サーバーのファンが上げる高音と、二人の笑い声に掻き消された。


◇◇◇


「……志保先生。そんなに凄いんですか、その新しいizanagi、3.0?って」


 耐えきれず漏れ出た私の声は、自分でも驚くほど細く、震えていた。


 志保先生はスマートグラス越しに一万体の騎士を躍らせたまま、弾かれたようにこちらを振り返った。その瞳は、新しい玩具おもちゃを与えられた子供のように、無垢な熱を帯びて輝いている。


「凄いなんてもんじゃないわ!演算ユニットの並列処理がこれまでの十倍、いや、最適化を考えれば実質それ以上よ。見て、一万体の騎士がそれぞれ個別の物理演算で動いてる。ラグも、ポリゴンの欠けもない。……これなら、私の書いたコードを一切間引かずにぶち込める」


 先生は私の不安など微塵も気づかない様子で、浦和と視線を交わし、喉を鳴らして笑った。


 その「理解し合っている」空気が、私の胸を締め付ける。


「志保先輩、謙遜しすぎですよ」


 浦和が、私を見た。


 憐れむような。あるいは「部外者」を諭すような、柔らかな笑み。


「駒路さん、本当に凄いのはこのシステムじゃない。その上で魔法をかけている志保先輩です」


「……魔法?」


「先輩がこの一万体に何をさせているか、わかりますか?」


 私は首を横に振った。わかるはずがない。


「彼女は、システムを通じてこの映像を見ている観客全員の『視線情報』を、リアルタイムで処理してる」


 浦和の声が、淡々と続く。


「一万体の騎士は、見ている人間一人ひとりの視線に合わせて、最適な角度で剣を振り、最適な仕草でこちらを睨みつけてくる。観客が『自分が見られている』と錯覚するんじゃない。志保先輩が、一万体の意識を観客の数だけ『個別に』生成してるんです」


 浦和は、背後で腕を組んでいた阿久津教授に視線を投げた。


「ですよね、教授。こんな芸当ができる人間は、今のizanagi開発チーム……いえ、世界中を探しても他にいません」


 阿久津教授は、苦虫を噛み潰したような顔で——けれど否定できない事実を突きつけられた敗北者の顔で、短く頷いた。


「……認めざるを得ないな。園田志保の感性と演算理論は、既存の工学の枠を越えている。私の講演会でやってみせた演出でさえ、折り紙も霧も触れようとする人間がいると、その個人に対して演出が反応していた」


 私を助けてくれた、あの志保先生の凄さを——敵であるはずの彼らが、一番理解している。


「駒路さん」


 浦和が、再び私を見た。


 その目には、敵意はなかった。けれど、私を「対等」と見ていないことだけは、はっきりと伝わってくる。


「誤解しないでほしいんだけど、私は別にあなたたちの活動を邪魔するつもりはないの」


 浦和は、穏やかな、けれど有無を言わせない声で続けた。


「チーム・リラ、だっけ。動画は見たわ。正直、驚いた。あのドームライブの映像、本当に綺麗だった。——高品質なミュージックビデオとしては、文句のつけようがない」


 褒めている。確かに褒めている。なのに、その言葉の裏に刃が光っているのを、私は感じ取っていた。


「年に数回、先輩があなたたちと活動するのも構わない。必要なら人員だって派遣する。でもね——」


 浦和は、一度言葉を切った。


「園田志保は、こんなところで燻っていていい人材じゃないの」


 こんなところ。


 その言葉が、私の胸に突き刺さる。


「先輩の技術は、野球場の四万人を感動させるためだけにあるんじゃない。世界を変えるためにあるの。……あなたには、それがわかる?」


 私は、何も言えなかった。


 浦和の言葉は、残酷なほど正しかった。志保先生の才能は、私なんかが独占していいものじゃない。世界中が、先生を求めている。G社も、華騰科技も、そしてizanagiも。


 ——私じゃなくても、いいんだ。


 その事実が、喉の奥で冷たく凝固していく。


「——浦和」


 志保先生の声が、鋭く割り込んだ。


 振り返ると、先生はスマートグラスを外し、浦和を睨みつけていた。さっきまでの子供のような無邪気さは、跡形もなく消えている。


「言いすぎよ」


「……先輩」


「私がどこで何をしようが、私が決めること。あなたに口出しされる筋合いはない」


 先生の声は、静かだった。けれど、その静けさの奥に、触れれば切れるような鋭さがあった。


「それと——」


 先生は、一歩、浦和との距離を詰めた。


「『こんなところ』って言い方、二度としないで。ここは私の研究室で、姫乃は私のチームのメンバーよ」


 浦和が、わずかに目を伏せた。


「……すみません。言葉が過ぎました」


 謝罪の言葉。けれど、その目には後悔の色はなかった。——本音を言っただけだ、という確信が透けて見える。


 彼女の言葉が、まだ胸の奥で棘のように刺さったままだった。

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